まさに、サムライのような人だ。その凛としたたたずまい、目力の強さ、そして、何よりストイックな生きざまが常人離れしている。
松尾晴美さん(46)は犬の訓練士だ。昨年秋まで暮らしていた長崎県で10年間、自ら育てた警察犬とともに行方不明者などの捜索に従事。たくさんの命を救ってきた。
幕末の志士、吉田松陰の影響
警視庁など直轄の警察犬がいるところもあるが、長崎県の場合、嘱託だ。審査会に合格した民間の犬と訓練士が、嘱託警察犬と嘱託警察犬指導手として、警察の要請を受けて現場に赴く。
松尾さんはシングルマザーとして2人の娘を育てつつ、警察から依頼が来たらすぐ動けるよう枕元に電話を置き、洋服を着たまま寝ていた。
身長160センチ、体重42キロ。スラリとして華奢だが、常に両手両足に3キロの重りをつけて生活していたというから驚く。
「鍛えていたんです。犬と一緒に捜索に行くのは山が多いので、身体が動かなかったらダメ。山に入る前に鉄の重りをはずすと、パーッと飛べるように歩けるんですよ」
それでも、ケガはしょっちゅう。崖から落ちて右ひざを骨折したこともある。
「犬は崖があってもピューンと飛ぶじゃないですか。私も行けると思って一緒に飛んだら、ボトッと落ちて(笑)。いまだに痛みますが、自分の勲章だと思っていますよ」
松尾さんの捜索にかける熱意はすごい。その根底には、幕末の志士、吉田松陰の影響があるという。
〈身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂〉
捜索に向かうときはいつも、この松陰の辞世の句を口ずさんでいた。日本のために行動し若くして処刑された姿に感銘を受け、わが身を重ねて自分を鼓舞していたのだ。
「松陰が詠んだように私の魂は残り続けるから、もし、捜索中に山の中で死んでも悔いはないと思っていました」
真剣な眼差しで、キッパリと言い切る。
松尾さんはこれまで約100頭の警察犬を育てたが、なかでも8年間一緒に働いたグレースは、かけがえのない相棒だった。シェパードのメスで、とても賢い。捜索の電話がかかってくると気配を感じ取り、自分から車の後ろで待機。松尾さんがドアを開けると飛び乗ってきた。
3月初めに高齢の男性がいなくなったという通報を受けて近くの山を捜索したときのこと。犬の嗅覚はすぐれており人間の1億倍の匂いを感知できる。グレースは男性の匂いをたどり、谷間をどんどん下りていった。
「帰れなくなるかも……」
松尾さんが不安になるほど下降したところで、うずくまっている男性を見つけた。
「大丈夫ですか?」
松尾さんが話しかけると、かすかに声を出したが、身体は冷え切っている。
機動隊を呼んで到着を待つ間、松尾さんは自分の身体に何個も貼っていたカイロをはずして男性の身体に貼った。グレースは添い寝するように横たわり男性を温めた。
1年後、救助した男性の息子から電話があった。
「父は“犬に助けてもらった命だから大事にしたい”。認知症が進んだ今でも、そう言っているんですよ」
それを聞いた松尾さんは、涙が止まらなかった─。
感謝状は10枚以上
実は、捜索した当時、グレースはがんに侵され、痛みもかなりあった。電話がかかってきたとき、松尾さんは依頼を断ろうと思っていた。
「そうしたら、まあ、偶然だったのかもしれませんが、グレースが薬の入った袋を持ってきて、私の足元に置いて伏せをしたんですよ。私は涙が出てきましたね。その薬を飲んだら痛みがおさまるって、わかってたのかな……。それで結局、出動して、おじいさんを見つけたんです。
動物との別れは何度も経験しましたが、グレースとは一心同体でしたから、あの子が死んだときは自分の腕をもぎ取られたような気持ちで、本当につらかったです」
長い間、ともに捜索に携わった男性は、松尾さんのことを「男よりも男らしい女性ですよ」と話す。
「お年寄りがいなくなったときなど、早く見つけてあげないと命にかかわりますから、雨が降っていようが夜中だろうが捜索に出る。警察や消防は道沿いしか探せないけど、松尾さんは“私たちは犬が連れて帰ってくれるから大丈夫です”と言って弟子と深い山にも入っていきます。何が何でも見つけるんだという気持ちが人並みはずれて強い。訓練中に肩の関節を何回もはずしたと聞きましたが、鬼気迫るものがありましたね」
