今年8月にデビュー45周年を迎えるTHE ALFEE。同期はアメリカのロックバンドKISS、1年先輩には映画『ボヘミアン・ラプソディ』のQUEEN。日本のミュージシャンとして初めて10万人規模のコンサートを開催し、ライブを連日行う際の“〇DAYS”という言葉を使い始めたのもALFEEから。東京国際フォーラムや東京ドームなどのこけら落とし公演を行ったのも3人。まさに日本が誇る“レジェンドバンド”だ。音楽を愛し、昭和・平成・令和と第一線を走り続ける3人に、45周年を迎える心境を聞くと──。
日本のバンドとしては最多
2700公演を達成!
高見沢俊彦(以下、高見沢)「昭和、平成、令和と3つの時代にわたって休まずツアーをやっているのは、バンドでは僕らだけですからね。平成最後は(群馬県)桐生市の市民文化会館で、令和の最初は(岡山県)倉敷市民会館。元号が変わる中でツアーをできたというのはツアーバンドの真骨頂というか」
坂崎幸之助(以下、坂崎)「平成の31年間は毎年、休みなく春と秋にツアーをやり続けてきました」
──昨年10月に東京国際フォーラムで行われたコンサートで日本のバンドとしては最多の2700公演を達成! 現在も記録を更新しているが、デビュー当時に今の姿を想像していたのか?
高見沢「まったく、想像だにしていないですよ。3人とも(大)学生だったし」
坂崎「高見沢は8年行ったから『メリーアン』のころは“学割でツアーに行ってた”ってネタにしてたね(笑)」
──実は、THE ALFEEを国民的アーティストへ押し上げた『メリーアン』がヒットするまでに9年という時間がかかった。
高見沢「デビューからほぼ挫折の連続でしたけど、かまやつ(ひろし)さんや研ナオコさんのバックバンドで勉強させてもらいましたね。おふたりには本当に感謝しております」
坂崎「まぁ、どん底とはいっても若かったし、そんなに大変ではなかったです。ライブハウスから、小ホールへ。『メリーアン』は地道なライブ活動のうえでのヒットでしたからね」
桜井賢(以下、櫻井)「時間がかかったぶん、売れても性格は変わりませんでしたね。でも、デビューでいきなりドカンと売れてたら変わるかも?(笑)」
高見沢「変わった人、何人も見てますからね(笑)」
坂崎「ヒット曲が出たことで認知度は上がりましたね」
高見沢「当時は歌番組が多かったからな」
桜井「道を歩いて、人とすれ違うとたいてい“メリアン~♪”って歌ってましたね(笑)」
高見沢「怒濤の’80年代でしたよ。レコーディングして、ツアーをやって、テレビに出て、ほぼその繰り返しでしたね」
坂崎「多いときで年間に120~130公演やってましたから(現在は、年間約60公演)」
高見沢「僕らはずっとツアーだったので『ザ・ベストテン』や『ザ・トップテン』などは、スタジオに行かず、ほぼコンサート会場からの中継でしたね」
坂崎「毎週、ラジオの生で、深夜放送のレギュラーもやってましたね」
高見沢「でも、どんなに遅くなっても、酒だけは桜井は飲んでたよね(笑)」
桜井「それは、いらない情報だな(笑)」
──その多忙ぶりからメンバーの間にピリッとする空気が生まれることはなかったのだろうか。
高見沢「ないですね。いつもふわっとです(笑)。忙しくても忙しいなりにふわっとしている。音楽的にもマインド的なことでも、もめたことがないですから。正直、危機ってないんですよ。だから、僕らにしたら続けること自体はそんなに大変なことじゃない」
坂崎「続けるという選択肢しかなかったですからね。常に次の仕事が入ってたし(笑)」
休みなく続けているツアー
実は、のどの不調やケガが
──’82年から1度も休むことなく毎年ツアーを続けている3人。それでも、ツアー中にのどの不調やケガを経験している。
坂崎「のどは、意外とそれぞれありますよ。(痛めた人の)負担を減らすとか、(トークタイムで)話さないとか工夫して」
桜井「ライブは絶対にやる。“ショウ・マスト・ゴー・オン”だからね。僕らは(ボーカルが)3人いるからできる。1人だったら45年は無理だね」
坂崎「ステージで筆談したこともありますよ」
