約半年間、季男さんの遺体が放置されていた小池容疑者の自宅

「今年に入って小池季男さん(当時86)の姿がしばらく見えなくなって、近所の人たちはみんな心配していました。小池さん宅を訪ねましたが、応答がなくて。そこで町内会長さんに相談して、民生委員さんにも行ってもらったんです」(70代の近隣住民)

 定期的に見守り活動をしていた地区の民生委員だが、

「息子さんがいつもドア越しに“大丈夫です。父は元気です”と言っていました。(事件発覚の)1週間前に直接会ったときも“大丈夫です”って」

 2月12日、民生委員は地域包括支援センターに「小池さんと連絡がとれない」と不安を伝えた。実は、そのときもう小池季男さんは亡くなっていたことになる。

父親の年金で暮らしていた

 同居する息子とも接触できない地域包括支援センターの職員は、6月3日に越谷市職員、民生委員と一緒に小池さん宅を訪ねたが、やはり無反応。警察に事情を説明し、翌4日に再訪したところ、

「警察官が自宅の裏手から様子を探ると、家の東側の窓の障子の隙間から、あおむけで布団に横たわるご遺体を発見したんです。顔には布がかけられていたそうです。署員は息子さんが帰ってくるまで待ち、事情を聞いたところ、“だいぶ前に亡くなった。心臓発作だった”と答えたそうです。遺体は腐敗が進んでいました」(越谷市の担当者)

 現場は東武伊勢崎線の蒲生駅から徒歩10分ほどの住宅地にある古い木造2階建て住宅。そこに父・季男さんと、父親の遺体を遺棄した容疑で6月20日に埼玉県警越谷署に逮捕された無職・小池清敬容疑者(53)が、2人で暮らしていた。

 一家は41年前に、同市の別の場所から引っ越してきた。玄関には文字がかすれた表札がかかり、家族3人の名前が記されているが「(季男さんの)奥さんは4~5年前に亡くなった」(近隣住民)

 季男さんが亡くなったとみられる昨年12月下旬から、遺体が発見される今年6月4日まで約半年間、小池容疑者は遺体と暮らしていたことになる。

 その理由は「父親の年金で暮らしていた」という供述から明白。親子の生活を支えていたのは父の年金だった。近所の人も、すぐ裏手にある保育園も「(腐敗の)においには気づかなかった」と口をそろえる。

 ご近所トラブルも確認できなかったが、住民の中には季男さんと口論している小池容疑者の大声を聞いた人もいた。そして今年になって小池容疑者が近所の人を怒鳴ったことがあったという。

「“やせたわね”と声をかけた人がいるんですが、“うるせぇ”と怒鳴りつけられたそうです。おっかなかった……と怖がっていました」(70代の男性住民)

 とはいえ小池容疑者は、ひきこもりではなかった。外出は日常茶飯事で、その際の風変わりな服装は、近所でも有名だったという。

「白いシャツに白い帽子、青いバッグを持っていて、日中いつも自転車で街中を走っていました。お店に入っても何も買わずにフラッと出て行って、不思議な感じの人でした」

越谷市役所の職員らは何度も足を運んでいたが

 そう振り返るのは容疑者宅近くの商店街で働く女性。昔からそこに店を構える商店主は「だいぶ前からです」と小池容疑者が白い服装を愛用し始めた時期を思い出しながら、

白いシャツは給食センターで着る白衣のような衛生着みたいなもの。それに白いズボン、白い帽子をかぶっていました。身体は大きくて、いつもニコニコしながら自転車に乗っていました。最初は、(そういうユニフォームの勤め先から)昼休みに食事に戻っているのかな、と思っていましたが、あまりにも頻繁に見かけるので仕事をしていないなと思っていました」

 念のため、付近にある白い制服を着そうな食品関連会社などに問い合わせてみたが、小池容疑者が在籍していた記録はなかった。

父と子で町内の仕事も

 無職ではバツが悪いので労働者風に変装していたのか、変わったセンスなのかはわからない。自転車で近所を徘徊していたともとれるが、

「けっこう遠くで見かけることもありましたね」

 と前出・商店主が続ける。

(自宅から約4キロ離れた)イオンレイクタウンでも見かけました。最近、歩いて10分ほどの南越谷で見かけたのは、夜の8時ごろでした。年がら年中、どこか自転車で走っている感じでした。服装はやっぱり白衣。いつもちょこんと自転車に乗っていました。ただ最近気になっていたのは、自転車のタイヤに空気が入ってなかったことかな。前はちゃんとしていたのに」

 一方、季男さんの評判はというと、

「穏やかで、やさしくおとなしい、ひとりでひょうひょうとしているタイプでした」(前出・70代男性)

「以前は毎朝、自転車で仕事に向かっていました。会社員のようでしたが、ポロシャツに綿のズボンというようなラフな格好が多かったと思います」(80代女性)

 知人男性に話が聞けた。

「季男さんはおとなしい人でした。近所に高齢者が無料で入れる銭湯があり、そこによく通っていました。自転車で銭湯に行くときや帰りに顔を合わせることがあって、世間話くらいですが、話をすることはありましたね。

 昨年か一昨年に小池さんが(町内の)班長になったとき、息子さんと一緒に町内会費の集金をしていたのを見かけたことがあります。広報紙(市報)の配布も息子さんが手伝っていましたよ

 息子同様、父・季男さんも、通勤や銭湯の行き帰りにこいでいたという自転車。

 自宅には、父と息子のものとみられる年季の入った自転車が置かれていた。

取材・文/フリーライター山嵜信明と本誌取材班


山嵜信明(やまさき・のぶあき)フリーライター 1959年、佐賀県生まれ。大学卒業後、業界新聞社、編集プロダクションなどを経て、'94年からフリーライター。事件・事故取材を中心にスポーツ、芸能、動物虐待などさまざまな分野で執筆している