マンションのそばで転落遺体が発見されたときも、グレースが活躍した。その人の匂いをたどり、自分の足で屋上まで歩いて行ったと判明。検視の結果とあわせて、誰かに落とされた他殺ではなく、投身自殺だったとわかった。
こうした警察からの要請は多いと月に3、4回はあった。謝礼は1時間約3000円(長崎県の場合)ほど出るが、それだけでは生活できないため、指導手は定年退職した60歳以上の人が務めるケースが多い。
松尾さんは家庭犬の出張訓練などで生計を立てつつ、24時間待機した。2009年には長崎県で捜索出動回数1位に。県内各地の警察署などから授与された感謝状は10枚以上にのぼる。
「本当にこんなにもらっていいのかと思うくらい表彰していただいて。うれしくはありますが、賞状は別にいらないと思っていました」
意外な言葉に理由を聞くと、こともなげに言う。
「人を助けるのは当たり前のことなので」
それでも、わが身を危険にさらしてまで続けたのはなぜか。重ねて問うと、こんな答えが返ってきた。
「みんなに“大変だね”と言われましたが、全然大変だと思っていなかったんです。むしろ、私が人を助けに行けるのはありがたいって、感謝の気持ちでいっぱいでした。
私自身、たくさんの人に助けてもらった命なので、誰かのために何かをしたいという使命感が、幼いころからずっとあったんです」
生き物とともに育った幼少時代
長崎県佐世保市で生まれた松尾さん。生後すぐに新生児メレナを発症した。ビタミンKの欠乏などによる胃腸からの出血が続き大量に吐血。
「この子は助からない」
医師から、そう宣告されたほど容体は重篤だった。
治療には長期にわたる輸血が必要だが、両親は血液型が合わない。輸血に協力してくれる人を探すため、ラジオで呼びかけた。
半年間、保育器で過ごして退院。その後は順調に成長したが、消化機能が弱いため、ご飯1膳分も食べられない。泣きながら食べたが、ガリガリにやせていた。今でも、少しずつ食べないとすぐにお腹が張り、具合が悪くなってしまうそうだ。
公務員の両親と3歳上の兄と4人で暮らした家は海にも山にも近く、豊かな自然に囲まれていた。庭も広く番犬として、松尾さんが生まれる前から犬を飼っていた。
母親の前田ヨシエさん(74)は「晴美は本当に変わった子どもでしたね」と振り返る。
山に行けばトンボや虫を見つけて手に乗せてジッと観察する。動物は何でも好きで、見るとすぐに寄っていく。
近所にドーベルマンを2頭飼っている酒屋があり、「危ないから来たらいけん」と飼い主に止められても近づき、ペロペロなめられて喜んでいたのを、ヨシエさんは覚えている。
「晴美の背丈の何倍もある大っきな犬ですよ。見ているこちらは怖かったですよ。いつも動物とは会話していたけど、人間のお友達は大きくなるまでいなかったです。
心配といえば心配だけど、病気をしたとき、もうこの世では生きられないと覚悟しましたからね。助けてもらった命だから、この子が好きなように生きればいいと思っていました」
初めて自分で生き物を飼ったのは4歳のときだ。ご飯を頑張って食べたご褒美にと父が2羽の文鳥を買ってくれた。
松尾さんは太郎と花子と名付け、餌をやって毎日世話をすると、よくなついた。
だが、育て方がよくわかっていなかったこともあり、死なせてしまった。
「もう、泣いて、泣いて、泣きました。死んだものは帰ってこない。命が消えるってどういうことか。命は本当に大事にしないといけないと、4歳で学びましたね」
小学2年の春、運命を決める出会い
小学生になるとクラスの女子たちは可愛い文房具を買ったり、アイドルに夢中になったりしたが、松尾さんは全く興味がなく、友達と遊ぶこともしなかった。
かわりに小遣いを貯めては、ウサギ、ウズラ、アヒルなどさまざまな生き物を買ってきて、自分の部屋で育てていた。巣から落ちた鳩の卵を拾ってきて、布団の中で温めて孵したこともある。
「動物の、獣の匂いが好きなんですよ。私が鳥や小動物を買っていたお店は入ると匂いがすっごい。一般の人は “臭い臭い”とすぐ外に出てしまうけど、私はずーっとそこにいて、目をつぶって眠れそうなくらい好きでした。
