照明の変化に合わせられるようにと、バラや菊、マーガレットなど約1万5000本の花々で彩られ、まるでステージのよう 撮影/高梨俊浩

 4月3日に東京の青山葬儀所で、先月17日に亡くなった内田裕也さんのお別れ会『内田裕也 Rock'n Roll葬』が行われた。

「生前、裕也さんは“自分の葬儀は盛大にやってほしい”と話していたので、会場にはずっとロックが鳴り響いていました。

 集まったのは報道関係者とファン合わせて1700人。喪主は長女の也哉子さんが務め、薬丸裕英さん、郷ひろみさん、ビートたけしさん、竹中直人さん、北大路欣也さん、ダイアモンド☆ユカイさんといった豪華な顔ぶれが参列しました」(スポーツ紙記者)

 最後には、娘から最高のメッセージが贈られた。

「也哉子さんは“Fuckin' Yuya Uchida don't rest in peace just Rock'n Roll!!!(内田裕也のくそったれ。安らかに眠るな!)”と締めくくりました。裕也さんが最も喜ぶ言葉だとわかっていたのでしょう」(同・スポーツ紙記者)

 也哉子は父と暮らしをともにした記憶を持っていない。

「裕也さんは'73年に樹木希林さんと結婚。'76年2月に也哉子さんが生まれますが、彼の暴力が原因で、わずか1年半後に別居します。その後も裕也さんは浮気を繰り返し、離婚危機も何度か報道されました」(ワイドショー関係者)

 それでも、也哉子は両親が深い絆でつながっていることを理解していたのだ。

昨年9月、希林さんの葬儀での挨拶では、'74年に裕也さんが希林さんに送った手紙を読んで、彼が妻に感謝の念と親密な思いを抱いていたことに気づいたと話しています。今回も、希林さんは自分の夫がほかの女性と付き合うことに感謝していたことを明かしました。お互いにとって、欠かすことのできない存在だったんですね」(テレビ局関係者)

 希林さんは裕也さんへの思いを、今年2月に発売された『樹木希林120の遺言 死ぬときぐらい好きにさせてよ』(宝島社)で語っている。

《私は人間でも一回、ダメになった人が好きなんですね。たとえば事件に巻き込まれてダメになったという人というと言葉はおかしいけれども、一回ある意味の底辺を見たというのかな。そういう人は痛みを知っているんですね》

 実は、希林さんは20代のころ、悩みを抱えていたときに裕也さんに出会ったという。

「当時、人生に飽きていたのですが、彼の存在のおかげで飽きることはなくなったそうです。一緒の方向を見ている同志のような感覚を持ったんですね」(芸能プロ関係者)

ふたりの関係にも変化が

 '05年に希林さんが乳がんを発症したことをきっかけに2人の関係にも変化が訪れる。

月に1回は食事に行くようになり、お互いのことを語り合う機会が増えたそうです。どちらからともなく、“離婚しなくてよかったね”という言葉が出ることもあったみたいですよ」(同・芸能プロ関係者)

 昨年12月に刊行された『一切なりゆき~樹木希林のことば~』(文藝春秋)に、そのときの気持ちが記されている。

《「あのとき離婚しなくてよかったな」という言葉を、夫からもらえるとは、思ってもいませんでした。この何十年間、無駄だったかなとも思うけれど、そういうものがあって今日の、遠慮もあり、相手を労わる気持ちもあり、尊重もし、なかなかいい状態の関係になれたんですよね。こういう夫婦の形もありかなと思います》

 裕也さんも'14年12月に刊行された『ありがとうございます』(幻冬舎)で、妻への感謝の思いを語っている。

《73年に結婚し、まもなく別居してから養育費を入れたこともないけど、1人で立派に也哉子を育ててくれた。プライベートも仕事もさんざん好きなことをやってこれたのは希林さん、あなたのおかげ。本当に感謝している。オレもまだまだ頑張るぜ。ロックンロール!》

 両親の葬儀で也哉子が読んだ弔辞を、芸能ジャーナリストの佐々木博之氏は、

「どちらの弔辞も名文だと思います。1つの作品のようで、読んでいて引き込まれていきました。希林さんのときは、母を語るためにまず父の裕也さんのことに触れました。也哉子さんにとって、2人は絶対切り離して語ることができない存在なんでしょう」

