「彼は叫び声を上げるでもなく、怒鳴り散らしているわけでもなく、無言でした。だから子どもたちは気づかなかった。子どもたちは、犯人を背にしスクールバスのバス停を見ているから、後ろから走りながら切りつけてきている犯人が視界に入っていない。“キャー”とか“痛い”と聞こえて、(子どもたちは)それぞれ初めて後ろを振り向いた」
私立カリタス学園の倭文覚教頭は、事件発生時に見た光景をそう振り返る。
首から大量の血を流していた
60代の男性は、直後、
「『通り魔だ!』という叫び声を聞きました。見てみると、子どもが数人倒れていました」
事件現場近くに住む70代の男性は、
「“ギャー”という聞いたことがない悲鳴が聞こえてきた。路上に子どもたちが倒れていました。時刻は7時45分くらいだったと思います」
5月28日午前7時40分ごろ、川崎市多摩区登戸新町の路上で、スクールバスを待っていた私立カリタス小の児童ら20人が殺傷される事件が起きた。
「小学校1~3年生までは必ずスクールバスで通います」(20代の同校OG)という現場は修羅場と化し、多くの目撃者は、怖がる子どもたちの表情、悲鳴を上げている子、途方に暮れて立ち尽くす大人たち、「お母さん頑張れ」という声、お腹を刺されている女の子、“お母さん”と助けを求める子、担架で運ばれる女の子の手をずっと握っている女の人……をなすすべもなく見ていた。そんな中に、犯行後に自殺した岩崎隆一容疑者(51)の姿も目撃されていた。
「バス停の前で倒れていました。丸刈りの頭で、黒のTシャツを着ていて、両手には何も持っていませんでした。首から大量の血を流していて、時折、頭が動いていました」(前出・70代男性)
岩崎容疑者は事件現場から直線距離で約4キロ、小田急線読売ランド前駅から徒歩で約15分に位置する築約60年の木造住宅に、80代になる伯父夫婦と3人で暮らしていた。
事件の数日前に岩崎容疑者を見かけたという近隣住民は、
「両手に買い物のビニール袋をぶら下げて帰宅するところを見ました。髪は白髪まじりで、長くて耳までありました」
と証言する。
岩崎容疑者と同年代の近隣住民は、
「両親が離婚したため、小学校入学前に父親の兄の家に預けられた。伯父夫婦と伯父夫婦の長女(容疑者より4歳ほど年上とみられる)と長男(同じく3歳ほど年上とみられる)と一緒に住んでいました」
と家族関係を説明し、
「上級生と走り回ったり、野球をしたりしましたが、体力的についてこられないと、泣きはしなかったけどひとりで家に帰ったり、家の前でポツンと座っていたりしましたね」
と振り返る。親に捨てられ、親戚に預けられた少年は、近くの公立学校に通っていたが、同居するいとこは名門私立カリタス小に通っていた。格差がすでに、岩崎容疑者に巣くっていたのだ。
スイッチとなった言葉
こころぎふ臨床心理センターの長谷川博一センター長は、犯行動機について、
「学校や学校関係者への復讐心が強い。学校があるから家族からこういう扱いを受けて、今でも悶々と苦しんでいるんだ、と。親から見捨てられた容疑者にとって、幸せ=カリタスだったと考えられます。いとこが今幸せに過ごしているのもカリタスだから。そういうふうに視野が狭くなった可能性はあります」
と指摘し、さらに踏み込む。
「昼間は部屋にこもりながら、悶々とそのことばかり考えてしまうという、思考がスパイラルに陥っていた。差別的に傷つけられた自分といとこの違いを生んだのは学校。学校を出るか出ないかによって、こんなに違ってしまったととらえたのではないか」
犯行時、ほかの学校の集団に見向きもしなかった岩崎容疑者は、無差別殺人を企てたのではなく、子どもたちを狙ったのでもなく、カリタスを体現している子どもや保護者を狙った─。その引き金があった、と長谷川センター長は、次のようにみる。
「実行に移る前に、何らかのトリガーがあった。それが(伯父夫婦からの)手紙です。その中にあった『ひきこもり』という言葉がスイッチになっている。育ての親に強い口調で言い返していますから」
容疑者の親族は、面談で8回、電話で6回、都合14回、川崎市に相談していたという。先月29日に記者会見した川崎市は「長期間、就労せずに、ひきこもり傾向にある」「伯父と伯母に介護サービスを受けさせたいが、外部の人が家の中に入ったときの(容疑者の)反応が心配だ」といった相談を受けていたことを明かした。
伯父夫婦は川崎市の提案に従い今年1月、手紙を書き、岩崎容疑者の部屋の前に置いたという。
その反応は「自分のことは自分でやっている。食事や洗濯も自分でやっているのに、ひきこもりとはなんだ」という怒りに満ちた返事だった。
80代の伯父夫婦に51歳の岩崎容疑者。典型的な『8050問題』が内在する家だった。コミュニケーションは限りなく少なく、職にも就かず、伯父夫婦がお小遣いを渡し、伯母が冷蔵庫に作り置いたおかずで、ひとりでご飯を食べる生活……。スマホもパソコンもなく、外部との接触はゼロ……。そこに岩崎容疑者の何かをえぐる手紙。
「引きこもり=危険」ではない
「コミュニケーションがない中で、親から正論を突きつけられると、多くの場合が爆発するしかない」
そう明かすのは、新潟青陵大学大学院の碓井真史教授(犯罪心理学)だ。
「中高生が不登校になると親が心配しますが、中高生には未来がある。それが30、40、50となると、そうはいかなくなる。学校に入り直すことも難しく、正社員での就職も厳しい。そうなると八方ふさがりで、ひきこもりになってしまいがちです。
親も、自宅に中年のひきこもりがいるとは人には言えない。とても恥ずかしい、と地域からも疎遠となり、二重のひきこもり状態になってしまいます。
ひきこもっていると、自分自身に意識が向いて、理想と現実のはざまで苦しみ、自分はダメ、みんな殺して俺も死ぬ、そんな思考が出やすい」
伯父伯母の手紙に、岩崎容疑者は激しく爆発し、
「興奮状態になって犯行計画を考えるようになったのではないでしょうか。今回のことを考えついたのは、この手紙のやりとりをした後と考えられます」(前出・長谷川センター長)
40歳から64歳までのひきこもりの推定人数は約61万人。前出・碓井教授は、
「ひきこもり=危険ではありません。ひきこもりだからやったわけではないと思いますが、ひきこもっていなければ事件は起きなかった」
ときっぱり。そして、
「(ひきこもりの当事者と)手を取り合っていく雰囲気づくりに社会が取り組むことが、悲劇を起こさないためにも必要です」
前出・長谷川センター長も、
「中高年のひきこもりに対する法整備も必要だと思います」
岩崎容疑者が何を抱え込み、なぜ爆発させたのか。
真相は闇の中だ。