平日の昼下がり。上空をアメリカ軍の戦闘機が爆音を響かせながら嘉手納基地に着陸する。そんな場所で待ち合わせた。平野由佳さん(40=仮名)は夫と小学校高学年の長女、小学校低学年で、双子である長男と次男の5人で暮らす、多子世帯だ。
出産までに200万円かかった
平野さんは双極性障害、いわゆる躁うつ病で、実父からの虐待に関連するPTSD、解離性障害も患っている。夫と長女は発達障害の傾向があり、双子の男児は妊娠中、双胎間輸血症候群で難産だった。
「長女はIQが高かったこともあり、学校になじめませんでした。着替えが遅かったりもしたのですが、周囲の音が気になって準備ができずにいたんです」
そんな長女だが、進学塾にはなじんだ。元気になり、学校で友達ができた。一方で、双子を妊娠中、精神的にも経済的にも厳しさを増した。
「夫との関係が悪くなったときの妊娠。産むかどうか悩みましたが、夫の発達障害も影響して十分に話し合えなかったんです。手術できる病院が全国に少なく、転院を繰り返しながら4か月ほど入院。渡航費や宿泊代など出産までに200万円ほどかかりました」
経済的には夫頼み。「賃金構造基本統計調査」('18年)によると、平均賃金は全国で306万2000円。沖縄県は246万円8000円で下位5番目。夫の収入は全国平均よりはやや上だが、残業代が出ない。
未熟児で生まれた双子の子育ては費用がかかる。2人とも疾患があるうえ、特別支援学級に通う次男は負担が重い。学童のほか、放課後児童デイサービスにも通っているが、生活に支障なしとして障害認定がされず特別児童扶養手当は対象外だった。
「金銭的な問題を解決しようと、私の精神疾患を理由に障害年金を受給しようとしましたが、初診日が20年以上も前で、申請を断念しました」
そのため生活面での工夫が欠かせない。ゴミ処理場近くの、リサイクルプラザで衣服やバッグなどを探す。
「富裕層が捨てたものですが、周囲は気づいていません」
こうした体験から、精神疾患や発達障害などを抱えた親たちのつどい『ピアサポpark Okinawa 子育て会』に隔月で参加、悩みを共有する。
シングルマザー間に税制の格差が
子育ての困難さはシングルマザーにもいえる。当事者団体『しんぐるまざあず・ふぉーらむ沖縄』の代表、秋吉晴子さん(54)は、未婚のまま出産したシングルマザー。県営住宅で暮らしていた10年ほど前、急に家賃が上がった。管轄する国土交通省が所得要件を厳しくしたからだ。
「それまでひとり親は戸籍謄本を提出すれば、寡婦控除の対象でしたが、未婚の場合、死別や離別のひとり親と違って、対象外と厳格に適用することになりました」
寡婦(夫)は、配偶者と死別・離別したが、再婚をしていない人のこと。もとは戦争で夫を失った妻の生活を支えるためにできた制度だ。一定程度、所得控除を受けられる。
「退去か、家賃を多く支払うか。私だけでなく、未婚のひとり親の問題として県知事に陳情しましたが“法律で決められている”ことを理由に対象外となり、退去しました」
寡婦控除の適用除外になると、その影響は保育料にも跳ね返る。沖縄県だけの問題ではないが、県と県内の市町村に未婚者も寡婦とみなすように陳情した。
「沖縄市と宜野湾市は、首長のトップダウンで決めました。那覇市も時間がかかりましたが、認められました。それから厚労省も25の事業で“みなし控除”を適用しました。地道に動けば変わるんです」
その後も県内の子どもを支える団体と連携しながら、活動を続けている。
「同じひとり親なのに、男性との関係、つまり、最後まで添い遂げるのか、途中で別れるのか、最初から頼りにしないかの順で税金が重くなるのは、税制として不公平です」
人口動態統計('17年)によると、沖縄県は離婚率(人口1000人あたりの数)が2・44で全国1位。シングルマザーの出現率も高く全世帯に対して5・46%('13年調査)で全国の倍だ。
「県民所得が低く、子どもの貧困率は全国の2倍。3人に1人が貧困です。ひとり親家庭が子どもを大学に行かせるのは計画性や強い意志がないと難しい。一方、都市部から離れれば、貧困の度合いも地域のしがらみも強い。横並び意識で、母子家庭なのに? と言われることがあります」
未婚の割合も上昇傾向だが、東京と背景が違うと秋吉さんは指摘する。
「沖縄では、若年で妊娠すると、家族から“産めば?”と言ってもらえたりする。沖縄戦の影響なのか、せっかく授かった命、という意識があるのかもしれません。ただ、妊娠出産で高校中退しないですむよう、親子を支える仕組みが作れないと、貧困はなくならないと思います」
絡み合う基地政策と貧困問題
こうした状況では、ひとり親世帯を含め、低所得者層の子どもたちやその家族の支援が必要となる。そこに注目したのが一般社団法人『ダイモン』だ。
