昭和の途中まで“一発屋”といえば、もっぱらヒット1曲で消えた歌手を指していました。それが変わったのは、漫才ブームのとき。ギャグ一発を残して消えた芸人もそう呼ばれるようになり、平成ではその関係が逆転します。
平成は笑いとギャップの時代
『トイレの神様』の植村花菜や三木道三、河口恭吾といった歌の一発屋も出ましたが、一発屋と聞いて多くの人が思い浮かべるのは『電波少年』『ボキャ天』『エンタ』などから生まれた芸人たちでしょう。
歌の一発屋についても、ちょっと笑えたり、どこか奇をてらったものが目立ちました。鼠先輩や羞恥心、野猿、藤岡藤巻と大橋のぞみ……。曲自体は正攻法だったジェロにしても、外国人が演歌をやるというギャップが面白がられたといえます。秋元順子やスーザン・ボイルは、年齢とのギャップでしょうか。
つまり、平成とは笑いとギャップの時代でした。例えば、オウム事件のさなか、異彩を放った横山弁護士。独特の容姿とキャラで「もう〜、ヤメテ!」などと叫ぶ姿がものまねされました。あの不思議なブレイクは殺伐とした事件報道のなかで、大衆が脱力効果を求めた結果だったのです。
これに限らず、メディアは、ことあるごとに大衆ウケしそうな人を見つけては“キャラ立ち”させ、世間はそれを面白がりました。こうした歌手でも芸人でもない“第三の一発屋”が活躍したのも、平成の特色です。
五輪やW杯では「めっちゃ悔しい」のひと言で女優デビューまで果たした田島寧子に、イルハン王子。オカルトブームからは宜保愛子や織田無道が、ダイエット関係ではデューク更家やビリー隊長が一世を風靡しました。
また、藤井聡太が出現すれば加藤一二三がひっぱりだこになり、ローラが売れれば水沢アリーがおこぼれにあずかるというケースもあります。
“美人すぎる市議”こと藤川優里から始まった○○すぎる女たちや栗原類、GENKINGもギャップや違和感で注目されました。ビッグダディ(&美奈子)の人気も、少子化時代に逆行していたことが大きかったわけです。
さらには、戦場カメラマンの渡部陽一。1分1秒を争う戦場では逃げ遅れてしまいそうな、あのスローすぎるしゃべり方で誰にもまねのできない笑いを生み出しました。
ネットの発達で“やらかし”が流出
そして平成26年には、佐村河内守、小保方晴子、野々村竜太郎といった人たちが会見を開きます。耳は聴こえているのか、あのメイクはどうやったのか、といったことに興味シンシンとなったり、議員センセイの号泣にあきれたり。
また、会見では、その7年前の「ささやき女将」も印象的です。言葉につまった息子に助け船を出そうとして、その声がマイクに拾われてしまったがゆえのハプニング。実は弁護士に教えられた模範回答を女将だけが覚えていたことが、あだになったのでした。
そう、会見のように準備や練習が可能な場でも、人は失敗するのです。それ以外の状況でやらかしてしまうのも無理はないのかもしれません。秘書にミュージカル調の説教をした豊田真由子や、育休中に愛人を「私のど真ん中はソナタ」とLINEで口説いた宮崎謙介。
こうした“やらかし”が流出しやすくなったのも、ネット文化が発達した平成ならではです。川越シェフは『食べログ』の書き込みに反論した“水発言”で炎上、自らフェードアウトしていきました。
そんな風潮のなかで“炎上ガール”と呼ばれた人たちがいます。狩野英孝の6股騒動では加藤紗里、川谷絵音のゲス不倫ではほのかりん……。また、熊田曜子に似ていると“くまぇり”と名乗っていたネットアイドルを覚えている人もいるでしょう。放火で捕まり、文字どおりの炎上ガールとなってしまいました。
とまあ、犯罪はよくないですが、個人個人が自由に思いを世間に発信できるようになった今、誰もが一発屋になる可能性を秘めているともいえます。それが幸せかどうかは、一発屋のみぞ知るということで──。
(文・宝泉薫)
《著者PROFILE》
宝泉 薫さん ◎ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て、『週刊明星』などで執筆。アイドル、二次元、流行歌など、さまざまなジャンルをテーマに取材。近著に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)