働きすぎが原因で命を落としてしまう「過労死」。これはもちろん、男性に限った問題ではありません。仕事に前向きに、全力で取り組んできた女性たちも、とても残念なことに命を落としてしまっています。
私はこのほど、過労死遺族のルポルタージュを刊行しました(牧内昇平=著『過労死 その仕事、命より大切ですか』ポプラ社)。その中から、31歳の若さでこの世を去った日本放送協会(NHK)の女性記者、佐戸未和さんのことを紹介します。
激務の夏、娘が父に送った不安なメール
「東京選挙区。5つの議席をめぐって、選挙戦は激しさを増しています」
2013年7月に行われた参院選の投開票5日前、ニュースで放送された選挙区レポートだ。佐戸未和さんの丸みを帯びた声が、少し緊張ぎみに候補者たちを紹介していた。
この夏、連日30度を超える猛暑の東京で、未和さんは選挙の取材に走り回っていた。入社9年目。一橋大学の法学部を卒業して2005年にNHKに入った。鹿児島放送局で5年間経験を積んだ後、2010年に東京の首都圏放送センターに異動し、東京都政の取材を担当した。
記者として脂がのりはじめたころにめぐってきたのが、選挙という一大イベントだった。 東京都議選、参院選と、2013年の夏は大型選挙が相次いで行われた。未和さんは2つの選挙で主にみんなの党や共産党などの候補者取材を担当していた。
選挙取材のさなか、未和さんは父の守さんに気になるメールを送っている。都議選の開票から3日後、未和さんが31歳の誕生日を迎えたときのことだ。守さんがお祝いのメールを送ると、未和さんはこう返した。
〈パパへ ありがとう。なかなか悲惨な誕生日だったけど、なんとか体調も戻ってきたよ。都議選は終わったけど、もう1か月もしないうちに参院選……それが終わったらすぐ異動だよ。忙しいしストレスもたまるし、1日に1回は仕事を辞めたいと思うけど踏ん張りどころだね〉
未和さんからのメールを読んだときの心のざわつきを、守さんはこう振り返る。
「未和は記者の仕事にやりがいを感じ、弱音などめったに吐かない性格だったので、メールを読んだ際にはとても心配しました。記者の仕事が過酷なのは以前からわかっていましたが、この時期は特に大変なのだろうと思いました」
誕生日のメールから約1か月後、両親のもとに悲報が届いた。 残された資料や両親への取材によると、遺体の第一発見者は未和さんと結婚を約束していた男性だった。7月末に横浜放送局への異動が決まっていた未和さんは、7月21日投開票の参院選が終わった後もまとまった休みをとることなく、仕事の整理や取材先へのあいさつ回りをこなしていた。
23日は勤務後に職場の送別会があり、それに参加した未和さんは翌24日の午前3時ごろ婚約者に電話をかけ、「今から家に帰る」と話している。 夜が明けた24日、婚約者は何度か未和さんの携帯を鳴らしたが、応答がなかった。心配して翌25日に東京・世田谷区のマンションに行ってみると、未和さんは寝室のベッドの上で動かなくなっていた。
世田谷区内の遺体安置所で、両親は棺に眠る娘と対面した。
母の恵美子さんは、未和さんが手に携帯電話を握りしめたまま亡くなっていたことを聞き、胸がえぐられる思いだった。
「わたしに電話したかったのではないだろうか。どれだけ怖くて、苦しかっただろうか。娘の最期を思うと涙があふれて止まりませんでした。何を伝えたかったのだろう。どうしてそばにいてやれなかったのだろう、と、もうそればかり考えて……」
告別式には多くの参列者が訪れた。遺体を火葬する前、婚約者の男性はその愛した女性の指に、結婚指輪をはめた。
過酷な労働、ずさんな管理
翌年の2014年5月、未和さんの死は労災と認められた。渋谷労働基準監督署の認定によると、死亡前の1か月間、2013年6月下旬~7月下旬の労働時間は目を疑うような数字だった。
1か月の休日は2日だけ。午前0時過ぎまで働いた日が15日もあった。渋谷労基署は1か月の時間外労働(残業)を159時間37分と出した。その前の1か月(5月下旬~6月下旬)は146時間57分だった。過労死ライン(「月平均80時間の残業」)の倍近い長時間残業を、未和さんは少なくとも2か月続けていたことになる。
なぜこんな長時間労働に陥ってしまったのか。両親ははじめ理解できなかったが、しだいにわかってきたのはNHKの労働時間管理への意識の低さだった。 未和さんが亡くなった後、守さんは異常とも言える勤務状況についてNHKに問いただしたことがある。
当時のNHKの管理職は「記者は時間管理ではなく、それぞれの裁量で働く個人事業主のようなものです」と説明。守さんはそれを聞き、「そんな話は通用しない」と怒りがこみ上げたという。
「管理職が“個人事業主だから細かい管理はしない”という意識だったために、部下の日々の残業時間のチェックやコントロールは行われず、結果的にこれほどの長時間労働を強いる結果につながったのではないでしょうか。管理職の意識が違っていれば、未和は死なずにすんだはずです」
労働者の安全や健康を守る義務が会社にあることは、法律に書かれている。NHKは組織として未和さんにハードな選挙取材を任せたのだから、その働きぶりをきちんと把握し、過労が予想されれば本人がやる気でも取材にストップをかける、必要ならば取材班の人手を増やす、などの対処を検討する必要があったのだ。
そうしたことに目を配るべき管理職が遺族に「個人事業主のようなもの」と言ってしまうような状況では目も当てられない。「個人事業主」発言の有無についてわたしはNHKに問い合わせてみた。広報担当者からの回答は「ご指摘の点については確認できませんでした」という内容だった。
職場内で孤立も?
