テレビドラマ化もされたベストセラー『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズで知られる三上延さんの新作の舞台となるのは、かつて実在した『同潤会代官山アパートメント』という集合住宅。ここに住む竹井光生・八重夫妻からはじまる4代にわたる家族の物語を描いた連作短編集だ。
集合住宅を舞台に
昭和の暮らしを描く
「最初の『月の砂漠を』は、掲載誌(『yom yom』)で『ふたりぐらし』というテーマの競作企画があって、そのために書いた短編です。昭和の人たちの暮らしを書きたいと思って、八王子にあるUR都市機構の集合住宅歴史展示棟を見学に行きました。ここで同潤会代官山アパートを見てイメージが湧いたんです」
同潤会アパートは、1923年に発生した関東大震災の復興支援として、鉄筋コンクリートで造られた集合住宅だ。東京の青山や江戸川など、16か所に建設された。
「同潤会アパートは電気や水道、水洗式便所など当時最新の設備を備えた、近代的な集合住宅の先駆けでした。私自身が2歳まで団地に住んでいたこともあり、同潤会アパートにどこかノスタルジーめいた親しみを感じていたんです」
代官山アパートは1922年に竣工し、'96年に解体されたが、物語はその間の10年ごとを描いている。
「竹井光生は関東大震災で大事な人を亡くした経験から、防災に優れた集合住宅に住むことを決めます。1作目を書いたのは、東日本大震災の2年後だったので、そのときの気持ちも反映されているのかもしれません。
物語を10年ごとに1話としたのは、その時代ごとの状況を背景にできるからです。また、1話ごとに語り手を変えることで、家族の歴史が受け継がれていく様子を描けるのではと考えました」
10年ごとにしたことで、第2話『恵みの露』は戦争の影が国内でも感じられるようになった時期、第3話『楽園』は終戦の2年後というように、空襲の場面などの生々しい描写は直接出てこない。
「別にそういう場面を書くことを避けたわけではないのですが、少し後になって大きな出来事を回想する形式になっていますね。それに、『楽園』で戦争に行った俊平ではなく恵子の視点で書いているように、当事者を見守る人の気持ちを描きたかったんです」
自分の家族に重ねて
物語を読んでほしい
この作品を書くために、三上さんはさまざまな資料を集めたという。
「以前から古本屋で戦前の雑誌『主婦之友』を集めていましたが、ここに載っている当時の服装や料理のレシピがとても役に立ちました。いろんな資料を読みあさって、そこから核になるものを見つけて作品に生かしています。
例えば、『楽園』では、この年に公開された黒澤明監督の『素晴らしき日曜日』を2人が再会するきっかけに使いました。また、第5話『ホワイト・アルバム』はビートルズのアルバムを小道具にして登場させ描いています。私自身がビートルズの中でいちばん好きだということもあるんですが(笑)」
時代の変化に伴って、代官山アパートが変わっていく様子も描かれる。
「八重は入居したときには無機質なアパートを嫌っていたのに、長年住むうちに改築することに違和感を抱きます。変化することはしかたないとしても、納得してから変わりたいという彼女の気持ちは、私自身のものでもあります。なかなか新しいことに踏み切れないところがあるんです」
第6話『この部屋に君と』では、年老いた光生が最初に住んだ3階の部屋にもう1度行きたいと願う。この部屋に家族みんなが集まる場面はとても印象的な描写だ。
「場所と登場人物を結びつけるのが好きなんでしょうね。私は小説を書く前に、舞台となる建物の間取りを考えるんです。自分がこれまで住んだり見たりした建物を参考にします。そうすると、その人物のイメージが湧いてくるんです。こういう話のつくり方をする作家は珍しいかもしれませんね(笑)」
この連作で象徴的に使われるモノが“鍵”だ。
「いろんなところにちょっとずつ出していますね。鍵は大事なものですし、たとえその家がなくなっても思い出となるものです。八重がひ孫の千夏に鍵を渡す場面は、部屋を譲るとともにバトンを渡したという気持ちも含まれています」
千夏は代官山アパートの最後の住人となり、建物の解体を見届ける。
「この出来事が起こる2年前には阪神・淡路大震災が発生しています。代官山アパートは、関東大震災の復興として生まれ、戦争を経て、この時期に役割を終えたわけです。ほかの同潤会アパートも前後して解体されていますね」
いつの時代にもある家族の物語を書きたかったと、三上さん。
「読者には、自分の家族や一緒に住んできた家のことと重ねて読んでもらえたらと思います。自分と似ているところを見つけて、思い思いに楽しんでもらえたらと思います」
ライターは見た!著者の素顔
デビュー前には古書店に勤めていたこともある三上さん。「古本は前の持ち主の痕跡が感じられるのが楽しいですね。古い児童雑誌を買うときは、あえて落書きがあるものを選びます(笑)」。本好きにとっては増えていく本の置き場所が悩みどころだ。「最近、自宅に書庫をつくりました。家族とはここから外には本をはみ出させないと約束したんですが、いまからちょっと不安です」と苦笑いする。本は三上さんの生きがいであり、創作の原動力でもあるのだ。
(取材・文/南陀楼綾繁)