平成において韓国エンタメの盛り上がりの始まりといえば、1999年製作の映画『シュリ』のヒット、2002年の日韓ワールドカップに伴うエンタメのコラボがあり、2003年以降の『冬のソナタ』ブームへとつながるのではないだろうか。
その『冬のソナタ』は、日本での放送にタイムラグがあるのだが、放送終了後であっても主演のヨン様ことペ・ヨンジュンやパク・ヨンハが来日し、長きにわたってファンミーティングを行うなどしてブームを牽引した。
女性たちの願望を取り入れて発展
ファンにサービスするということは、今では普通のことと思われているが、俳優が役をまとったまま、何年間にもわたって活動することは少ない。アイドルやアーティストなら生でファンと対面する機会があるが、俳優でも、ファンと間近でコミュニケーションするということを積極的に取り入れたのも韓流の特徴であり、それを発展させてビジネスにつなげていった。
しかし、人気の俳優、コンテンツは次々と生まれないとブームは持続できない。『冬のソナタ』に代表される韓流四天王に続き、『私の名前はキム・サムスン』のヒョンビン、『宮 -Love in Palace-』のチュ・ジフン、『コーヒープリンス1号店』のコン・ユ、『美男ですね』のチャン・グンソクなど、ヒットが生まれるたびに主演俳優も日本に次々とやってきた。
これらのドラマは、日本の漫画などの影響も受け、女性たちの願望を取り入れて発展していった。
同時に韓国は、K-POPを海外に向けて輸出しようと働きかけていた。こうした動きは1997年のIMF危機による経済への不安から進められたといわれている。
もちろん、こうした動きとドラマは連動していた。ソロ歌手のRain(ピ)は、『サンドゥ、学校へ行こう』や『フルハウス』などのドラマで得た人気とともにアジアツアーを開催。日本でも2007年にドーム公演を行うが、満員とまではいかなかった。
コンスタントにドーム公演で成功を収めるようになったのは、東方神起、BIGBANGなどのK-POPのグループのスターたちだった。しかも、日本には、経済的にも余裕があり大人になってもファン活動を楽しんでいる人がたくさん存在している。そのことが、K-POPのステージの規模をどんどん大きくさせていった。
第3次K-POPブームの特徴は?
彼らは当初、日本のアーティストやアイドルの公演のアイデアを取り入れたりもしていたが、次第に独自のステージングやパフォーマンスを獲得していく。
K-POPブームも韓流ブームも、落ち着くタイミングが何度もあった。そのたびに、新大久保が閑散としているというネットニュースが飛び交うが、そのすぐあとには必ず新たな波がやってきた。第3次K-POPブームと言われる昨今は、紅白出場のTWICEやアメリカでも活躍する防弾少年団がその中心だろう。
現在のファンは主に10代の男女。韓流は中高年のものと思われていたのは過去のことで、新大久保には思い思いのメイクとファッションの男女であふれかえっている。第1次韓流ブームでは、「どこか懐かしい」というのがキーワードであり、第2次のK-POPブームでは、日韓相互の文化やビジネスのやり方を取り入れ膨らんでいった。
しかし、第3次のK-POPブームでは韓国のオリジナリティー、アイデンティティーを前面に押し出しチーズタッカルビなどの食、ジェンダーレスに施されるメイクなど、もはや若者は韓国の情報を最先端のものとして受容し始めている。
2019年現在、韓国では第2次K-POPブームの人気を牽引したBIGBANGのV.I.などのスターが、売春斡旋などの疑いにより次々と引退している。韓国では小説『82年生まれ、キム・ジヨン』が100万部を売り上げ、コン・ユ主演で映画化も決まり、フェミニズムも盛り上がっている。
現在の出来事の犠牲者を思うと胸が痛むが、過去のエンタメ隆盛の陰で起こった悲しい出来事を一掃し、次に進もうとしているようにも思えるのである。
《著者PROFILE》
西森路代さん ◎編集プロダクション、ラジオディレクターを経て、フリーライターに。香港、台湾、韓国、日本のエンターテイメントや、女性の消費活動について主に執筆。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)など