石崎森人さん(35)のケース
ひきこもり当事者・経験者が発信する雑誌『HIKIPOS』編集長の石崎森人さん(35)。現在5号まで出ているこの雑誌には毎回、特集がある。例えば、3号では「ひきこもりと恋愛・結婚」、4号では「ひきこもりと『働く』」などで当事者たちが原稿を書いており、非常に興味深い。
東京郊外の駅前で会った石崎さんは、にこやかで知的な印象。穏やかそうに見えるが、激しい精神的葛藤を経てきたと話し始めた。
生まれながらに感受性が強かったのか、あるいは抑圧的な父親と心配性な母親とに厳しく育てられたからなのか、子どものころから「家は、安心できる場所ではない」と実感していたという。兄と弟に挟まれた次男だから自由に育ったのかと思ったが、彼は繊細すぎるくらい繊細だった。
イジメを目撃し「人間は腐ってる」
小学校に入学するころバブルが崩壊し、テレビでは「同情するなら金をくれ」とドラマ『家なき子』で安達祐実が叫んでいた。石崎さんの家も周りも自営業者が多く、バブル崩壊の影響で大人はピリピリしていた。それが子どもにも影響したのか、入学してすぐイジメを目撃した。それを見て彼は「人間は腐ってる」と厭世観(えんせいかん)を強めていった。
「家では父親が口達者で、とにかく怖くて、心安まるときがなかった。否定されながら育ちました。子どもはほかの家庭を知らないから、自分の家や親が絶対だと思ってしまう。父が言うように自分をダメなやつと思っていて、ずっと自分のことが大嫌いでした」
不登校になりかけたが、友人が迎えに来てくれてなんとか凌(しの)ぎ、中学に上がった。
「勉強も運動もできない劣等生でした。中学に入るとすぐ、神戸連続児童殺傷事件、通称『酒鬼薔薇事件』が起こった。犯人はひとつ年上。インパクトがありましたね。家ではゲームは禁止、門限があって自由に遊べないなどと規律が厳しくて気が休まるヒマもなかった。反発したり、親を恨む前に、自分を押し殺す習慣がつくんです。いつも親の顔色をうかがって自分を殺し、そんな自分を嫌いになっていく」
成績がついていけなかったこともあり、高校は定時制へ。年齢や環境の違う同級生は、一筋縄ではいかない人たちが多かったが、石崎さんには、それが非常におもしろかったという。「多様性」を意識したのかもしれない。
NHKの『真剣10代しゃべり場』という番組にも出演。「麗しきディベートの貴公子」と呼ばれていたようだ。
「人生で唯一、調子のいい時期でした(笑)」
ひきこもりどころか、青春を謳歌(おうか)しているように思える。しかも推薦で大学に入学してひとり暮らしを始めたというから、自由に楽しむことを覚えたのかと思いきや、心身が徐々に悲鳴を上げていく。
「僕は人生において、リラックスしたことがなかった。いつでも自己嫌悪がひどくて、人からどう見られているかを気にして緊張状態。心も身体もバキバキでした。何かあると自分が悪いんだと責め続けた。人はみんな精神的にギリギリのところで明るく振る舞うものと思い込んでいました。そうではないと知ったのは30歳を過ぎてから」
就職直後、思いつめて自殺未遂……
大学入学前後から病院に通って抗うつ剤を飲んではいたが、とにかく調子が悪い。医師からは、心身症、うつ病、双極性障害などたくさんの病名をつけられた。
「吐き気がひどかったり強迫観念にかられたり。大学にもあまり行けず、部屋で寝ていることも多かったんですが、アルバイトをしないと生活できない。その状態のまま、就職活動を始めました」
小さいながらも出版社に合格。ところが入社当日から12時間働かされた。それが3日間続き、あげく「週末はボランティアして」と出社を強要された。