 今回、裕也さんへ読んだ弔辞には本当に伝えたかった“メッセージ”があるという。

也哉子さんは裕也さんの存在をどうとらえたらいいのか長い間ずっと考え続けていたんでしょうね。父親に対する戸惑いが情念と化して言葉になった感じがします。

 一方で、それは裕也さんの叙事詩でもあるような気がしました。彼女は裕也さんに対して、最後の最後に“やっとあなたを受け入れる決心がつきました”と伝えたかったのではないでしょうか」(佐々木氏)

 父と母の思いはきっと娘に受け継がれることだろう。

也哉子は涙を見せることなく、裕也さんへの素直な思いを力強く語った

也哉子が読んだ謝辞全文を公開

 本日は大変お忙しいところ、父、内田裕也のロックンロール葬にご参列いただきまして、誠にありがとうございます。親族代表として、ご挨拶をさせて頂きます。

 私は正直、父をあまりよく知りません。「わかりえない」という言葉の方が正確かもしれません。

 けれどそれは、ここまで共に過ごした時間の合計が数週間にも満たないからというだけではなく、生前、母が口にしたように「こんなにわかりにくくて、こんなにわかりやすい人はいない。

 世の中の矛盾をすべて表しているのが内田裕也」ということが根本にあるように思えます。私の知りうる裕也は、いつ噴火をするかわからない火山であり、それと同時に、溶岩の狭間で物ともせずに咲いた野花のように、清々しく無垢な存在でもありました。

 率直に言えば、父が息を引き取り、冷たくなり、棺に入れられ、熱い炎で焼かれ、ひからびた骨と化してもなお、私の心は、涙でにじむことさえ戸惑っていました。きっと、実感のない父と娘の物語が、はじまりにも気付かないうちに幕を閉じたからでしょう。

 けれども、きょう、この瞬間、目の前に広がる光景は、私にとっては単なるセレモニーではありません。裕也を見届けようと集まられたお一人、お一人が持つ、父との交感の真実が、目に見えぬ巨大な気配と化し、この会場を埋め尽くし、ほとばしっています。父親という概念には、到底、おさまりきらなかった内田裕也という人間が叫び、交わり、噛みつき、歓喜し、転び、沈黙し、また転がり続けた震動を、皆さんは確かに感じ取っていた。

「これ以上、お前は何が知りたいんだ」

 きっと、父もそう言うでしょう…。

 そして、自問します。私が唯一、父から教わったことは、何だったのか? それは、たぶん、大袈裟に言えば、生きとし生けるものへの畏敬の念かもしれません。彼は破天荒で、時に手に負えない人だったけど、ズルイ奴ではなかったこと。地位も名誉もないけれど、どんな嵐の中でも駆けつけてくれる友だけはいる。

「これ以上、生きる上で何を望むんだ」

 そう、聞こえてきます。

 母は晩年、自分は妻として名ばかりで、夫に何もしてこなかった、と申し訳なさそうに呟くことがありました。「こんな自分に捕まっちゃったばかりに…」と遠い目をして言うのです。そして、半世紀近い婚姻関係の中、折り折りに入れ替わる父の恋人たちに、あらゆる形で感謝をしてきました。

 私はそんな綺麗事を言う母が嫌いでしたが、彼女はとんでもなく本気でした。まるで、はなから夫は自分のもの、という概念がなかったかのように。勿論、人は生まれもって誰のものでもなく個人です。歴とした世間の道理は承知していても、何かの縁で出会い、メオトの取り決めを交わしただけで、互いの一切合切の責任を取り合うというのも、どこか腑に落ちません。

 けれども、真実は、母がその在り方を自由意志で選んだのです。そして、父もひとりの女性にとらわれず心身共に自由な独立を選んだのです。

 二人を取り巻く周囲に、これまで多大な迷惑をかけたことを謝罪しつつ、今更ですが、このある種のカオスを私は受け入れることにしました。まるで蜃気楼のように、でも確かに存在した二人。私という二人の証がここに立ち、また二人の遺伝子は次の時代へと流転していく…。この自然の摂理に包まれたカオスも、なかなか面白いものです!

 79年という永い間、父がほんとうにお世話になりました。最後は、彼らしく送りたいと思います。

 Fuckin' Yuya Uchida,

 don't rest in peace 

 just Rock'n Roll!!!

2019年4月3日 喪主 内田也哉子