本人のパスポートで正式入国したのに、「他人だ」との認定で、スリランカ人のダヌカ・ニマンタさん(37)はもう1年10か月も法務省の入国管理施設「東日本入国管理センター」(茨城県牛久市。以下、牛久入管)に収容されている。
在日スリランカ大使館も「間違いなく本人」と証明するのに、日本政府は収容を解かない。このままでは、ダヌカ名義の本人パスポートが使えず、ダヌカさんは強制送還すらされずに生涯収容されるおそれがある。ダヌカさんは自身がダヌカと証明するため、3月1日、法務省を相手取り東京地裁に提訴。5月31日に第1回口頭弁論が開かれる。
堪え難い仕打ちの数々
1998年。ダヌカさんは16歳で初来日。ブローカーの「未成年では日本のビザを取得できない」との説明を信じ、成人のP氏名義の偽造パスポートで入国した。その後10年間、土木工事や溶接の現場で働くが、2008年、不法滞在が発覚し強制送還された。
このとき入管は、ダヌカさん所有のP氏名義のパスポートからダヌカさんをP氏と認識し、ダヌカさんも「面倒にならないように」と本名を明かさず帰国した。
この時点では、確かに、こうなった原因の一端はダヌカさんにもある。
ダヌカさんは帰国後、貿易会社を設立。そして'10年11月4日、「スリランカと貿易したい」という日本人Yとの商談のため再来日した。このときは本人名義の正式パスポートと90日間のビザを携え入国した。
Yの会社は詐欺目的の架空会社だった。Yはダヌカさんを3週間も軟禁し、500万円出資せよと強要。さらに、ダヌカさんの過去を知るYは警察と入管にダヌカさんを“売った”。
ここで起きた問題は、日本政府が指紋照合の結果、「P氏がダヌカ名義のパスポートで入国」と認識したことだ。ダヌカさんは強制送還されることなく、出入国管理法違反での刑事裁判を受け、懲役2年の実刑判決が下された。
事態が変わったのは、服役中の'12年。ダヌカさんが自分はダヌカであると訴えたことに、在日スリランカ大使館が「間違いなくダヌカ本人だ」との証明書を出した。これにより、日本政府も本人だと認め、ダヌカさんは無事に帰国できるはずだった。ところが─。
ダヌカさんは'13年3月までP氏として横浜刑務所で服役し、出所後も在留資格がないため、即時に東京出入国在留管理局(東京都。以下、東京入管)にやはりP氏として収容されたのだ。
そして、8か月後の11月にやっと「仮放免」される。
仮放免とは、在留資格のない外国人の収容を一時的に解くことだ。有効期限が1~2か月なので、仮放免者は随時、東京入管で更新手続きを踏まねばならない。
仮放免後、ダヌカさんは、服役と収容で失われた尊厳を取り戻すべく人権回復の裁判を起こす。しかし、スリランカ大使館の証明書が活かされず、裁判は敗訴。そしてダヌカさんへの「退去強制令書」(強制送還できること)が確定した。
さらなる不運は、係争中の'15年に出会い、婚約した日本人女性Aさんと引き離されたことだ。敗訴後の'17年7月6日、ダヌカさんが東京入管で仮放免更新手続きに臨むと、更新が認められず、その場で東京入管に収容されたのだ(数か月後に牛久入管へ移送)。
いつ出られるのか、まったくわからない
私は牛久入管でダヌカさんに2回の面会取材をした。
家族ですら手を触れることのできないアクリル板の向こうに座ったダヌカさんは憤りを隠さなかった。
「私はここではPと呼ばれます。スリランカ大使館から届く郵便物も、あて名がダヌカだから送り返されます。大使館が私をダヌカと証明しているのにですよ!」
ダヌカさんを苦しめるのは「いつ出られるのか」がまったくわからないことだ。ダヌカさんは仮放免申請を何度も出したが、すべて不許可。理由も一切非開示だ。
Aさんも「せめて仮放免しなければ、精神的に危ない。ダヌカは不安定な精神状態で昼食もほとんど食べず、体重は8キロも減りました。目の下の隈が真っ黒で、ああ、寝ていないんだとかわいそうです」と強い不安を抱いている。
その状況を打破するための提訴だが、Aさんはこう推測する。
「ダヌカをダヌカと認めれば、P氏としての扱いが間違いだったことになる。日本政府はメンツのため彼をダヌカと認めないのです」
メンツのための終生収容……、許されないことだ。
“五輪のために”排除される外国人
長期収容される外国人はダヌカさんだけではない。