「その3日間、雑用以外に僕がした仕事はテープ起こし5分ですよ。専門用語が飛び交い、音質が悪くて全然聞き取れなかったんだけど、それを上司に相談もできず……。“5分しか起こしてないのか”と言われ、無能なんだ、社会人失格だと思い込んで……。もう普通には生きられない、会社に行くか死ぬかのどちらかだと思いつめて。針金のハンガーを開いてタンスにかけ、首をかけて死のうとしたんですが、うまくいかなかった」
ただ、そこで石崎さんの「理性」がかろうじて働いた。追い込まれたとき、相談できるのは親しかいなかった。大学4年で実家へ戻っていたので、親に意志を伝えた。そして彼は3日働いた会社を辞め、緊急で3週間入院した。
問題はそのあとだ。退院してから自転車や徒歩で行ける場所でアルバイトを始めたが、通勤途中に気分が悪くなって吐いてしまう。バイトをやめて病院に通う日々。
「社会参加していないことに負い目があるし、親には申し訳ないし。自室にこもって、夜中に冷蔵庫をごそごそ探っていた。お風呂も週に1回か2回しか入らない生活でした」
自分がいけないのだと責め続けた。自分の人生は終わったという思いに支配された。
「朝方、そろそろ寝ようと思ってベランダでタバコを吸っていると、近所の年下の男の子が5時ごろ家を出るんです。あの子は一部上場企業に就職したんだっけ、ああいう人が世の中を作っているんだなあ。キャリアを積んで一人前になっていく。僕は26歳で何のスキルもない、とまた落ち込んでいく。本当は社会で先頭を走りたいタイプだったのに」
大学時代、文芸の同人誌を作っていたことがある。それが「そこそこ売れた」ので、編集者として活躍したいという思いが強かった。なのに結局は家にこもっているだけ。
理想と現実とのギャップに苦しむと同時に、彼はやはり「頑張れなかった自分」を否定し続けていたのだろう。
2年ほどひきこもっているうちに体力も減退していく。歩いて5分のコンビニへも筋肉痛が激しくて行かれない。
身体が弱ってくると眠ることもできなくなる。ちょっとうとうとすると、映画『エルム街の悪夢』のような悪夢を見る。「寝逃げ」ができなくなったと彼は感じた。
やはり親より先に死ぬことはできない
「寝ても起きても悪夢が追いかけてくる感じ。背中が痛くて寝ても座ってもいられない。薬だけが増えていきました」
ある日、とうとう薬と酒を同時に大量に飲み、トイレで気絶してしまう。弟に発見され、病院に救急搬送された。
「胃洗浄で助かったんですが、弟に発見されたことが情けなくてたまらない。家に帰ると家族に薬を捨てられていました。薬が恋しくてたまらない。頭を麻痺(まひ)させる薬がなくなり、冷静になる過程で、“死ぬべきだ”と神の声を聞いたような希死念慮(きしねんりょ)を経験しました」
ところが、その土壇場で再度、石崎さんの理性が働く。高校の同級生が自殺した当時を思い出したのだ。母親が抜け殻のようになったことを。
「うちの親も兄弟も悲しむだろうなと。たとえ親子関係がよくないとしても、やはり親より先に死ぬことはできない。なぜかそう思ったんですよ」
底をついた、という実感があった。それを彼は「絶望の限界が見えた」と表現した。絶望の限界が見えたら、あとは浮上するしかない。ひきこもりと「事件」とが取りざたされる昨今だが、ひきこもる人の多くは犯罪など起こさない。むしろ、どんどん沈んでいくのだ。だが、石崎さんのように底打ち感を体験した瞬間が浮上のきっかけになりうる。
「自己否定」をしない訓練
自分の状況を客観的に眺め、薬を抜いて「素の人間」に立ち返ろうと彼は決めた。
「薬を抜くために2週間、入院しました。最初は薬の離脱症状に苦しんだけど、しばらくたって外に出たら、風を感じたんです。抗うつ剤は感覚を鈍らせるので、風など感じたことがなかった。そこからリハビリが始まりました」
いい機会だからとネットで売っている1円の中古本を買い込んで読みあさった。大学時代に学んだ心理学も、もう1度、勉強し直した。自分のことが少しずつわかっていった。そこでキーワードになったのが「自己肯定」だ。