特に好きな動物ですか? やっぱり犬ですね。犬を抱っこするとお日様の匂いがするじゃないですか。なぜかすごく懐かしいような気がして」
家ではかわるがわる何頭もの犬を飼っていたが、松尾さんの心に深く残っているのはジョニーだ。シェパードのメスで、性格は穏やか。松尾さんはジョニーを連れて、よく裏山に行った。木のかげなどに松尾さんがサッと隠れ、小さな声で名前を呼ぶと、一生懸命探すのが面白くて、何度もかくれんぼをした。
「子どものころから捜索訓練をしていたんですね(笑)。おかげでいろいろ研究できました。表情を見ていると犬の集中力は7分くらいしか続かないとわかったし、犬に教えるときは言葉だけでなく手でジェスチャーを加えると、2倍早く覚えるんです」
訓練士になってから、アメリカ人研究者の本を読んでいるとジェスチャーが有効だと書いてあり、「間違ってなかった!」とうれしくなった。
運命を決める出会いがあったのは小学2年生の春だ。
テレビドラマ『刑事犬カール2』の放映が開始。女性警察官と警察犬が活躍する話に松尾さんは心奪われた。
「人のためになるし、犬も好きだし。私、これやろう!」
中学生になっても動物好きは変わらず、部屋に水槽を入れてピラニアを飼ったりした。
「そのころ、動物に関わる仕事をしたいと父に言ったら、 “食べていけない”と反対されて。動物を好きになっちゃいけないと言われているみたいで、すごく苦しくて、葛藤しました」
ペットブームの今と違い、30年以上前はペットショップや動物病院も少なかった。長崎県には警察犬訓練所もなく、獣医は男の仕事というイメージが強かった。
佐世保市内の女子高に進学。やっぱり動物からは離れられないと思い、図書館で情報を集めた。警察犬の本を借り、名簿に載っている訓練所に片っ端から電話をかけた。
高校卒業後、千葉県の警察犬訓練所で、3年間住み込みで働きながら学んだ。
借金のある髭ぼうぼうの男性
警察犬の訓練は早朝から始まる。前夜、木などに匂いを点々とつけておき、夜明けとともに捜索開始。朝は空気が澄んでいて、犬の直感が鋭いため探しやすいからだ。
1、2時間で戻ると、一般家庭の客から預かっている犬を犬舎から出す。「飼い犬にかみつかれた」「ひどく吠えられた」など、手に負えなくなった飼い主から依頼された犬たちだ。「伏せ」「待て」「来い」など服従訓練をしていく。
9時から昼をはさんでしばらく休憩。夕方、再び犬たちを犬舎から出してトイレをさせる。就寝は夜8時だ。
「おじいちゃん、おばあちゃんと同じような生活サイクルですよね。だから、出会いもない(笑)」
ところが、意外なところに出会いがあった。
千葉から長崎に帰省中のこと。公園を通りがかると、1度ナンパをされて無視したことのある男性が、今にも死にそうな顔でベンチに座り込んでいる。松尾さんは思わずジュースを渡して話しかけた。
男性は自営業の仕事をしていたが、友人の借金を肩代わりさせられて多額の借金があると言う。松尾さんと話すうちに男性は元気を取り戻し、もう1度、やり直してみたいと言いだした。
これが、7歳上の夫との馴れ初めだ。
「両親に紹介したらビックリして、お母さんなんかバターンって倒れましたもの(笑)。でも私、弱っている人を見たら、見捨てられないんです」
21歳で結婚。松尾さんは結婚後も千葉の訓練所に通って学び、動物看護士、日本警察犬協会公認訓練士など、資格を次々と取得した。
21歳で長女を、25歳で次女を出産。母のヨシエさんは仕事を辞め、娘が留守にするときは泊まり込んで、孫たちの面倒を見た。
「やっぱり晴美は変わり者ですよね(笑)。髭ぼうぼうのワイルドな男で、あえて借金のある人を好きになったんですから、ビックリしましたよ。
だけども、生まれてきた孫は2人とも、すごく可愛かったんですよ。それに晴美が病気をしたとき、“健康に産んであげられなくてすまないね”と私の責任みたいに感じましたから。そんな娘が一人前に結婚して、子どもも生まれて。私を必要とするなら、何でもやってあげようと」
結婚後、夫は溶接の仕事をして借金を返し、数年後には家も建てた。松尾さんは自宅で警察犬を育てながら、家庭犬の出張訓練をして、千葉への旅費を稼いだ。
そして、32歳のとき、夫が仕事をするために建てた作業場の半分を使い、自分の訓練所を作った。