日本には17か所の入管施設があり昨年末時点で、そのうちの7施設で1246名を収容。最多が東京入管の465名、それに次ぐのが牛久入管の325名だ。
牛久入管の被収容者の約8割が難民認定を申請した人たちである。20年以上も被収容者との面会を続ける市民団体『牛久入管収容所問題を考える会』の田中美喜子代表は、「牛久入管では半年以上の長期被収容者の割合が9割以上で、306人もいる。長い人で5年。すさまじい人権侵害です」と強く批判している。
1年以上収容の数字を見ても278人で、2013年2月時点の97人の3倍弱もの人数だ。これは、仮放免を出さないことを意味する。NPO法人『難民支援協会』によれば、牛久入管で'16年に許可された仮放免378件に対し不許可は375件。それが1年後には、仮放免224件に不許可が803件と、後者が断然多くなっている。
なぜ長期収容が増えるのか。牛久入管に問いただすと、職員は「上からの指示があるので」と回答した。
確かに指示はある。'16年4月7日付で当時の入国管理局長が全国の収容所長にこんな通知を出した(概要)。
《2020年の東京オリンピックまでに、不法滞在者等『日本に不安を与える外国人』の効率的な排除に積極的に取り組むこと》
さらに'18年2月28日には、《重度の傷病等を除き、収容を継続せよ》との指示を出しているのだ。
「確かに入管がよりひどくなったのは'16年です」
と話すのは、埼玉県川口市に住むウチャル・メメットさん(28)、トルコ国籍のクルド人だ。
クルド人は、トルコでは差別と弾圧の対象になっている。ウチャルさんも小学生のとき、クルド語をしゃべっただけで教師から殴られ、大人のクルド人も反政府デモへの参加だけで警察で拷問されることもある。
ウチャルさんは'08年、18歳で「平和な国」日本へと飛び、成田空港で難民認定申請をした。すぐに成田空港の収容施設、次いで牛久入管へと送られ、合計半年を過ごす。仮放免されると、'14年に日本人女性の嶋津まゆみさんと出会い、翌年1月に入籍した。
日本人との結婚でも、ウチャルさんに在留資格は与えられず、身分は「仮放免」のままだ。
5人が6畳に押し込められ……
そして'17 年11月2日、2か月ごとの仮放免更新のために東京入管を訪れると、職員から「更新が不許可となったので収容します」と告げられ、数秒後、10人ほどの職員がウチャルさんの全身を確保し、床に組み伏せた。そして、再び牛久入管で'18年7月6日まで収容されることになる。
この8か月はきつかった。面会に来るまゆみさんの手に触れることはできず、面会は30分だけ。1日数時間の自由時間以外は、5人の外国人が6畳の部屋に押し込められ施錠をされる。外出の自由はない。景色も見えない。
多くの人が、その閉塞感と明日が見えない不安から睡眠薬や精神安定剤を服用するが、私は牛久入管での面会取材でいくつもの拘禁反応を見聞きした。視線が合わない。口が開きっぱなし。身体を洗わない……。
取材中、ウチャルさんは「実は毎日、寝る直前まで外で過ごすんです」と吐露した。四方を壁に囲まれると収容の苦しさがフラッシュバックするのだ。まゆみさんも「仮放免更新のため彼と入管に行くと、怖くて涙が出てくる」と打ち明けた。夫妻は今年3月から心療内科に通い、心の安寧を取り戻そうとしている。
ウチャルさんがこれまで4回申請した難民申請はすべて不許可。そして法務大臣の裁量で特別に在留できる「在留特別許可」も、昨年末に不許可。ウチャルさんは5月10日、不許可撤回を求める裁判を起こすことを決めた。
人権哲学なき日本の入管。ある被収容者の言葉は入管問題の本質をついている。
「犯罪ならば刑務所での服役期間があらかじめ決まる。でも難民申請しただけの私たちが、なぜ3年も4年も収容されるのか」
この記事を機に、1人でも多くの読者がこの問題に関心を寄せることを願う。
(取材・文/樫田秀樹)
《PROFILE》
樫田 秀樹 ◎ジャーナリスト。'89年より執筆活動を開始。国内外の社会問題について精力的に取材を続けている。『悪夢の超特急 リニア中央新幹線』(旬報社)が第58回日本ジャーナリスト会議賞を受賞
《INFORMATION》
ダヌカさんの第1回口頭弁論は5月31日10時半~、東京地裁803号室。近況はツイッター『ぶるーの(ダヌカさんを支援する会)』を参照。アカウントは@gurifon5