格差社会が時代のキーワードとなった2007年に、評論集『若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か』を著したライターの赤木智弘さん。同書のなかで最も注目されたのは「希望は、戦争」というフレーズだ。就職氷河期世代の叫びとして注目を集めた。
景気のよしあしは選べず、どのタイミングで高校や大学を卒業するのかは運まかせ。それが就職氷河期と重なった赤木さん世代は、まさに「はずれくじ」を引いた。平成が終わり令和が始まろうとするいま、あらためて、赤木さんとともに非正規の「希望」を考えてみた。
いい大学に行ってもいい就職ができない
赤木さんは小学校のときは教師の言うことを聞かない「問題児」だったが、中学校のころは将来について特に考えることなく、レールに乗っていた。ただ、高校2年のころから不登校傾向になり、最低限の単位だけを取り卒業。
「この時点で将来は不安でしたが、勉強する気もなく、大学受験もしませんでした」
卒業後、栃木県から上京するものの、すでにバブルは崩壊。景気後退のタイミングで社会に出ることになる。
「就職は難しく、いい大学に行ったとしても、いい就職ができない。非正規の労働者として働かざるをえない人が多かった。しかし、就職氷河期から救済されるのは、そのあとに卒業する人たち。こうした状況を変えるものがあるとすれば、無秩序な破壊だと思っていました」
フリーターをしながらブログを書いていたところ、編集者の目にとまる。そして依頼された論文が雑誌『論座』に掲載されると大きな反響を呼んだ。ただ、「希望は、戦争」という言葉がひとり歩きして“赤木は戦争を望んでいる”と、批判の的にもなった。
「最初は、批判する若者としてウケたのだと思います。最近で言えば、(国会前で安保法制反対デモを行った)SEALDsのようなものです。
しかし、そうした表面的な批判には納得していませんでした。そのような読まれ方は不本意です。就職市場から排除された人は、年月がたったとしても吸収されない。ならば、流動化させる方法として戦争をあげるのは、自分としては当然の帰結でした」
戦争を願望したわけではない。仮に起きるとしても、「ここではないどこか」で起きてほしいくらいに思っていた。議論のなかで、戦争を望むのかと聞かれても、決して首を縦に振らなかった。そんなとき、'11年3月、東日本大震災が起きた。
「日本の社会体制が変わるような状態として戦争をイメージしていましたが、それに近いものが震災でした。しかし破壊的な被害があっても、社会は以前の形に戻ろうとします。震災以前から家がないホームレスには、震災後も保証はありません。流動化するには、政府が機能しない状態にならないとダメなのでしょう」
非正規の人は下からも突き上げをくらう
最近では、就職は売り手市場になっている。
「非正規が当たり前だった時代に比べれば、就職が楽になっています。しかし、就職氷河期の当時よりも、社会の分断が進んでいる印象です。以前は、正社員と非正規社員とが友達だったりしましたが、いまは両者がつながりを持たない。社会的立場が弱い人ほど不利です」
かつては若者として社会評論をしてきた赤木さんも40代。中年になった。
「氷河期世代はそもそもお金がないし、発言権がない。そのまま年をとっていく。そして社会保障や福祉問題の対象になっていきます。多く稼いで儲けていた人たちは、さまざまな社会保障を受けることができますが、非正規の人たちは(若者たちに分配せよ、などと)下の世代からも突き上げをくらいます」
氷河期世代を取り巻く問題は、なかなか注目されにくい。
「貧困問題の悪い癖です。非正規雇用が若者の問題として語られてきたため、氷河期世代が40代になっても、いまだに若者問題として語られています。しかし、“若い人たちを助ける”ことは、団塊ジュニアである氷河期世代を救うことになるのでしょうか。
いまのところ、中年になった非正規労働者にどうお金が回るようにするのか、というシステムはありません。“若い人たちに仕事を”と主張すると“中年になった団塊ジュニア世代”はきつい。そのことがいまいち、認識されていないのではないでしょうか」
しかも、現在の労働市場では、外国人労働者とかぶってしまうことになる。
「特に都市部では、コンビニなどでバイトをしようとすると、外国人労働者と“戦う”ことになってしまいます。専業主婦だった人たちも働き始めました。そのため時給は上がらず最低賃金に近かったりします。
個人的に頑張ることでは全体は救えません。お金が分配される仕組みにしないと。いまは“希望は、AI”です。仕事は奪われますが、人間にはお金を分配すればいい。そこへ期待したいですね」
(取材・文/ジャーナリスト 渋井哲也)