聖心女子大学同級生のひとりが語る美智子さま
美智子さまとは別の学科ではありましたが、よく一緒に行動していて、五反田にあった正田邸にもよく遊びに行っていました。
聖心女子大学では、週に1度の集会があり、その週に行われることや、規律に関するお話を共有していました。美智子さまは、壇上に上がってお話をする学生代表の“プレジデント”に選出されていたことを覚えています。
毎年行われていたクラス会に長らく参加していなかったのですが、あるときは美智子さまから「クラス会にいらっしゃいよ」と、お電話をいただいたこともありましたね。
私が結婚したすぐあとのことですが「話があるの」と、美智子さまと仲のよかった数人だけが正田邸に呼ばれてお茶をしました。そのときに「皇太子さまからプロポーズされている」というお話をされたのです。
当時の皇太子さまと結婚するというご決断に至るまでには、いろいろと思うことがあったように見えました。そのように悩まれているのは、後にも先にもその1度だけだと思います。
その後「しばらく海外に行って考えてくる」とおっしゃって、おひとりでのイギリス旅行を終えた後、皇太子さまと婚約されたのです。
私の息子が生まれたのが、浩宮さまがお生まれになった時期と近かったこともあり、小さい息子を連れて何度か東宮御所に遊びに行かせていただきました。夏には、皇太子さまがビニールプールをふくらませて、お水まで張っていらっしゃいましたね。子どもたちが遊んでいる様子を、皇太子さまも温かく見守っていらっしゃいました。
美智子さまがまだ皇太子妃のときに、私が指導している合唱団のコンサートや私個人のリサイタルにもお越しいただいたこともあるのです。
皇后陛下になられてからは、警備上の理由もあり、いらっしゃることが厳しくなってきて「皇后になってから自由がなくなってきたわ」と、こぼされていました。皇太子妃時代ですら、すべての楽器ケースの中をチェックしなければならず、皇后になられた後は一層、警備を厳重にしなければならないのだと思います。
先日の『在位30年記念式典』で陛下が述べられたおことばに感銘を受けました。ご結婚前に美智子さまからお聞きしていた、陛下からの電話の雰囲気が感じられたからです。今では“陛下のプロポーズを受け入れてよかったですね”と、お手紙を書きたいと思うほどです。これからやっと落ち着かれて、なさりたいように、ゆっくりとしたお時間をお過ごしいただきたいと思っています。