もうすぐデビュー10周年を迎える窪美澄さん。最新作『トリニティ』は、1960年代に、とある雑誌の編集部で出会った3人の女性の人生を描いた物語だ。
女性の一代記を描いてみたかった
若くしてデビューしたイラストレーターの妙子は時代の寵児となり、ライターの登紀子は週刊誌やファッション誌で活躍しつつエッセイストとしても名を知られ、事務職の鈴子は結婚退職し平穏な家庭を築いている。彼女たちが人生で求め続けていたものとは──。物語は、妙子の葬儀で老齢の登紀子と鈴子が再会するところからはじまる。
「以前から女の一代記を書きたいと思っており、あるとき、伝説の女性ライターさんの存在を知ったんです。彼女が活躍していたのが'60年代の女性誌だったので、その雑誌を舞台に女性3人の人生を長いスパンで追っていくような物語を書こうと思いました」
流行りの映画や東京五輪、東大安田講堂事件など、彼女たちの人生は当時の文化や事件とともに描かれる。
「私は1965年生まれなので、当時の空気感はなんとなくわかっていたんです。実際の出来事の資料を読んだりしながら、その感覚をたどっていきました。ただ、私は年表を作るのがすごく下手なので、登場人物たちの年齢や行動と実際の事件をピタッと合わせるのが大変で……。『小説新潮』の連載中は、毎回、直されていたんです(苦笑)」
現実の事柄が登場する場面の中でも特に印象的なのは、のちに新宿騒乱の夜と呼ばれる国際反戦デーの日の出来事だ。その様子を見に行った3人は騒動に便乗し、「お茶くみなんか誰でもできるって馬鹿にしないで!」など、本音を叫びながら石を投げる。
「一般的には、女同士の友情って難しいといわれていますよね。たしかに、女性は結婚とか出産とか、人生のトピックによってつかず離れずの関係になったりしますから。でも私は、あの日、あの時、あの人といたことを忘れないと思ったなら、それは友情なんじゃないかなと思っているんです」
物語の中で登紀子は、フリーランスという仕事について、こう言及している。
《フリーライターだ、イラストレーターだ、デザイナーだなんて、横文字の職業が輝いているのはほんの一時期のことですよ。(中略)実際のところ、そのとき働ける人が働く。だけど、その代わりはいくらだっている……》
「私自身、小説家になる前はライターだったので、代替可能な仕事だという意識は常にどこかにあるんです。もし、私が明日、脳梗塞で倒れたとしたら生活は立ち行かなくなってしまいますし、“じゃあ、この連載はほかの作家で”ということもありえます。小説家もライターと同じで、常にピンと張ったロープの上を歩いているんです」
女性の背中をポンと押す作品になれば
時代の最先端で仕事をする登紀子と妙子と対照的なのが、専業主婦の道を選んだ鈴子だ。
「'60年代後半からの時代を描くのなら、女性の生き方のひとつとして専業主婦を入れたかったんです。高度経済成長期にバリバリと働く男性を後ろで支えていた、鈴子のような女性たちがいたことも書いておきたいと思いました」
実は鈴子には、上司に編集者への転身を打診され、結婚を待ってほしいと言われた過去が。結婚か仕事、出産か仕事、いずれかを選ばなければならない風潮は、現代の問題にも通じている。
「私は20代のころ、小さな広告会社に勤めていたのですが、妊娠したら会社を辞めるのが当然のような空気でした。それでしかたなく、出産後にフリーのライターになったんです。女性が男性と対等に働くには、まだまだ会社や社会の制度が不十分なのだと感じています」
イラストレーターの妙子は、鈴子の結婚式で「父と子と聖霊の名において」という神父の言葉を聞き、自身に問いかける。
《その三つは女にとっては、いったいなんだろう。男、結婚、仕事。それとも、仕事、結婚、子どもだろうか。(中略)どれも自分は欲しい。すべてを手に入れたい》
「女性なら、全部を欲しいと思う瞬間がきっとあると思うんです。でも、すべてを手に入れるのは難しいですよね。私も全部、欲しかったけれど、離婚しているので結局、夫は手に入りませんでした」
ちなみに、今の窪さんが欲しい3つのものとは?
「健康、仕事、お金でしょうか(笑)。これらがあれば、老後を支えられると思いますから」
本作をはじめ、窪さんの小説からは、劣等感や生きづらさを抱えた人たちへの温かい眼差しが伝わってくる。
「私自身、学歴がないとか、デビューが遅いとか、バツイチとか、めちゃくちゃ劣等感があるんですね。だから、自分の小説の中ではそうした人たちを否定したくないんです。物語に書くということは、ここにいてよしということですから」
『トリニティ』は、女性を応援する気持ちが込められた作品でもあるという。
「彼女たちのような女性が実際にいたことを知ってほしいですね。女性はいつも戦ってきたのだから、大丈夫。そんなふうに、働いている方やこれから働きたい方の背中をポンと押すような1冊になったらいいなぁと思っています」
離婚後、女手ひとつで息子さんを育ててきたという窪さん。小説家を目指したのは、大学の費用を捻出するためだったそうです。「だから、デビュー後も3年ほどはライターと両立していました。とにかく忙しく、毎朝、徹夜明けの眠い目をこすりながら息子のお弁当に入れるフライを揚げていた記憶があります。彼は4月から働きはじめたので、ようやく気持ちがラクになりましたね。砂時計のようにお金が流れていく生活がやっと終わったーって(笑)」
くぼ・みすみ◎1965年、東京都生まれ。2009年、『ミクマリ』で「女による女のためのR-18文学賞」大賞受賞。2011年『ふがいない僕は空を見た』で山本周五郎賞、2012年『晴天の迷いクジラ』で山田風太郎賞受賞。『アニバーサリー』『よるのふくらみ』『水やりはいつも深夜だけど』『じっと手を見る』など著書多数
<取材・文/熊谷あづさ>