「ウソでしょ?」
1980年代のある日、『K.Yairi』のギターブランドを手がける『ヤイリギター』の職人・松尾浩さんは、最終サウンドチェックを任された3本の左利き用ギター(YD─88)についた申し送りメモを見て驚いた。
《ポール・マッカートニー氏が気に入れば世界ツアーに使う予定─》
しばらくすると、ポール側から連絡があり、「3本の中の1本の状態が非常に良好なので、ツアーに採用する」と伝えてきた。
熱狂的なファンが続々
当時を振り返って松尾さんが言う。
「世界ツアーのブラジル公演で、ポールがうちのYD─88を弾いて『イエスタデイ』を歌う映像が残っています。あれは感激でしたね。当時、アイルランドのバンド・U2なども、うちのギターを好んで使っていました。きっとポールは音楽関係者からヤイリのギターを紹介されたのかもしれませんね。
でも、ポールが採用してくれたおかげで、日本でもたくさんのポールファンのミュージシャンが同じモデルを採用してくれるようになりました」
岐阜県可児市─。愛知県との県境に位置し、名古屋市のベッドタウンでもあるこの町に、多くの熱狂的なファンを持つヤイリギターはある。
愛用者はポール・マッカートニーのほか、海外ではエリック・クラプトン、カルロス・サンタナ、リッチー・ブラックモアなど。日本でも桑田佳祐、桜井和寿、吉井和哉、木村拓哉など、錚々(そうそう)たる顔ぶれだ。
「ミュージシャン同士のネットワーク、先輩後輩などの口コミで広がっているみたいですね。うちはリペアもやっているので、ミュージシャンから手紙つきでリペアのリクエストが来ますよ。どんどんリクエストが変わってくる人もいます。すごくマニアックな音にこだわっていたり。ツアーごとにギターを替える人もいますからね」
ヤイリギターを世界的なギターメーカーにしたのは、'14年に81歳で亡くなった先代の矢入一男さんだ。
「先代は、“使ってもらうことに何の縛りもない。こちらにもメリットがあるから”と言ってました。実際、ミュージシャンの方からのアイデアで勉強することも多いんです」
「うちでは誰も辞めない」
現・代表取締役の矢入賀光社長に、工場内を案内してもらった。
「木材は樹齢200年のスプルースという木を使っています。御神木みたいな木ですから使わせてもらっているという感じですかね」(矢入社長、以下同)
さまざまな工程を経てだんだんギターの形になっていくのがおもしろい。それにしても種類の多さに圧倒される。
完成したギター専用の部屋ではクラシック音楽が流れている。
「振動を楽器に与えてやることで、楽器も振動しやすくなる、ということで当社では昔からの伝統です。実証実験をしたわけではありませんがね」
現在、ヤイリギターで働く従業員は35人。地元で採用された人が多いと思いきや、全国からギター作りに憧れてやってきた人ばかりだという。
「労務士さんにほめられるんですが、うちでは誰も辞めないんです。好きでやってますからね。職人の空きを待ってくれている子もいるんですよ」
ギターを愛する人たちのためにギター作りを愛する職人が作る─なんとも幸せな関係ではないだろうか。