ジョニー・デップ

 ジョニー・デップが、できれば触りたくないはずのカサブタを、あえてほじくっている。アンバー・ハードとの離婚でめちゃくちゃにされた評判を取り戻すべく、今月、彼女を名誉毀損で訴えたのだ。

 2016年5月の離婚申請当時、元妻のハードは、デップからDVを受けていたと公に明かし、世間を驚かせた。デップ本人はその事実を否定、彼の2人の子供の母親であるヴァネッサ・パラディや、元婚約者ウィノナ・ライダーらも、彼が暴力的な行動に出たことは一度もないと、即座に彼を弁護している。一方で、ハード側は、写真やテキストメッセージの記録をメディアにリーク。

 そうやって事態がどんどん醜くなるなか、白黒はっきりしないまま、双方は、この件について今後一切、語らないことを条件に同年8月、折り合いをつけた。

 わずか15カ月しか続かなかった結婚を終えるのに、高い弁護士代を払ってもめ続け、プライバシーが露呈され続けるのは、デップにとって割に合わない。結婚期間が短すぎて金はそんなに取れないとわかったハードにとっても、引きずるのは無駄だ。

ジョニー・デップのDV疑惑

 そうやってのんだ条件を、デップは守り続けた。映画『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』(2018年)にDV男を出すのかと一部から非難が出たときも、原作者のJ・K・ローリングは彼を弁護したが、彼自身は何も発言していない。

 しかし、ハードは違った。離婚の正式な成立を待つ間にも公共広告に出演して、DV被害を受けている女性に立ち上がれと呼びかけている。

 そして昨年12月半ばには、ワシントン・ポスト紙に、「Amber Heard: I spoke up against sexual violence ― and faced our culture’s wrath. That has to change(アンバー・ハード:私は性暴力に反対する発言をして、社会から報復されました。これは変えなければいけません)」というタイトルの意見記事を寄稿。その記事にも、公共広告にもデップの名前は出ていない。

 だが、彼女の言う加害者が誰であるかは明白だ。「2年前、私はDVを受けていることを明かし、女性が告発することに社会がどう厳しく反応するのか、自ら体験することになりました」「その頃は、家を出るたびに、パパラッチやカメラを搭載したドローンに追いかけられ、メディアにネガティブなことを書かれたものです」などという記述は、事実上の名指しと言っていい。

 この記事が出た3日後には、ハードにとって初めてのメジャースタジオ大作『アクアマン』が北米公開されている。映画は、全世界で10億ドルを超える成績を挙げ、ハードはついにキャリアで初めてヒット作への出演を果たすことになった。

 だが、それとハードの意見記事は、何の関係もない。『アクアマン』の主役はジェイソン・モモアだし、観客は面白そうなスーパーヒーロー映画を観に行っただけだ。そもそも、この記事自体が世間的にはほとんど話題になっておらず、ハードをサポートする目的でこの映画を観に行った人がいるとは到底考えられない。

 それでも、このタイミングは偶然でないと、デップは見た。3年前に離婚申請するにあたっても、彼女はわざとデップの出演作『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』(2016年)のプレミアにぶつけるという嫌がらせをしているのである。

 そこへきて、先月、彼女は、国連人権高等弁務官事務所からヒューマンライツ・チャンピオンに選ばれた。“権利のために闘う女性”という彼女のイメージ戦略がうまくいったということだろう。

当記事は「東洋経済オンライン」(運営:東洋経済新報社)の提供記事です

5000万ドルを元妻に要求

 ならば自分も自分の権利のために闘ってやると、デップは思ったのかもしれない。ただでさえ経済的に火の車状態にあり、この2年ほどはほかにも訴訟したりされたりで大変だったにもかかわらず、彼は彼女に対し5000万ドル(約56億円)を要求する名誉毀損裁判を起こすと決める。そして、その訴状で、彼はこれまで言いたかったであろうことをぶちまけた。

