すらりとした手脚にほっそりとしたボディ。「モデル体形」という言葉が表すように、ファッションモデル=やせていることが大前提とされてきた。しかし2013年に発刊された雑誌『ラ・ファーファ』(ぶんか社)は、ぽっちゃり体形の“プラスサイズモデル”の存在を世に知らしめ、ファッション誌として新たなジャンルを確立した。
ぽっちゃり女子特有のぷよぷよとした肌感、丸みを帯びたボディのシルエットから「マシュマロ女子」という言葉も生まれ、「いやいや、ただのデブでしょ!」とか「太っていても可愛く見える♪」などと賛否両論を巻き起こし、ネット上をザワつかせた。
“プラスサイズモデル”になることに対しての葛藤
とかくイロモノ扱いをされがちなマシュマロ女子たち。だが、あえてその豊満なボディを生かし、今ではラ・ファーファの人気看板モデルとなったタレント・野呂佳代さんに、その心のうちを聞いてみた。
「初めてラ・ファーファからモデルとしてオファーをいただいたときは、“あ、ついにポッチャリ業界に見つかってしまった……(笑)”と感じました。海外ではプラスサイズのモデルが活躍しているし、日本でもそういう雑誌が出たことには肯定的に思っていた。
だけど、当時はSDN48を辞めたばかり。太っていることをマイナスに言われ続けてきたし、仕事の面でも揺れているときだったので……」
“細くあるべき”という長年のアイドル活動がプラスサイズモデルへの転身をためらわせた。
「でも実際、モデルをやってみたら、可愛くておしゃれなアイテムがたくさんあって、できあがった写真もすごくよかった。こういう世界もあるんだって思いました。勉強になったし、情報も知ることができた」
今では、同誌のほかのモデルたちと交流を持ち、SNSのやり方やイベント、トレンドなど、情報交換を楽しんでいる。
そして、モデルとしての新しい自分を発見したと同時に、昔の反省点も見えてきた。
「自分が芸能人だという自覚が少なかった。AKB時代は、向上心はもちろんあったのですが、いま思うと、もっと芸能人としての意識があれば違う形になっていたのかなって」
芸能人の持つ“オーラ”を得ることができなかったと語る。
「ある先輩が言っていたんですが“家から一歩外に出たら芸能人として切り替える”って。人の視線を常に意識していたそうです」
野呂佳代の憧れのモデルとは
AKB時代、家と劇場の往復ばかりの日常、洋服にもあまり気を遣わない日が続いた。大勢のきゃしゃなメンバーに囲まれ、ただひたすら“この脚さえ細くなれば、あの子より前に立てるのに!”と思いつめた。医療機関で“脚やせ注射”を打ち、その効果を期待したことも。
「体形については、ただやせたい、とだけ思っていたけど、そうじゃなかった。どう人に見られているかという美意識を、いつも持っていることのほうが大事だったんだなって。もっと人前に立つ喜びを知るべきだった、って思います」
雑誌出演から4年、ぽっちゃり体形に対して、世の中の意識は変わったのだろうか?
「私のことを認めてもらえる場所も増えたし、自分のことも個性として認められるようになりました。あと“プラスサイズ”という言葉自体がだんだん認知されてきました!
同じ雑誌のプラスサイズモデルたちが、下着メーカー『ピーチ・ジョン』のカタログに出演したんです。海外では当たり前ですが、やっと日本でも実現したんだなーって。いい方向に行っているなーって、とてもうれしく思いました」
ニュータイプモデルとなった野呂さんには、こんな目標がある。
「いまの50代・60代の女性って若いじゃないですか。その年代のぽっちゃりさんの洋服がもっとあってもいいんじゃないかな、と思うんです。もっと素敵に見えるような着こなしのお手本になれたり、お洋服作りにも参加できるようなモデルになれれば、と思います。
憧れはプラスサイズモデルのアシュリー・グラハム。日本でもプラスサイズモデルが、ほかのモデルと同じようにランウェイを歩く時代が来ればいいなと。みなさんにも応援していただけるとうれしいです」