4月23日から東京・両国の国技館に併設されている「相撲博物館」で、『特別展 七十二代横綱稀勢の里展』が開かれる(6月14日まで)。
日ごろは伝統文化としての相撲を伝えるため歴史的な展示の多い相撲博物館で、引退したばかりの横綱の展示をするのは、とても珍しいことだ。
湯気が立ちそうな締め込みも
「そもそも資料がないと展示は成立しません。今回はご本人に親方を通じてお願いしたところ、ご快諾いただき、資料をお借りすることができて開催に至りました。展示物は写真なども含めて80点。まだまだ現役の香りが残る品々を間近でご覧いただけます」(相撲博物館学芸員・長瀬光仁さん)
展示物の中には、ニュースでも話題になった、稀勢の里本人が大好きだという漫画『北斗の拳』の3つぞろい化粧まわしもある。横綱在位が2年余りと短かったために化粧まわしを実際に土俵で目にすることは少なかったので、こうしてじっくり間近で見られるのは貴重な機会だ。横綱土俵入りの3つぞろい化粧まわしは、全部で4組展示される予定、壮観なさまが予想される。
貴重なものといえば、横綱土俵入りで用いられた太刀も出展される。山梨県の特産品でもある「甲州印伝」があしらわれた太刀は、美しい芸術品としても愛(め)でてほしい。
ちなみに太刀は、土俵上で使われるときは中に刀身は入っておらず、かわりに白木で作ったものを入れているんだとか。今回展示されるのは、稀勢の里のために作られた値段のつけられない非常に貴重な太刀だという。
長瀬さんイチ押しの展示物を聞くと、稀勢の里が使い込んだ「締め込み」だという。
「関取に上がってから締めたえんじ色のもの、大関になって締めた紺色のもの、さらに稽古まわしがあります。使い込んだ感じが残っていて、稽古まわしは茶色く泥だらけで、汗がしみ込んでいるのも見えます。ほんと、まだまだ湯気が立つかのようなんです!!」
思わず熱くなってしまった長瀬さんは、大の稀勢の里ファンなんだとか。ほかにも、明荷(竹で編まれたつづらで、化粧まわしなど道具を入れて運ぶ大相撲ならではの荷物入れの箱)、土俵下で使っていた四股名(しこな)入りの座布団、着物、雪駄などのほか、角界入りしてすぐの萩原時代から横綱、稀勢の里への歩みもわかる展示もあるそう。ファンなら現役時代を振り返り、思い出に浸れる品々がめじろ押しだ。
それにしても1月の引退から約3か月。
横綱稀勢の里から荒磯親方となり、相撲協会の紺色のジャンパーを着て、3月の大阪場所では館内警備を担当する姿がたびたび、見られた。場所中にはNHKの大相撲中継で解説を担当。わかりやすくて力士の立場に立った解説には「こんなにおしゃべりがうまかったんだね!」と驚きとともに、広く相撲ファンから好評を得た。
いちファンとして、父親として
「みなさんは意外と思われるかもしれませんが、解説で話す姿は普段とあまり変わらないんです。相撲を取ってるときは、力士は武士に通じるもの、という考えで終始一貫、寡黙(かもく)にふるまっていましたが、いつもはああしてよく話すんですよ」
そう教えてくれたのは、稀勢の里の父・萩原貞彦さん。
今回の展示会には「足を運んでみたいですね」とおっしゃるが、化粧まわしなど、稀勢の里へ贈呈される場に何度も立ち会っているとか。
「そうですね、何度か立ち会いましたよ。『北斗の拳』の化粧まわしはかなり高価なものだと聞いています。おそらく1つが500万円ほど。3つぞろいですからね。そうしたものをいただけるのは人気の象徴であり、横綱という地位の象徴ですよね。ありがとうございます、とお受けしていました」
それにしてもいちばん近くで誰よりも稀勢の里を応援していたお父さん。少し時間がたった今、引退をどう思っているのだろう?
「しょうがない、という気持ちでしょうね。いちファンとして、父親として、もっと相撲を取ってもらいたかったな、あの優勝したときのような気持ちをもう1度、味わいたかったというのはあります。
引退した直後はあのときこうしておけばよかった、ああしておけばよかったと、そういうふうに頭をよぎったりもしました。本人もそうでしょう。ただ、頭を切り替えていかなければいけません。これからは親方として相撲界のために働いて、部屋をおこして若い人を育てていく立場です」
引退してからの稀勢の里、いや、荒磯親方はいち相撲ファンとして見ていて、ホッとした表情に見えるのですが? との問いには、
「とにかくこれからは親方として人を募っていかなきゃいけない立場でしょう? 話しかけるのも怖いと思われるようじゃダメ。話しかけやすい雰囲気だって必要でしょう。そういう表情なんでしょうね。でもね、あれが素なんですよ。決して演技してるわけじゃない。そういう意味では相撲取ってたころより、今のほうがそりゃ苦労はしてないでしょうね」
現役最後の2年間の横綱時代、稀勢の里が背負ったプレッシャーは大きく、表情は常にこわばって見えた。ほんと、そのころに比べると、今はすっきりした表情になった。引退がよかったとは言わない。ただ、その表情の変化に、ひたすら「おつかれさまでした」と言いたくなる。
父が選んだ感動の取組ベスト3
さて、稀勢の里(荒磯親方)は今回、展示資料として大切な私物を気軽に貸し出してくれたという。
「(荒磯親方は)“物にはあまり執着しない性格なんです。声をかけていただかなかったらもう後援会の方などにあげてしまったかもしれません”と、おっしゃってました」
と、相撲博物館学芸員の長瀬さん。
それを受けてお父さんは、
「とにかくまじめな子ですから。自分のためより協会のため、みなさんのためという気持ちなんだと思います」と、息子を優しく見つめる。
その一方で、「今はありがたいことに人気だ人気だと言ってもらえますが、人気なんてのは泡みたいなもの。人は熱しやすく冷めやすい。1年も過ぎれば、そんな人いたねぇ、となるでしょう。貴景勝ら、どんどん力士が上がってきてますからね」と、厳しい目でも見ている。身内がいちばん厳しい!
でも、お父さん、いちばんの思い出の場面といったら? と伺うと、声をパッと明るくして、
「そりゃやっぱり一番は優勝したときでしょう。それと、幕下から十両に上がったときね。それから白鵬の63連勝を止めたいちばん。みなさんきっと同じじゃないですか? それは思い出深いですね」という。
2017年一月、三月場所の連続優勝。特に一月はその優勝で横綱昇進を決めた。そして2004年三月場所、幕下筆頭で勝ち越して十両昇進。そのとき萩原(稀勢の里)はまだ17歳だった。さらに2010年十一月場所で63連勝していた白鵬に勝って、記録にストップをかけた。白鵬自身、この相撲があったからその後があったと稀勢の里に感謝し、ライバルとして一目を置く。
お父さんの胸の中では、息子・寛が懸命に取った相撲の一番一番が今も輝いているのだろう。
それぞれのファンの中にそれぞれの横綱稀勢の里の姿が今もあるはず。その思い出を胸に、相撲博物館を訪れてみてはどうだろう。
相撲博物館 墨田区横網1-3-28(国技館1階)
入場無料(ただし、五月場所期間中は観覧券が必要)
問:03-3622-0366
和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。