 30ページに及ぶ訴状は、最初から最後までDVを行っていたのはデップではなくハードだと、繰り返し強調している。ハードが写真で見せた顔のあざも、そこに至るまでの経緯も、すべてウソであり、作りごとだと、訴状は述べる。

 当時、ハードは、L.A.ダウンタウンにあるコンドミニアムで行った自分の誕生日パーティーにデップはひどく遅れ、酔っ払った状態で現れて、ハードに携帯を投げつけたり、ワインボトルを振り回して家の中をめちゃくちゃにしたりしたと語っていた。

 しかし、そのとき通報を受けて現場にやってきた警察は、ハードにケガはなく、家の中もまるで乱れていなかったと述べている。また、コンドミニアムの従業員も、その後数日にわたって彼女を見たが、顔にあざはなかったと、当時から証言していた。

 この訴状では、これらの人々の話が、実名、肩書、経歴なども含め、非常に詳しくつづられている。

 例えば、彼女がデップに携帯を投げつけられたとされる2016年5月21日から、彼女があざのある顔を世間にさらした27日までの間、何度も間近に彼女を見たというコンドミニアムの従業員は、ニュースで初めてハードのDV告発を知ったときには驚いたと語っている。

 従業員は何かを見逃していたのかと、セキュリティービデオを巻き戻して見たが、そこに映っている彼女も、やはりきれいな肌をしていたそうだ。また、当時、彼女が友人や姉から顔を殴られるふりをして笑っていたという複数の目撃証言もある。

 それに対し、ハードは、「これは弁護士から言われてやっていること。ジョニーから何か取ろうと思っているわけではない」と言ったという。

 これらの証言や多数のセキュリティービデオの映像は、離婚騒動当時にデップの弁護側が入手していたが、デップ本人の手元にわたったのはごく最近のことだとも、訴状は述べている。それもまた、彼が今あえて立ち上がった理由の1つだろう。

 さらに、元ボディガードや撮影現場クルーなど、あらゆる人から訴訟や、逆訴訟が続いてきたなかで、昨年後半、デップは元弁護士の訴訟で彼が事実上の勝利を収め、やや風向きの変化を感じているところでもあるのだ。その少し前に、元ビジネスマネジャーとの訴訟で示談が成立したことも、少しは肩の荷を軽くしている。

キャリアの転機を迎えるデップ

 また、彼は今、キャリアで新たな転機を迎えつつもある。

 次に出演する2本は、演技派としての実力を見せられそうな、シリアスな作品。そのうちの2本目で、現在撮影中の写真家W・ユージーン・スミスの伝記映画『Minamata』のスチール写真が最近公開されると、業界サイトのコメント欄には、「デップは優れた俳優。彼がドラマやスリラーをやるのを見られるのはいいことだ」「彼の情熱を感じる。彼が大人の映画に挑戦するのはうれしい」「ジョニーの演技の見せどころが多そう。公開が楽しみ」など、ポジティブなコメントばかりが寄せられた。

 彼にはまだまだ味方がたくさんいるということだ。この新スタートを切る今こそ、間違った疑惑を払拭するときである。

 一方で、ハードもきっと黙ってはいないだろう。この訴訟には、彼女がデップと結婚してたった1カ月の頃、デップの不在時に、イーロン・マスクを家に呼び込み、朝帰りさせていたとも書かれているのだ。それに関しても、実名入りのコンドミニアムのスタッフの証言がある。また、そもそも離婚を言い出したのはデップで、彼女はそんな彼をわなにはめたのだともある。

 彼女もまた、なんとしても名誉を守りたいに違いない。闘う女は、これにどう挑むのか。このバトルは、『アクアマン』でやったそれより、おそらくずっと長く、苦しいものになりそうである。


猿渡 由紀(さるわたり ゆき)◎L.A.在住映画ジャーナリスト 神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒業。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場リポート記事、ハリウッド事情のコラムを、『シュプール』『ハーパース バザー日本版』『バイラ』『週刊SPA!』『Movie ぴあ』『キネマ旬報』のほか、雑誌や新聞、Yahoo、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。