「自己肯定感には、自然に持っているベースとなるものと、社会的に培われるものがある。僕にはベースとなる肯定感がない。それは子どものころ、のびのび安心して暮らせたか、自分の気持ちを受け止めてくれる人がいたか、にかかっている。それがあれば、自分を肯定できるし人も肯定できる」
ベースとなる肯定感がないのに、社会的肯定感を積み重ねても砂上の楼閣。東大生だろうが成功者だろうが、自己肯定感の低い人間は大勢いる。ベースとなる肯定感がないからだろうと彼は言う。
自己肯定とか自己否定とか、よく聞く言葉ではあるが、人がなぜそこに固執するのかよくわからなかった。ただ、石崎さんの話を聞いて、生きるベースとなるのは、「自分がここにいていい」と思える気持ちだとわかった。それがあれば自分を受け入れることができる。「私は私だもん」と思える気持ちでもある。
それがなく、「自分はダメだ」「生きている価値がない」と常に自分を否定するのは非常につらいことだろう。そんなダメな自分を周りはどう見ているのかと考えたら、外に出ることすらできなくなる。
石崎さんは、ベースがないから自己肯定はむずかしいと感じた。だから否定しないエクササイズを始めたという。
「僕はひと言発するたびに、こんなことを言う自分はダメだ、と否定していた。だから自分を否定しない作業を5分してみる。否定しそうになると、いや、そう思わなくていいんだとマイナスからゼロに戻す。毎日少しずつ時間を延ばす。否定さえしなければなんとかなります」
親を許そうと思えた理由
32歳までエクササイズを続けた彼は、動き出した。とはいえ、30歳を過ぎて就職はむずかしい。フルタイムで働く自信もなかった。そこで実家や兄が起業した会社でマーケティングや新卒採用、IT関係などを担うようになる。
強権的な父親を恨んだこともあった。だが彼は一時期、祖母の介護をしてみて、父が常に怒りっぽくて威圧的なのはこの母に育てられたからだとわかった。だから連鎖はここで止めよう、そのために親を許そうと思えたのだという。
以前だったら会社経営者の父が幹部を怒る声に耐えられず逃げ出していた。だが今は、「トップが怒るとどれだけ悪影響を与えるか。会社の士気が下がって従業員が辞めたら父自身が損をする。みんなが気持ちよく仕事をすることで効率が上がる」とうまく説得できるようになっている。
「前は論破すればいいと思っていたけど、人は論破されても納得しなければ変わらない。僕自身、親とうまくやる術が身についてきた気がします」
彼のソフトな口調と、つい耳を傾けたくなる言葉のチョイスはそういう経験から生まれたのだ。
数年前からは『不登校新聞』や『ひきこもり新聞』と関わるようになった。さらに当事者が集まる『ひきこもりUX会議』の創立メンバーとして活動を始めた。そんな中、もっとナマの声を発信したいと立ち上げたのが『HIKIPOS』である。この雑誌、価格設定がおもしろい。定価は500円だが、当事者は100円、応援価格が2000円なのだ。石崎さんが考え出した設定だ。
「活動がお金と結びついていくといいんですが、まだ経済的にはうまくいかないですね」
それでも雑誌の評判は上々である。実際、当事者でなくても興味深く読める。それは結局、誰もが生きづらさを感じているからにほかならない。
かつていっときも休まずに自分に罵声(ばせい)を浴びせていた石崎さんが、あのころの自分に言ってあげたい言葉があるとしたら? 彼はしばらく考えてから、穏やかに言った。
「自分を否定することはないよ。将来も絶望することはないよ」
【文/亀山早苗(ノンフィクションライター)】
かめやまさなえ◎1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震など、幅広くノンフィクションを執筆。