もうひとつ、両親がひっかかったのは職場の人間関係とチームワークだ。 未和さんが加わっていた取材班には同僚があと3人いたが、すべて男性で、年齢も未和さんより上だった。守さんの以下の指摘に、当時の同僚たちはどう答えるだろうか。
「普通の会社の組織では、若い女性社員が連日連夜の深夜残業、土日出勤という状態がずっと続けば、誰かがアラートを出して助け舟を出すなり、外部からサポートを呼ぶなり、改善に向けて協力するはずです。チームのみなさんは横目で未和を眺めながら、『個人事業主』を決め込んでいたのでしょうか。自己管理できなかった未和が悪かったのでしょうか」
亡くなって間もない2013年7月30日、NHKは未和さんに「報道局長特賞」を与えた。賞状は、未和さんの〈入念な準備と取材指揮が正確・迅速な当確につながった〉と評価した。だが、母の恵美子さんはこの賞状を今も正視できないでいる。
「こんなものはちっとも欲しくありません。選挙の当確を一刻一秒早く打ち出すために娘が命を落としたかと思うと、こみ上げてくる怒りを抑えることができません」
「未和は『人柱』になったと考えたい」
2017年10月、NHKは夜9時からの『ニュースウオッチ9』で未和さんの過労死について初めて報じた。未和さんの労災認定から3年がたっていた。なぜこのタイミングで発表されたかというと、NHKの内部で未和さんの過労死が周知されていないことを知った両親が、NHKに対して真摯な対応を強く促した結果である。
両親は、愛する娘が亡くなった事実が風化させられてしまうのを心配していたのだ。
NHKは「当初は遺族の代理人から非公表の要望があった」と説明しているが、未和さんの両親は「NHKに非公表を要望したことはない」と否定している。
ニュース発表後、NHKは再発防止に取り組む姿勢を強くアピールしている。上田良一会長が初めて両親宅を訪問して謝罪。2017年末には「働き方改革宣言」を発表し、自らのリーダーシップのもとで働きすぎを防ぐことを社会に約束した。こうした取り組みが遺族の目に内実を伴ったものと映るかどうかは、NHKの今後の対応いかんだろう。
例えば両親は、若手社員向けの研修会などで過労死問題を遺族の立場から話したいという意向がある。再発防止への効果が期待できる取り組みだとわたしは思うが、こうした提案が実現するかどうかだ。父の守さんは語る。
「未和はNHKの仲間たちを過労死から救うための『人柱』になったと考えたいのです。未和は決してNHKを恨んで死んでいったのではないと思います。記者という仕事に誇りをもち、職責を全うした結果、短すぎる人生を駆け抜けていったのです。
未和が好きだったNHKが、わたしたち遺族にどう向き合い、記者や番組制作などすべての職場で働き方をどう改善していくのか、みつめていきたいと思います」
NHK広報局はわたしの取材に文書で次のように回答している。
《若く未来のある記者を失ったことは痛恨の極みであり、過労死の認定を重く受け止めています。佐戸さんが亡くなったことをきっかけに記者の勤務制度を抜本的に見直すとともに、働き方改革を加速させ、長時間労働の是正などに取り組んでいます》
《PROFILE》
牧内 昇平 ◎まきうち・しょうへい。ジャーナリスト。1981年3月東京都生まれ。2006年東京大学教育学部卒業。同年に朝日新聞に入社。経済部記者として、電機・IT業界、財務省の担当を経て、労働問題の取材チームに加わる。主な取材分野は、過労・パワハラ・働く者のメンタルヘルス問題。共著に『ルポ 税金地獄』(文春新書)。特に過労死については、遺族や企業に取材を重ね、「追いつめられて」などの特集記事を数多く執筆。過労死のすさまじい実態をあぶりだしたと話題になる。