「啓子、今までありがとう。見事な女性でした」
3月17日に肺炎のため79歳で亡くなったミュージシャンの内田裕也さんが生前、著書や雑誌のインタビュー、対談などで語ったことを再構成した語録本『内田裕也 反骨の精神』(青志社)が、6月13日に発売される。
内田さんが生涯にわたって心血を注いだロックンロールへの情熱と波乱に富んだ半生を振り返ることができる1冊。
そのなかでも興味深いのは、昨年9月に亡くなった妻で女優の樹木希林さん(本名・内田啓子さん、享年75)、ひとり娘の内田也哉子さん(45)への思いに触れられる“家族という奇跡”だ。
1973年10月10日、内田さんは、樹木さん(当時、悠木千帆)と東京・築地本願寺で挙式した。
樹木さんは、『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』などの人気ドラマやCMに出演し、活躍していた。
《会うまでは全然知らなかったんです。テレビドラマのCMなんかを見て面白い女優だなぁ、と思っていた程度です。
(中略)TBSの『時間ですよ』にかまやつ(ひろし)に連れられて見学がてら遊びに行った時に、彼女に会ったのが最初です。ボクはロックだし、彼女は役者だし、だから雑談しかなかったと思います。その時、面白い女なので今夜食事に誘おうかなぁ、と思ったんですが、ついに、その日は誘えませんでした。(中略)六本木の寿司屋で食事をした夜、ボクから、彼女に“俺を好きか“って言ったら、彼女は“好きだ”って答えたんです。それじゃ“結婚しよう”てことになったんです》(「同棲して、一か月になるよ」週刊女性1973年10月13日号)
内田さんからのプロポーズは後年、変遷?
《希林さんが“おもしろい方ですね。結婚しませんか”って言ったんですから。で、“式場取ってきましたから”って。忘れもしない》(「『もうずっと入っててください』って言って帰りましたよ」アサヒ芸能2011年10月13日号)
真偽のほどは別にして、ふたりの結婚には、内田さんの母のひと言も後押し。
内田さんは、10代で実家を飛び出して以来、1度も帰省していなかったが、仕事が軌道に乗り始めたこともあって、母に会いに出かけた。
《おふくろが開口一番“お前も早く身を固めなさい。私だって孫の顔を見ないことには死ぬにも死ねないよ”という。もちろん千帆と二度目に会う前のことだったけど、そのときフッと予感めいた、ヘンな感じがしたんだよ》(「裕也さんの赤ちゃんを生みたい!」週刊明星1973年10月7日号)
芸能マスコミをにぎわせた夫婦は新婚早々、別居生活に。
《俺がカミさんのこと、家庭のことを顧みないみてェだけど、ロックやるヤツと役者とじゃ、仕事のシステムが違うんだ。(中略)家に帰ったら何もしたくねエ、殿様でいてぇなって感じなんですよね。女房が大変なのはわかってるんだけど、そうかといって、年じゅう感謝してたんじゃはじまらねぇしネ。(中略)安住はしたくねぇ! って気がするんです》
《夫婦でも、あまり一緒にいすぎるとめんどうになる。飽きるっていうのとはちがう。愛が基本にあってサ、この辺でしばらく顔を見ないほうがいいなっていう、そういうタイミングをはかるセンスは、俺の方が上だと思う。人間のつき合い方もセンスだし、夫婦の間もある種のセンスの問題だとおもうナ》
《俺は高校を中退してロックの道にまぎれこんで十六年になるけど、まだ一度も逃げたことはない。結婚も一度しかしねぇって思ってる。結婚式のとき仏壇の前で、テメエの心にそう誓ったんだ。俺ががんこだから、この女と一生やるんだと決めたからには方法は別として責任はバチッととってやろうと思ってるよ》(『内田裕也・悠木千帆夫妻、結婚1年目の真実!』週刊明星1974年9月22日号)
《希林さん、そりゃあ半端じゃないよね。もろいところもあるんだろうけど、でもやっぱりスゴイよな。子供を育てて、家建ててさ、ブレないで仕事してんじゃない。(中略)あとは病気ね、あれが全治して欲しいなって思ってるよ》(『俺は最低な奴さ』白夜書房2009年11月)
妻の樹木さんには身勝手な言い方もする一方で、愛娘の也哉子さんには率直な思いを吐露している。
《いつも考えるのは娘のことだねえ。俺もやっぱり人の親だなって、つくづく思うよ。(中略)子どもにはデレデレした甘い感情と、親父としてしっかりしなくちゃいかんぞっていう気持ちと、二つの愛情を感じるんだ。(中略)父親の感情って複雑だよ。とにかくホットな女に育ってほしいよ》(「妻・悠木千帆か愛人か─近いうちにハッキリさせる!」週刊女性1977年2月8日号)
そして、娘が結婚する経緯は、強面ロッカーとは思えない狼狽ぶりがほほえましい。
《本木(雅弘)と也哉子のこと、あれはぶっ飛んだよ、俺も。(中略)ああいうポップスター、まだガキだ、この野郎みたいに思ってたから、やっぱりさ、ウーンって感じで。だいぶ経ってから、まあちょっとつうんで、“婚約をするけど”って、全部事後報告だ。“こ、こ、婚約を”って吃っちゃったよぉ》(『俺は最低な奴さ』白夜書房2009年11月)
《家族の絆なんて考えてる余裕もなかったしね。子供が1人いてよかったと思いますけど。どう対処していいのか、いまだにわからない》(「いつも『あの野郎!』と思っていきているんです」女性自身1998年4月28日号)
《親っていうのは、権威とか、イばるとかじゃなくてね。(中略)親と子の断絶とか、なんとかじゃなくて、いい関係であれば、それでいいわけよ》(『俺はロッキンローラー』講談社1976年8月)
亡き父について也哉子さんは、葬儀での喪主挨拶で、
「世の中の矛盾をすべて表しているのが内田裕也ということが根本にあるように思えます。私の知りうる裕也は、いつ噴火するかわからない火山であり、それと同時に、溶岩の狭間で物ともせずに咲いた野花のように、清々しく無垢な存在でもありました」と表し、「Fuckin'Yuya Uchida, don't rest in peace just Rock'n Roll!!!(内田裕也のくそったれ。やすらかに眠るな!)」と哀悼した。
内田さんのロックンロールな軌跡と家族愛が、歯に衣着せぬ物言いやメッセージが詰まった“裕也本”で垣間見ることができる。