「同じ年ごろの子どもを持つ母親として、なぜ死なせたんだと。子どもさんがかわいそう。私は周りから助けられたから、なんとかやってこれたんですけど、それができなかったんでしょうね。でも、死なせるくらいなら、私が引き取りたかった」
幼子を抱いたまま献花に訪れた30代の母親は涙を浮かべながら手を合わせた。
日常的な虐待の痕
6月5日の午前5時ごろ、札幌市に住む飲食店従業員でシングルマザーの池田莉菜容疑者(21)が自宅マンションから、
「子どもの様子がおかしい」
と119番通報。救急車が到着したときには、同容疑者は長女の詩梨ちゃん(当時2)に心臓マッサージを施していた。交際相手で飲食店経営の藤原一弥容疑者(24)も部屋の中にいた。だが、詩梨ちゃんはすでに心肺停止の状態で、搬送先の病院で午前5時40分に死亡が確認された。
詩梨ちゃんの直接の死因は、衰弱死だった。身体はやせ細り、体重は2歳児の平均の半分しかない、わずか6キロだった。食事を十分に与えないネグレクトが疑われている。
さらに、頭部や顔面などにケガがあり、タバコによるヤケド痕も見つかった。日常的に虐待があったとみられる。
「容疑者方において、被害者に暴力を加えていたとして、5日午後11時43分、藤原一弥容疑者を傷害の疑いで緊急逮捕。次いで6日午前7時25分、池田莉菜容疑者を通常逮捕しました」(北海道警察本部)
詩梨ちゃんに関するSOSはこれまでに3回、発せられていた。1回目は、昨年の9月28日。当時、莉菜容疑者は同市東区のアパートに居住し、生活保護を受給していたが、
「託児所に子どもを預けっぱなしで育児放棄が疑われる」
と住民から札幌市児童相談所(以下、児相)に通告が届いている。このとき児相はすぐさま対応し、自宅で面会したが、詩梨ちゃんにあざや傷がないことを確認。虐待はなく、育児放棄もなしと判断していた。
2回目は、今年4月5日だった。その1〜2か月ほど前、莉菜容疑者は、
「もうすぐ結婚するので、生活保護はなくしてください」
と同市東区役所に連絡して、同市中央区の2LDKの新しいマンションに引っ越している。新婚生活を送るはずの新居で、事件現場にもなったマンションである。
道警と児相の言い分
同マンションの住人が、
「上の階から、昼夜を問わず子どもが泣き叫ぶ声がする」
と児相に通告。児相は対応したものの、なかなか部屋が特定できず、莉菜容疑者とも連絡がつかなかった。泣き声の主が詩梨ちゃんだと特定できたのは4日後だった。以降も容疑者との連絡はとれず、面会はできなかった。
5月12日、北海道警察(以下、道警)に、
「子どもの泣き声が聞こえる」
と110番通報があった。道警はすぐに駆けつけたが、泣き声は確認できなかった。
翌13日、道警は莉菜容疑者と連絡をとったものの、面会は拒否された。夜10時ごろ、道警は児相に「虐待の疑いあり」と知らせ、自宅訪問に同行を要請した。これが3回目の通告である。ところが、児相は、
「夜間なので態勢が整わず、厳しい」
と要請を拒否。これについて児相の東美伸相談判定一課長は、
「私は自宅で知らせを受けたので、一時保護所にいる職員に、“容疑者に電話をしてほしい。ただし、10回鳴らして出なかったら、切ってくれ”と指示を出した。やはり出なかったので、同行要請を断ったのです」
と記者会見で説明した。しかし、児相は夜間や休日は札幌南家庭支援センターに業務委託している。にもかかわらず遠方で1時間ほどかかるので、あえてお願いしなかったという。児相の高橋誠所長も、
「過去に依頼して行ってもらったところ、結局、留守で、会えなかった、連絡がとれなかったということも何度もありましたから……」
と釈明した。
翌14日、道警は児相に、
「“明日、面会の約束がとれたので、同行してほしい”と言ったが、断られた」
一方の児相の言い分は、
「私たちの受け取ったニュアンス、認識ですが、道警は鍵を壊してでも入るといったような厳しい態度だったので、私たちは翌日、訪問調査という形をとろうと考えていた……このへんは道警との確認がまだとれていないので、なんとも言えませんが。今後、札幌市の検証委員会が立ち上がって、詳細が明らかになると思います」(高橋所長)
と当初は説明したものの、
「道警から“相手が嫌がっているので児相は同行を遠慮してくれ”と言われたので、行かなかったのです」(同)
と二転三転。
守られなかった「48時間ルール」
15日、道警は単独で莉菜容疑者宅を訪問。詩梨ちゃんの足にヤケドのようなものを発見したが、「アイロンを踏んづけてしまって」と莉菜容疑者が弁明したことから、虐待はなしと判断。同時にそのことを児相にも告げ、児相も道警の判断を追認している。
以降、児相は17日、22日と莉菜容疑者に電話したが、連絡はつかず、6月4日には家庭訪問したが不在のため引き返している。こうして事件が発生してしまった。
昨年、東京都目黒区で5歳の結愛ちゃんが都の品川児童相談所にSOSを何度も発しているのに亡くなってしまった悲しい事件があった。この虐待事件を受けて、全国の児童相談所は通告があったあと、48時間以内に子どもの安全を確認する「48時間ルール」が設けられた。
ところが、札幌市児相の場合、この詩梨ちゃん事件で同ルールが守られたのは、最初の1回目だけ。あとの2回は守られていなかった。
「甘さがあったと考えています。この事件後、調べたところ、ルールが守られていなかったものが、今年に入ってほかに4件ありました。現在はすでに安全確認がとれていますが」(高橋所長)
厳格にできていないのが現状である。
さらに、今年1月にも千葉県野田市で「心愛ちゃん(当時10)虐待死事件」が発覚。県柏児童相談所がいったん保護したにもかかわらず、再び親のもとへ返した不手際が死につながった。
こうしたほかの児童相談所の失態をまったく生かすことがないままに、同じような事件が繰り返し起きてしまっている。対応やあり方を話し合い、教訓として生かす態勢になっていないのか─。
「それは、私の指導力の至らなさだと反省しております」(高橋所長)
昨年度、札幌市での虐待の通告は1497件で、うち虐待は839件あった。6月現在、札幌市児相には124人の正規職員と、78人の非正規職員がいる。うち虐待を専門とする児童福祉司は49人だ。いまは基準より少ないため、今後、徐々に26人が増員されるが、人数や予算が拡大されても、危機意識を持てなければ過ちが繰り返されるおそれがある。
児相は虐待されている子どもたちの最後の砦。
物心両面で態勢を整えることが急務である。
取材/山嵜信明と週刊女性取材班 (やまさき・のぶあき)=1959年、佐賀県生まれ。大学卒業後、業界新聞社、編集プロダクションなどを経て、'94年からフリーライター。事件・事故取材を中心にスポーツ、芸能、動物虐待などさまざまな分野で執筆している