「進むべき道が見えなかったので、当時の僕には1度立ち止まる選択肢しかなかったんです」
5月31日に主演映画『ライフ・オン・ザ・ロングボード 2nd Wave』が公開される吉沢悠(ひさし)。今回演じたサーファーさながらに、“休業”という形で1度、芸能界から逃げ出した彼自身のこれまでの役者人生を振り返ってもらった。
このまま仕事を続けたら潰れてしまうと…
’97年、吉沢悠(ゆう)の芸名でデビュー。事務所所属からほどなくして、人気ドラマに出演。その愛らしいルックスもあり、アイドル俳優に見られることも多かった。
「人前で何かをやるのが苦手な性格を克服するためにカラオケを始めたんです。通っていた店にオーディションのポスターが貼られていて、優勝特典のハワイ旅行目的でオーディションに応募しました(笑)。
その会場でスカウトされて演技を始めたのも表現がうまい人になりたいからというのが動機だったので、アイドルっぽく見られることには気恥ずかしさがありました。でも、お金をいただいているからには、求められることをしなくてはいけないと、街中で声をかけられたときは無理して笑顔で対応したり。でも自分にはもともとそういう要素がなかったので、世間とのギャップに悩むことはありましたね」
また「もともと器用ではない」性格もあり、ドラマ『動物のお医者さん』(’03年放送)で連ドラ初主演を経験したことで、1度、休業を考えるようになる。
「ありがたいことにデビューしてから続けて仕事をいただけたのですが、僕は準備に時間がかかるタイプ。社会経験もないまま、自分とは違う役を演じ続けた結果、僕自身のストックがなくなってしまったんです。そんな中、主演をやらせてもらったことで、少しパニックになってしまって……。このまま自分をコントロールできないまま仕事を続けたら潰れてしまうと思い、1回、立ち止まる決断をしました」
主演映画も公開され、最高の波が来ていたにもかかわらず’05年に休業。
「先輩たちからは“もう1回やろうと思っても、うまくいくほど甘い世界ではないよ”といったアドバイスもたくさんいただきましたし、すごく理解できました。でも自分が置かれた状況を理解できるのは自分だけ。なので休業後は環境を変えるために半年ニューヨークへ行くことにしました」
短期ながら留学したことで、自分を見つめ直せたと振り返る。
「会社の後ろ盾もなく、日本での俳優のキャリアも通用しない場所に身を置いたことで、ひとりの人間として何ができるか? ということを考えられたし、日本でガチガチになっていた頭を柔らかくしてくれました。ブロードウェイミュージカルを見たときに、自分もまた舞台に立ちたいなと思い、復帰することを決めました」
休業前と同じことをしてもダメだな
今回の作品の中で“人生にも波はある。波が来たら乗ったほうがいい”というセリフがあるが、自身もサーフィンをやる吉沢は、自分の過去をこう波にたとえる。
「大きくて形がいい波なら、長く乗ることができます。でもその波に乗る腕がなければ、逆に波に飲み込まれてしまい、死の危険もある。僕の場合、大きな波が来たときに、僕が乗れるタイミングではなかったんですよね。
でもその波を逃したことで大きな波の存在も知れたし、今度来たときに乗りたいと思えるようになれました。だから当時の選択は、振り返ってみても間違ってなかったと自信を持って言えます」
1年間の休業を経て、現在の事務所へ移籍。事務所と自身の方針が一致したこともラッキーだったと微笑む。
「吉沢悠(ゆう)の時代があってこそ今の僕がありますが、休業前と同じことをしてもダメだなという思いもあって。30代になってから、舞台に多く出演させていただいた年もあったんです。そしたらスタッフに“役者人生の中で、そういう時期があってもいい。役者として採用しているんだから”と言ってもらえて、うれしかったです」
40代になって肩の荷が下りた
30代半ばには焦っていた時期もあったというが、昨年40代に突入したことで、気が楽になったとか。
「舞台の稽古中に40歳の誕生日を迎えたのですが、共演の吹越満さん、堀部圭亮さんたちに“40代はどう?”と聞かれ、“肩の荷が下りた気がします”と言ったら、吹越さんにニヤッとしながら“50代はもっと楽になるよ”と言われました(笑)。だから年齢を重ねていくのが楽しみです」
30代から40代になるタイミングで撮影が行われた今回の作品。
「人との出会いや運などが重なって波は起こるので、ひとりでは大きな波を起こせないということに気づきました。海や自然と向き合うことで気づかされることは多いので、この映画を通じてみなさまに何か感じてもらえたらうれしいですね」
出演/吉沢悠、馬場ふみかほか
5月31日より新宿バルト9ほか全国ロードショー