創業者の糸数温子さん(33)は、「非正規雇用や若年労働者が使い捨てられることは全国共通の課題ですが、沖縄県はその層が突出しています。一般的な好景気の影響があっても、不安定な家族形態となりがち。職業や学歴、キャリアは親や家庭の経済状況に起因した家庭の文化に規定されるため“自己責任”にされやすい」と話す。
沖縄戦で社会基盤が徹底的に破壊され、生き延びた人々はゼロからの出発になった。住民がとらえられ、収容所に入れられている間に基地は作られた。27年にわたるアメリカ統治下では日本国憲法が及ばず、戦後復興や高度経済成長からも切り離された結果、基地依存の経済構造が形成されたのだ。
沖縄経済の基地依存率は減少傾向にあり、2015年度は5・3%となったが、1957年のピーク時には44%を占めていた。
「基地政策と貧困問題が絡み合った形で、沖縄の教育政策と格差対策は維持されてきました。沖縄は、低学歴と低所得の問題が1度も解決したことがありません。加えて、家父長制が強い地域でもあり、女性と子どもの権利保障は表立って議論されていないように思います」
そんな中で、子どもたちはどう育っていくのか。
「(虐待を含む)直接的な暴力があったり、ネグレクトだけでなく、将来の選択肢の可能性すらはく奪されたなかで、なんとかやっていると思います。暴力のない世界や安全な場所が得られないとき、助けて”と言える大人を増やすことが必要。それには、ともに時間を重ねることが重要です」
孤立しがちで困難を抱える家族を、趣味の縁でつなげることで、セーフティーネットにする。そこから社会的なコミュニティーを作る活動をする。その一環で、糸数さんらはフットサル大会や野外のイベントを主催している。
「誰でも参加できるイベントで、支援団体や社会課題との接点作りを仕掛けています。ひとりひとりが詳しい情報を知らないとしても、身近なところで“知っている人”とつながっていればいい」
貧困が構造的に維持されてきた戦後の沖縄。『ヤンキーと地元』の著者で、NPO法人社会理論・動態研究所の研究員、打越正行さん(39)は調査を続ける中で、沖縄の現実を象徴する米軍基地と、そこに関わる建設業やヤンキーははずせないと指摘。さらに、そこで暴力との関連性を見いだす。
「ヤンキーの後輩たちは特定の先輩と関係を築くことが重視されています。そうすることで、建築現場では過度な無理難題を抑え、殴られることを一部回避できる。ただ、こうした“あうんの呼吸”は汎用性がなく、その先輩のもとでしか働けなくなります」
沖縄の建設業は復帰前、アメリカによって資材の発注先を制限された。復帰後は、完工実績によって沖縄の建設会社は入札制限をかけられた。ほとんどは県外企業が工事を受注。当時の県建設業協会は何度も訴えたが、公平な競争にはならず、下請企業として組み込まれた。
「沖縄戦の直後は焼け野原。まずは建物を作らないといけない。そのために働く大工は尊敬されました。待遇も悪くなく、誇りを持って働いていました。しかし、本土復帰後は工事の単価が下がり、『土方』や『建築』と呼ばれ蔑視される仕事になり、地域と分断されました。沖縄の会社は中小零細。不景気にはつぶれるしかなかった」
暴力肯定の仕組みが作られた
失業すると、ヤンキーたちはどう対処したのか。
「県内の会社は給与の支払いが遅れたり、一部支給となりましたが、後輩たちを雇うことで乗り切った。ブラック企業であり、後輩たちは労働力の調整弁ですが、そうしないと会社がつぶれます」
助け合いの文化のように見えるが、ヤンキーは友人や親族の助け合いからは、はずれた人たちだという。
「助け合いを意味する『ゆいまーる』が機能するのは中間層だけ。ヤンキーの若者たちが生きる地元はひとつの社会ですが、そこで行われているのは奪い合いであり暴力肯定の仕組みが作られた。先輩・後輩の関係を時間をかけて築いており、代えがきかず、抜ける選択肢はありません」
暴力は肯定されるべきではない。なくすには条件が必要と打越さんは指摘する。
「建設業は必要な人に家を作ってきた。尊敬されるべきだし、見合った収入も必要です。そうなれば理不尽な上下関係も軟化しうる」
沖縄の貧困と暴力は、アメリカと日本の政策によって生み出された。是正するための施策が必要だ。
(取材・文/渋井哲也)
渋井哲也 ◎フリーライター。栃木県那須郡出身。長野日報を経てフリー。いじめや自殺、若者の生きづらさなどを中心に取材。近著に『命を救えなかった―釜石・鵜住居防災センターの悲劇』(第三書館)
《INFORMATION》
『しんぐるまざあず・ふぉーらむ沖縄』では那覇市、宜野湾市で月に各1回、悩みを話し合ったり情報交換をする「おしゃべり会」を開催。問い合わせ、申し込みは info@smf-okinawa.org へ