「自分にはとことん厳しく、人にはやさしく」
2007年に長崎県警察本部嘱託犬指導手に合格。自分で育てた警察犬と捜索に携わるようになった。翌年には松尾警察犬訓練所を設立した。
だが、平穏な日々は長く続かない。夫が42歳の若さで、脳梗塞により急死─。
松尾さんは36歳、長女は中学3年生、下の娘は小学5年生だった。母のヨシエさんが一緒に住んで助けてくれたので、松尾さんは「自分が父親役をする」と決め、落ち込む暇もなく働いた。
さらに後進を育てるため、訓練士を目指す若い女性を住み込ませて指導した。嘱託警察犬指導手の資格を取らせた弟子は7人にのぼる。
松尾さんのモットーは、「自分にはとことん厳しく、人にはやさしく」。3年前に弟子入りした家村裕美さん(34)に聞くと、頭ごなしに怒ることなどなく、いつもニコニコしていて、ていねいに指導してくれるという。
「先生はやさしいんですが、内に秘める情熱がすごい。人を救いたいという気持ちが強い方なので、私もそれに共感して弟子入りしました。犬のことになると、可愛がるだけじゃダメだとか、いつも熱く語っていますよ」
犬を育てるうえで大切なことは何か。
松尾さんに聞くと、「愛情と絆です」と即答した。
「“よくやったねー”と言いながら、身体全体でしっかりと抱きしめてあげると絆が強くなります。それは動物も人間も同じです。娘たちのことも、出かけるときと帰ってきたときはギューッと抱きしめていました。だから、いまだに会うと、“お母さん”って抱きついてきますよ。私の師匠は動物です。動物がいろいろ教えてくれたんですね」
逆に、叱るときは、「コラー!」とお腹の底から低く太い声を出す。厳しく叱った後はほめるなど、メリハリが大事なのだと強調する。
「あのね、間違えたことがありますよ。“座れ!”と娘たちに言ってしまい、“お母さん、犬じゃない”と(笑)」
次女の祐里亜さん(20)に当時の様子を聞いてみた。幼かったこともあり、松尾さんが家を留守にすると「めっちゃ寂しかった」と言う。
「お母さんには内緒で泣いてましたもん。でも、帰ってくると必ずギューッとしてくれたから安心感はありました」
お母さんのことが大好きだという祐里亜さん。朝早く出かける松尾さんについていき、広い公園で犬を訓練する様子をよく見ていたそうだ。
「デッカイ声で“来い!”とか訓練している姿は、めっちゃカッコよかったですよ。家にいるときは甘やかしてくれる普通のお母さんなのに、犬のことになると本当に必死で勉強して。憧れはあったけど、跡を継ごうとは思わなかったです。私には無理です。あれは、お母さんだからできたんだと思います」
「今度はお母さんが幸せになって」
2013年には、日本警察犬協会より、警察犬を多数育てた実績が認められ、訓練実績最高位賞を受賞。全国トップに輝く。
松尾さんと警察犬が手柄を立てると、地元の新聞などで大きく紹介された。人気バラエティー番組の『世界一受けたい授業』や『ヒルナンデス!』などテレビにも多数出演。メディアで取り上げられると「松尾さんのような訓練士になりたい」という問い合わせが全国から相次いだ。
2015年からは松尾さんが育てた爆発物探知犬5頭が成田空港に配備されて活躍している。2020年の東京五輪開催を見据えて警備を強化したいという要望に応え、火薬の匂いを嗅ぎ分ける訓練などをした。
ほかにも、他県の警察から警察犬の指導を頼まれたり、自衛隊や企業などから警備犬の訓練を依頼されたり。多忙を極めていた昨年9月、松尾さんは訓練所を閉めた。
10年も続けたのにもったいない気がするが、最初から「下の娘が高校を卒業したら訓練所をたたもう」と決めていたのだという。
「あそこの家はお父さんがいないから……という目で見られたくなかったし、子どもを自立させるまではと無我夢中で駆け抜けてきたんです。
それに、これからはもっと時間を作って親孝行がしたい。父はもう亡くなっていますが、母に恩返しをしたいんです。愛情たっぷりに育ててもらったし、特に私が主人を亡くしてからは、母は私のために自分の人生を棒に振ったんじゃないかと思うくらい、支えてもらいましたから」
訓練所を閉鎖する少し前に、松尾さんは実業家の男性と再婚。夫の暮らす神奈川県に転居した。
実は、再婚を後押ししたのは娘たちだ。
