「就活は全滅だった。以来、ずっと非正規です。いつクビを切られるかわからないし、昇給もない。ボーナスなんて都市伝説かと思う」
そう話すのは、関東地方で契約社員として働く田代佳奈さん(42=仮名)だ。手取り17万円のひとり暮らしは楽じゃない。家賃と持病の治療費に給料の大半が消えていく。正社員の職を探しているものの年齢がネックになり、資格や免許もないため転職が難しい。
「先々どころか、いまが不安だし生活はカツカツ。結婚した友達が親に家を建ててもらった話なんか聞くと、かなりへこむ」(田代さん)
中間層が貧困層へすべり落ちた
バブル真っただ中の平成元年、田代さんのような非正規雇用は817万人だったが、現在は2120万人にまで膨れ上がった。
一億総中流と呼ばれた昭和から、格差社会が叫ばれた平成を経て、間もなく令和が始まろうとしている。
「格差どころではなく日本は階級社会に入ったと実感する非正規もいます。なかでもシングルマザーは、あまりに低賃金なのでダブルワーク、トリプルワークで収入を増やそうとして過重労働にさらされています」
そう話すのは、格差や貧困の問題に詳しいジャーナリストの竹信三恵子さんだ。実際、貧富の格差をとらえる代表的な指標『ジニ係数』は、平成の間にジワジワと上がり続けた。
「2000年まで上昇を続け、以降は若干下がり、ほぼ横ばいに推移しています。これは非正規を増やす一方、正社員を削減し続けた時期と重なる。続いて、低賃金で実態は非正規と変わらない『名ばかり正社員』が増え始めた。
正社員も非正規の労働条件に引っ張られる形で賃金水準が落ちて、一緒に没落していった。格差が縮まったというより、中間層が貧困層へすべり落ちていったのです」(竹信さん、以下同)
右の図表は、中流の衰退度合いを測る指標「実質中位所得」の推移を追ったもの。長引く低迷から改善の兆しが出てきたアメリカに比べて、日本では1992年をピークに右肩下がり、大きく落ち込んだままだ。
図表を作成した『みずほ総合研究所』は'16年4月に発表したレポートで、こんな分析をしている。
《日本の中間層衰退には、米国と異なるもう1つの特徴がある。それは、分厚い中間層全体で所得の減少が生じている点だ。日本では、よく「1億総中流」といわれるが、中流に属する世帯全体が低所得層に転落しかねない状況となっている》
なぜこんな事態に陥ってしまったのか? すでにバブル崩壊前から、中流消滅へ向けた動きは始まっていたと竹信さんは強調する。
「バブル当時の'80年代後半から、すでに円高回避のため海外へ生産拠点を移す日本企業が出現していました。産業の空洞化が水面下で進んでいたのです」
「日本スゴい」が非正規雇用を後押し
'90年には株価が急落し始め、翌年からバブルは崩壊へ向かう。それでも『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の声はこだまし、“日本スゴい”の空気は漂い続けた。同時に、そんなバブルをもたらした市場開放などの規制緩和も、成功体験として記憶されたのだ。
「そんな中、労働の規制緩和で経済危機を乗り切ろうとする動きが加速していく。まず'95年に、日経連(現・経団連)が正社員重視から非正規拡大へ転換を図る経営戦略を推奨しました。
'97年に山一證券などの破綻が相次ぐと、大規模なリストラを敢行。正社員も容赦なくクビを切られ、小泉政権が誕生した'01年には戦後初の失業率5%にまで上がった。そこで政府は、雇用の質を下げて数を増やす派遣社員増加策へ向かいました」
すでに'99年の法改正で派遣労働は原則自由化され、'04年には製造業派遣も解禁。規制緩和が進むなか、小泉政権は構造改革のもと、年金などの各種控除を縮小・廃止して増税、社会保険料の引き上げも行った。
'08年のリーマン・ショックで派遣切りが相次ぎ日比谷公園に設置された『年越し派遣村』のニュースを前述・田代さんは「他人事じゃなかった」と振り返る。
「短期バイトで食いつないでいた時期で、明日はわが身だった。いまは人手不足だし景気もいいはず。なのに食料品も税金も高くて全然楽になった気がしない」
いまや非正規雇用の数は労働者の4割近く。竹信さんは、「人件費を抑制できて都合よくクビを切れるうま味を覚えたら、企業は簡単には手放さない。こうして普通に働いても食べていけない質の悪い雇用が増えていきました」と指摘。
一方、政治は人件費を出せるような産業づくりができず、安易な規制緩和に走り続けた。
「その路線を安倍政権も踏襲しています。一生派遣に固定化されかねない法改正を行い、来年4月施行の『働き方改革関連法』では、過労死ラインを超える残業時間が合法とされました。まず、こうした事実にそれぞれが向き合うこと。そのうえで、労働の専門知識を持つ相談先を確保し、手を結べる者同士がつながることです」(竹信さん)