昨年6月、銀婚式(ご結婚25周年)に際しての撮影で

 両陛下のご成婚当日に「新しい皇室の幕開けだと感じた」と話すのは、皇后さまと同世代で、ご成婚当時から25年以上も取材を続ける友納尚子さん。そんな彼女から語られたのは、陛下と雅子さまの知られざる“愛の絆”だった―。

「ご成婚当日は、パレードの直前まで雨が降っていたのですが、おふたりが乗るお車が出るタイミングで急に晴れ間が広がったことを覚えています。今回の5月1日の即位の日も、新天皇と皇后雅子さまが皇居・宮殿に出入りされた際も一瞬雨があがったので、彷彿とさせる思いでした。

 私は雅子さまと同世代ですが、とても美しく、経歴も実に華々しい。それは、雇用均等法で社会進出する新しい日本女性のモデルでもありました。同時に国際親善にもさらなる期待が持てる新しい皇室の幕開けだとも感じましたね」

'93年6月のご成婚パレードでは沿道に約19万人が集まった

 '93年、ご成婚時の雅子さま人気は大変なものだったと話す友納さん。

 公務をこなされていく一方で'01年、待望の長女・愛子さまを出産された。懸命に子育てに邁進されていたという。

「御所近くの公園に連れて行かれたり、外苑前のイチョウ並木を乳母車で散歩されていましたね。ほかのお子さんと接すると愛子さまがお元気になり、得るものが多かったようです。

 御所内で流す音楽は、以前までクラシックだったのを童謡にかえたり、絵本の読み聞かせもおやりになっていたそうです。一方の陛下は、お風呂に入れて差し上げたり、ミルクを作ってあげたり、役割分担ができていたのです

1歳の誕生日を迎えられた愛子さまと……(’02年12月)

 子育てに奮闘される一方で、「子育てばかりしている」という批判の声も上がった。そして'03年12月に『帯状疱疹』を発症、翌年6月に『適応障害』の診断を受けて療養に入られてしまった。

「'04年に2週間ほど軽井沢で静養されましたが、当時の雅子さまは疲れきっていて、体力や精神的にも大変だったので、移動すら難しかったそうです。

 そんな状況を見ていた上皇陛下は、雅子さまの妹さんが滞在していたスイスでの静養をおすすめされたり、美智子さまも乗馬をご提案なさったりして見守られていました。静養後は、定期的に乗馬をなさり、主治医の指導の下、妹さんご家族とディズニーランドにも行かれましたが、すぐに体調はよくなりませんでした。

 東宮御所では、壁にもたれながら愛子さまのお世話をされるなど、立ってすらいられないという過酷な状況だったそうです。ご病気の性質から自信がなくなられて、発想も悲観的になってしまわれたというのも理解できます

 公務をこなせない時期が続いたせいで、世間から批判の声が上がった。しかし、皇太子妃としてお務めを果たされようと、できる公務から続けてこられてきた。

「精神疾患というのは、根が深い病気で、周囲もこの病気をどういうものかを理解しなければなりません。

 雅子さまの場合、今までこなせなかった公務を、いつの間にかできるようになっている状態になることが回復したといえるそうです。

 天皇陛下をはじめ、東宮職にも支えられて、八大行啓を中心に予定は組まれていました。日帰りできる地方から足を運ばれるようになり、スケジュール内容もひとつからふたつ、それ以上と増やされていったのです。ご体調によって外に出るのが難しいときは、東宮御所内でのお務めが続くこともありました。東宮御所などの清掃活動を行う勤労奉仕団を大切にしていないのではなく、人からの見られ方に敏感になられていたことから、女子高生の団体から会釈をされていきました」

 療養中の雅子さまにとって、「オランダ」と「トンガ」への2回の海外訪問は、いい影響を与えたと友納さんは話す。

雅子さまのご静養を兼ねて、ベアトリクス女王がご一家をオランダに招待(’06年8月)

「どちらの外国訪問も、同行して取材しました。'06年のオランダ訪問は、ベアトリクス女王の招待を受け、雅子さまの療養も兼ねて行かれました。当時の雅子さまは、日本にいると、どうしても緊張なさる部分があったので、マスコミをシャットアウトした静かな環境が用意されたことは、とてもよかったと思います。

 朝は湖畔でご散策、昼間はレストランや動物園、広大で見事な植物園に行かれたり、プライベートが保たれる環境だったのです」

 '15年のトンガご訪問では、現地での歓迎ぶりが印象的だったという。

「国王の戴冠式に出席されたのですが、トンガの晴れ渡る天気と明るい人々からの声援は、マスコミの批判が続く日本とは対照的で“これはいいな”と感じましたね。

 現地の方だけではなく、教会で日本人もいるオーケストラの演奏が披露されるなど、すごい歓迎ぶりでした。

 日程の最後には、両陛下で海岸の岩山に足を運ばれましたが、とても仲むつまじいご様子だったといいます。短い時間でもプライベートが保たれた貴重な思い出となったのではないでしょうか」

 雅子さまが療養に入られてから15年が経過した現在、お出ましの機会が格段に増え、ご体調がV字回復されたといわれている。

 ご病気の雅子さまを常に支え、ここまで回復された功労者は間違いなく陛下の存在があったから。

「陛下は、ご結婚されてからずっと雅子さまをお守りしてきました。'99年に雅子さまが『稽留流産』されてしまったときも、寄り添われてご心配をされていたといいます。

 療養に入られてからも、陛下は“絶対に自分が治すんだ”という気迫がすごかったと聞いています。また陛下は“ことば”を大事にされています。頻繁に御用地の中を散策され、会話というコミュニケーションを大切にされてきたといいます。同時に雅子さまも会話を大事にされており、おふたりは強い信頼関係で結ばれていると思います。

 それは親子の間でも引き継がれているようで、陛下がパソコンや資料室で調べものをされているときには、愛子さまがのぞかれて会話につながっているそうです。陛下がいらっしゃったから、雅子さまもご回復に向かわれてきたのだと感じますね」

『令和』を迎えて新皇后になられた雅子さまだが、上皇后の美智子さまへの尊敬の念はとにかくお強いそうだ。

陛下ももちろんですが、雅子さまは上皇后美智子さまを本当に尊敬されています。

 上皇后美智子さまから何かアドバイスをいただいたり、何かをほめてもらうことがあれば大変なことだそうです。

 療養中に乗馬をすすめてくださったり、お食事会でも気を遣われてくださったことも、うれしかったそうですが、2年ほど前には“ゆっくり、焦らずにやっていきましょう”と助言をいただいたことがあったそうですよ」

昨年5月の日本赤十字社全国大会では、美智子さまが次期名誉総裁となる雅子さまを紹介されるようなシーンがあり、盛大な拍手が(日本赤十字社提供)

 外務省にお勤めになっていた雅子さまはたびたび“皇室外交”が悲願だと言われ続けているが、友納さんによると、今後はさらに国際親善のご活動に重きを置かれるとともに、次世代の活動を奨励されていくという。

「今後は国際親善の幅を広げられて、国内においては若者の将来につながるご視察や、慰問が増えるのではないかと思います。

 療養に入られる前、とある児童施設の子どもたちと交流されたときには、涙を流されていたことがありました。

 現在も小児リハビリセンターへの慰問をはじめ、若者の作文コンクールや被災地の中高生が参加した教育復興プロジェクト『OECD東北スクール』の活動を応援されています。

 上皇・上皇后両陛下が築かれた公務を引き継がれながら、お年寄りから若者の希望につながるご活動を重視されていくのではないでしょうか」