「お母さん、もういいよ。今度はお母さんが幸せになって」
そう長女にすすめられて会ったのが、今の夫だ。
松尾さんが注目を浴びることについて、夫は何も言わず、普通に接してくれたのが、心地よかったそうだ。
現在は神奈川、東京、長崎を中心に、家庭犬を集団で教える犬の保育園や個別に教える出張訓練を、弟子の家村さんとともに行っている。
きちんと訓練されていない犬が多く、手に負えなくなって保健所に持ち込む人が後を絶たない現状に、心を痛めているからだ。
「海外では犬の訓練は当たり前です。でも、日本人はしつけをするのは、かわいそうだとか言う。だから、飼い主をかんだり、吠え続けたりするバカな犬が多いんです。
グレースも最初は本当にダメな犬だったんです。生後4か月で引き取ったときは朝から晩までずーっと吠えていて、警察犬にすると言ったら、笑われましたから。それが、きちんと愛情をかけて訓練したら、長崎で出動回数1位になったんですよ。しつけがいかに大切か、みなさんに知ってほしいです」
涙は自分へのご褒美
都内の公園で行われた訓練の様子を見せてもらった。
「待て! 待てだよ」
犬たちが騒ぎ始めると、松尾さんは低く鋭い声で一喝した。見知らぬ犬に向かってワンワンと吠えたて、グルグルと動き回っていた犬たちが、ピタリと動きを止めて松尾さんを見る。
「そうだよー。いい子だね」
一転して、高くやさしい声で大げさなくらいにほめる。犬たちの首筋をなでると、落ち着きを取り戻した。
ペキニーズのプルート(4歳=オス)とカロン(2歳=オス)を連れてきた坂本さん。プルートはイヤイヤがひどく散歩に連れて行っても歩かず、人をかむ癖もあった。3年前から保育園と出張訓練の両方で指導を受けている。
「ペキニーズは言うことを聞かないことで有名ですから、あきらめていたんです。それが初めて松尾先生のところに連れて行った日に、ちゃんとお座りして、先生とアイコンタクトとって。全然うちの子じゃないみたいでビックリしました(笑)」
ウエルシュコーギーのメロン(8歳=メス)は訓練歴1年。飼い主の亀井さんに聞くと、メロンは人間が大好きで犬が嫌い。ほかの犬が近くに来るだけで、ひどく吠えた。「お座り」や「待て」はできるのに、「伏せ」ができないのも悩みだったという。
「うちは4匹いたんですが、どの子も伏せだけはできなくて。ネットでやり方を検索していろいろやらせてみたんですがダメで。でも、先生に絶対にできるからと言われて訓練を続けていたら、初めて、できるようになったんですよ」
松尾さんによると伏せは服従訓練の基本で、伏せができると落ち着いた犬になり、ほかの指示にも従えるようになっていくのだという。
田中さんは柴犬のダイズ(5歳=オス)を飼って3日後に松尾さんに依頼し、一からしつけてもらった。
「訓練をすると知恵もつくので、気に食わないと甘がみしたりして、心が折れそうになりました。でも今は性格も穏やかになって、かまないし、吠えないし、私の横をしっかりついて歩けるし。ドッグカフェに行っても伏せの状態で静かにしていられるので、何ひとつ文句はありません」
松尾さんの仕事は犬を訓練するだけではない。飼い主にも、犬への指示の出し方やほめ方、叱り方など細かに教えて、覚えてもらう。
将来的には、しつけ方を学んだ飼い主に運転免許証のような証明書を渡す仕組みを作りたいと夢を語る。運転するには免許が必要なように、犬の飼い主みんなに訓練を受けてほしいと考えているからだ。
「家庭犬の訓練も人助けだと思ってやっています。愛犬が言うことを聞かなくて、心を病んでしまう飼い主さんもたくさんいますから。
以前と違うのは、今はふとした瞬間に涙が出ることがあるんです。訓練所を閉めてホッとしたのもあるし、私がやってきたことをみんなに伝えることができた。これでよかったんだ、よく頑張ったなと、涙は自分へのご褒美かもしれないですね」
ストイックで熱い、現代のサムライの挑戦は、まだまだ続く─。
取材・文/萩原絹代(はぎわらきぬよ)大学卒業後、週刊誌の記者を経て、フリーのライターになる。'90年に渡米してニューヨークのビジュアルアート大学を卒業。'95年に帰国後は社会問題、教育、育児などをテーマに、週刊誌や月刊誌に寄稿。著書に『死ぬまで一人』がある。