高見沢「僕もありました。(筆談用の)ホワイトボート買ってマネージャーに伝えたいこと書いたら、マネージャーもボードに書きだしたわけ。“お前は書かなくていい! のど痛めてないんだから”って自分がしゃべっちゃったよ(笑)」
坂崎「高見沢の指の骨折のときは……」
桜井「あれも、大変だったな。ツアー直前に闘牛でね」
高見沢「ギタリストは闘牛やっちゃダメですね(笑)。バラエティー番組でつい張り切っちゃって」
坂崎「あのときは、(ギターを弾けない)高見沢がハンドマイクで歌って」
桜井「坂崎も指、骨折したことあったよな」
高見沢「足の小指だっけ?」
桜井「そうそう! 駐車場の段差でコケて」
坂崎「体重かかっちゃったんですよ。この重たい体重が(笑)」
桜井「俺も背骨にヒビが入ったことがあったな。(ライブ中のトーク部分で)バナナを踏んでコケるというコントがあって。毎日、ちゃんとやっていたんですけど、その日は坂崎も一緒にダブルでコケようという話になって。
──いつもとは違う場所でコケたら両足が上がって、背中からドンと落ちて。痛いなと思いながら、その夜は飲んで」
高見沢「飲まなくていいよ(笑)」
桜井「翌日、レントゲンを撮ったら、ヒビが入ってました」
坂崎「こんだけやっていれば、いろいろありますよ。ただ、大病がないんですよね。おかげさまで。入院することがない」
高見沢「丈夫に産んでくれた親に感謝だね」
桜井「本当に3人とも親に感謝してるね。健康だから、ここまで続けてこられた」
──45周年を記念するニューアルバム『Battle Starship Alfee』が6月26日に発売される。3年半ぶりとなるアルバム。
高見沢「昔は年に1枚出してたんですけどね。今は無理ですね。でもずっとツアーをやっていて、シングルのリリースもコンスタントにあったから、決してサボっていたわけじゃない(笑)。そう! The KanLeKeeZのアルバムも出してる」
桜井「テレビにラジオに小説に、制作部の高見沢が超多忙だからな」
高見沢「まぁ好きなことなんで苦ではないけどね。今回の『Battle Starship Alfee』というタイトルには、戦艦に乗って、まだまだ前に進んでいこうという気持ちも込められています。
45周年分のAlfeeを表現したいと思っていたので、アコースティックなものからハードロックまで、いろいろなタイプの曲を作りました」
──それぞれリードボーカルを務めることができるAlfeeとしての強み。そして、これも3人にしか作りだすことができない“三声”のハーモニーも存分に堪能できる作品になっている。
70歳、古希で3000回ライブが目標!!
──改めてAlfeeが愛され続ける理由を聞くと、
高見沢「同じメンバーで、活動停止もせず、毎年ツアーをやってきたことですね。それだけで認めてくれる人も増えてきたし。これだけ長くやっているんだから、どっかいいところがあるんだろうと(笑)。とにかく、休まずやってきた真の45周年ですからね」
桜井「ファンの方も、友達から“あんたいいわよね~。応援しているバンドが今でもやってて”と言われるらしいです。結婚して、子育てで何年か抜けたとしても、まだやってたと」
高見沢「『星空のディスタンス』などは35年前の曲ですが、この曲はテレビで歌う機会が多いので、それを聴いて興味を持ったという若い世代から手紙をもらったり。あきらめずにやってきた効果ですね。それが、今回のアルバムや、コンサートにつながってくれれば最高です! Alfeeにとってのホームは“ステージ”ですからね」
桜井「令和という新しい時代になりましたが、平成はまるごとツアーだったように、令和もそうありたいですね」
坂崎「年齢的に、あと何公演できるんだろうというのもありますが」
高見沢「ただ、5年後の50周年は視野に入ってきました。僕ら、70歳になるので、古希で(ライブ)3000本は目指したい」
桜井「点滴を打ってでも、ツアーは続けますよ(笑)。ただ、あと5年は声を出す自信がある! 10年は約束できないけど(笑)」
『Battle Starship Alfee』
6月26日発売。
【通常盤】3000円+税
【初回限定盤A・B・C】ともに3700円+税