テレビを見ていて「ん? 今、なんかモヤモヤした……」と思うことはないだろうか。“ながら見”してたら流せてしまうが、ふと、その部分だけを引っ張り出してみると、女に対してものすごく無神経な言動だったり、「これはいかがなものか!」と思うことだったり。あるいは「気にするべきはそこじゃないよね〜」とツッコミを入れたくなるような案件も。これを、Jアラートならぬ「オンナアラート」と呼ぶことにする。(コラムニスト・吉田潮)

『なつぞら』でなつを演じる広瀬すず

オンナアラート #27 ドラマ『なつぞら』

 十勝の地に美男美女を集めまくったNHKの朝ドラ『なつぞら』が好評だ。もはや朝ドラは「イケメン俳優の知名度アップドラマ」に成り下がっている。いや成り上がっている? 全国の淑女たちは「新しいイケメンはいねが~」と常にナマハゲ状態でねっとりと見ているのだ。もうヒロインそっちのけ、というのが昨今の傾向である。

 今回のヒロインは、勝ち気なイメージが思いのほか強い広瀬すず。戦争で両親を亡くし、兄と妹と戦争孤児になるも、父の知人の好意で、はるか遠くの北海道に連れてこられて……幼少期にかなりの不運を背負わされつつも、気丈に、そして健気に振る舞い、「誰からも好かれる正しい女子」に成長している。

 可愛いし、うまいし、文句ナシ!と言いたいところだが、モヤモヤするポイントがふたつ。広瀬演じる「奥原なつ」というひとりの女性の行く末が、今から心配な点があるのだ。老婆心ながらオンナアラート鳴らします。

無意識の「いい子」ヅラ

 ヒロイン・なつは、父の戦友(藤木直人)の好意で、縁もゆかりもないのに酪農を営む柴田家に引き取ってもらった恩義がある。家業に貢献しなければ、という思いも幼少期から相当強い。早朝から牛の世話を手伝い、学校に通うことも一度は拒む。

 家出して一人で生きていくと決意したときの健気さと律儀さには、胸を打つものがあった。あったのだが、柴田家の長女・夕見子(子役時代・荒川梨杏→現在・福地桃子)との関係性から見てみると、「いい子でいなければいけない」強迫観念が強いことがわかる。

 牛の世話を嫌がり、牛乳を嫌い、大人びた発言と斜に構えた物言い、女として確固たる自信をもつ夕見子は、実に自由にのびのびと育っている。実の娘と養子の違いといえばそれまでだが、逆になつは「文句を言わず、いい子でいなければいけない」マインドを着々と課されているようで、気の毒だ。

 幼少期から周囲に気を遣い、無意識のうちに自分の意志や心を殺して誰かのために尽くす子は、将来心配だ。「誰かのため」というのは、転じて「誰かのせいにする」可能性も高いんだよなぁ、と思っちゃう。家事も育児も介護も、誰かのために、と思ってやっていても、誰も評価も感謝もしてくれず、そのうち人のせいにしてしまうのが定石だからな。

 農業高校で演劇部に無理やり入らされ、やりたくないのにほぼ主役を押し付けられる。それもこれも、農協加入を頑として拒否している養祖父(草刈正雄)のためだという。本当はやりたくないのに安請け合いしてストレスをためこむ、なつ。

 ただし、ここでも夕見子がいい形で提言する。「あんたのそういうところ、ホントつまんない。やるんだったら自分のためにやんなよ!」。夕見子ブラボー!と思わず拍手しちゃった。

 養子の引け目、なつの境遇と清らかな心はもちろんわかる。わかるけど、無意識にいい子ヅラを続けることは精神衛生上よろしくないなあ。境遇に関係なく、ちゃんと主語をもつヒロインになってほしい。今後はそこと闘ってほしいなあ、と強く願う。

男子ソーシャルの底意地の悪さ

 さて、もうひとつ。これはドラマの中の装置のひとつなのだと自分に言い聞かせてはいるのだけれど、どうしても気になることが。女子が少ない農業高校で唯一の女友達・よっちゃんこと居村良子(富田望生)と、なつの関係である。

 よっちゃんはふっくらした体型で、当然のことながら充分、自覚もしている。なつは親友のはずだが、よっちゃんの繊細なハートを何度となく傷つけているのだ。オンナアラート鳴らすよ、これは。

 まず、学校に遅刻したなつが、その理由をみんなの前で話すシーン。仮死状態で生まれた子牛に人工呼吸したことを説明するのだが、よりによってよっちゃんを牛に見立てて、再現したのだ。

 男子と人工呼吸するわけにいかない乙女心と配慮はわかるよ。わかるけど、牛をやらされるよっちゃんの乙女心がどれだけ傷ついたか、わかる? よっちゃんはオトナ対応で乗り切るが、その夜、きっと枕を濡らしたに違いない。

 しかし、その後もよっちゃんは何かと牛に例えられる。

 なつのせいで、演劇部に巻き込まれるも、はなから裏方採用を決めつけられる。全員の衣装を必死に作ったよっちゃん。そして、舞台にも立ったのだが、なんと白装束で白蛇役である。舞台上では「牛じゃないよ、白蛇だよーん」とおどけて笑いをとるよっちゃん。もう私は涙ナシに見られなかった。

 男子ばかりの演劇部、顧問も男性。なつもある意味、共犯で、男子ソーシャルにおける無意識の区分けと役割分担に異議を唱えない。その底意地の悪さにゾッとした。

 そんな中でもよっちゃんは自分の責務を果たし、しかも道化役も自ら引き受けたのだろう。よっちゃんの気持ちが痛いほどわかる。思春期のこういう傷って、本当は根が深いんだぞ。無事に公演が終わったあとで、よっちゃんが「気持ちよかった~」と笑顔だったのは救いだったけれど。 

 大人ソーシャルと男子ソーシャルの中では、無意識のうちにうまく立ち回る、なつ。こういう女の子が女だらけの女ソーシャルに入ったら、さぞや大変だろうな、と余計な心配をしてしまうのだ。

 いや、善人ぶった書き方だな。こういう女、個人的には好きじゃない。つうか苦手。つうか嫌い。批判覚悟で自分の思ったことを素直にぶちまける夕見子、小さな傷を常につけ続けられて自虐に走るよっちゃんに、つい思いを寄せてしまうのである。

 主役の今後を老婆心ながら心配させて、脇役の思いや生きざまにも寄り添わせる。つまり、ドラマとして大成功。面白いってことですよ。


吉田潮(よしだ・うしお)◎コラムニスト 1972年生まれ、千葉県船橋市出身。法政大学法学部政治学科卒業後、編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。週刊誌や新聞で連載をもち、幅広く執筆。『Live News it!』(アレコレト!コーナー、月・火・金)、『週刊フジテレビ批評』(フジテレビ)のコメンテーターも務める。著書に『産まないことは「逃げ」ですか?』など。6月に『親の介護しないとダメですか?』(KKベストセラーズ)、7月に『くさらないイケメン図鑑』(河出書房新社)刊行予定。twitter @yoshidaushio