《タモリカップは昨年9月の横浜大会を最後に、幕を閉じる事と致します》
大会公式ホームページに掲載されたメッセージ。ヨットを愛するタモリが実行委員会名誉会長として主催していたヨットレース『タモリカップ』が閉幕するという。
「タモリカップは、タモリさんが“参加費を下げて、誰でも気軽に楽しめるレースをやりたい”という思いで、
'09年にスタートさせたヨットレースです。タモリさんおひとりの力ではなかなか開催に至らなかったところを、旧知の仲だったフジテレビプロデューサーの金井尚史さんの尽力もあって継続していました」(スポーツ紙記者)
フジP、金井氏の存在
静岡県沼津で始まり、後に横浜をメイン会場としながら、10年にわたって毎年開催されてきた。
「ドレスコードがタモリさんのトレードマークであるサングラスだったり、すごく楽しいヨットレースでした。レース後は、タモリさんが考案したソースを使ったBBQパーティーもありました。タモリさんもステージで歌ったり本当に楽しそうでしたよ。終了することはHPに掲載されるまで知らなかったので残念です」(レースの参加者)
タモリカップ開催に尽力した金井氏は、'17年に病気のため死去している。タモリは見舞いに訪れた際、金井氏に“芸能界は引退するから、ヨットで世界一周しよう”と話していたという。しかし、そんなタモリはヨットからも引退してしまうのか。
なんでも彼は、自身のヨットをすでに売却ずみ。タモリがヨットを係留していた港の関係者によると、
「タモリさんは自分のヨットを金井さんに譲ったんですよ。それから金井さんは病気が発覚して亡くなったので、今は別の人に転売されたみたい。モーターボートも持っていたけど、3年くらい前に売ったかな。今は大きな船を1隻持ってるけど、もう10年くらい乗っていないから錆びてきているね」
「これ以上はもう、いいんじゃないか」
自身がヨットから引退するためレースも閉幕となったということか。タモリカップの関係者は、金井氏がいなくなったことも理由のひとつと話す。
「金井さんの人柄を気に入って、お金を出してくれる企業や団体が本当に多かった。亡くなった翌年も、引き継いだスタッフがスポンサー集めに奔走したのですが、出してくれてもこれまでの半分の金額だったり、なかなか思うようにはいかなかったみたいです。
スタッフも、フジテレビのスタッフが“金井さんに頼まれたら断れないよね”というボランティアのような形で協力してくれていたので、彼の死後は離れてしまった人もいました」
また、第1回からイベントに協力してきた大会プロデューサーの藤木芳幸氏はさらなる舞台裏を明かしてくれた。
「昨年は185艇が参加して、パーティーの参加者は2500人と、本当に大きなヨットレースになりました。レースをやめることは、タモリさんが昨年から話していました。タモリカップは10年間、大きな事故やトラブル、クレームもなくやってこれた。これは奇跡的なこと。
それでタモリさんが“これ以上は、もういいんじゃないか。このまま何事もなく続くとは思えない。だから、10年のいい区切りにやめよう”と。あとはオリンピックも理由のひとつですね」
'20年東京五輪の種目でもあるヨット。ここ数年、タモリカップの会場となっている横浜ベイサイドマリーナは試合会場ではないが、五輪関連のイベントが開催されている。
「“オリンピックでマリーナも忙しくなって、迷惑をかけてしまうかもしれないから”ともタモリさんは話していて、やめることになりました。レースをやっている間、タモリさんはヨットにほとんど乗れなかったので、“(大会がなくなった)今年の夏は乗ろうか”と話していますよ(笑)」(藤木氏)
タモリカップの終了は、彼の名言のひとつである“仕事はテキトーに、遊びは真剣に”の言葉どおり、参加者や協力者を気遣ってのものだった。