映画監督の大林宣彦氏を父に持ち、自身も8歳から映画関連の活動を始めた映画人である大林千茱萸さん(55)。さらにはフランス料理と西洋食作法(国際儀礼)教室の主宰者であり、ホットサンドをこよなく愛する「ホットサンド倶楽部」の部長でもある。
個性が光る愛用品3選
そんな大林さんの愛用品3つを紹介してもらった。1つ目の愛用品は、スプーンがアクセントのネックレス。
「このネックレスは、30年以上も前に表参道あたりを散歩していたときに、ふと目にとまりました。柄が折れたフォークやナイフ、スプーンなどをリメークしている南仏の作家さんの作品です」
大林さんは、このネックレスに出会ったとき、ヨーロッパに伝わる銀のさじの伝説を思い出したという。
「銀のさじを持つ人は一生、食に恵まれるといわれていて、ヨーロッパではお嫁に行く女性や生まれたばかりの赤ちゃんに銀のスプーンをプレゼントする風習があり、私はそうした物語が大好きで、当時から興味があったので、買うことにしました。それ以来、就寝、入浴時以外は身につけていて、今では身体の一部のように感じています。お守りですね」
2つ目のアイテムは、世界にひとつだけの包丁だ。
「ホットサンドをパン切り包丁で切ると、どうしても具材がよれてしまう。だから、1度でザクッと切れるような包丁が欲しかった。この包丁は手なじみがよく、重みでストンと切れるので、断面がきれいに仕上がります。切れ味もおいしさですね」
ホットサンド専用のこの包丁は、“現代の名工”として厚生労働大臣賞を受賞した高村刃物製作所の高村利幸氏のご子息たちが大林さんのために作成したものなんだそう。
「2013年に大分県臼杵市が取り組む有機農業の姿を描いたドキュメンタリー映画『100年ごはん』を監督しました。この映画は誰でも上映を主催できるシステムで、その主催者のお仲間が高村家のご友人で、この包丁を作ってくださいました。もう6年以上、愛用しています」
3つ目は、ホットサンドメーカー。こちらも世界にひとつだけの特注品だ。
「私がFacebookで主宰しているホットサンド倶楽部には約8000人の“ホットサンダー”と呼ばれる部員がいるのですが、このホットサンドメーカーを作ってくださった新潟県の山谷産業の社長さんもそのおひとり。去年の11月に刊行されたレシピ本『ホットサンド倶楽部』のタイトルロゴがパンに焼きつく仕様になっていて、突然、送られてきたので驚きました(笑)」
大林さんいわく、ホットサンドのベースとなる食パンは“食べられるお皿”なのだとか。
「例えば、お鍋の周りについたカレーとか、前の日の揚げ物とか、冷蔵庫にちょっとだけ残っている調味料とか、“まあ、いっか”と捨ててしまいがちなものでも、ホットサンドにすれば別の食事としてよみがえるんです。しかも、おいしい。最初は、たったひとりで活動を始めたのですが、“おいしい”という気持ちが通じて、ご縁の輪が広がりました」
3歳から散歩を“ロケハン”と呼んでいた
さまざまな仕事に携わっている大林さんだが、現在は映画『100年ごはん』の上映活動で忙しい日々を送っている。
「上映会は、まずは映画を見て、それから映画やその土地に関する食材などを使った料理を食べ、食に関する話をするという3部構成です。これまで世界各国の250か所で上映され、旅をするように暮らしています」
大林さんは母親のおなかにいるときから映画の撮影現場におり、3歳から映画館に通い始め、過去に見た映画は1万本を超える。
「私は一般的な言葉を覚えるのと同じくらいのスピードで映画用語を覚えて育ち、3歳くらいのときから散歩に出かけることを“ロケハン”と言っていました。あと、自分に都合が悪い状況になると“カット!”と声を出したりとか。私、“カット!”と言えば世の中がピタリと終わるものだと思っていたんです(笑)」
そう語る大林さんは、大林宣彦監督作品のいちばん厳しい観客でもある。
「父は映画を創るために生まれてきたような人で、私たち家族の中心にあるのは映画です。父が肺がんで余命3か月と宣告されてからもう3年がたちますが、過酷な撮影を終え、新しい映画も完成しました。がんを患いながらもこれだけの作品が創れるなんて、この人はどこまで映画の可能性をのばすのだろうと驚いています」
大林さん自身の今後の目標にも、映画が深く関わっている。
「『100年ごはん』を見れば、大分県臼杵市の4年間の農業の取り組みを60分で知ることができます。私は、映画の力を信じていますから。さまざまな気づきのきっかけになるような映画を創っていけたら本望です」
《プロフィール》
おおばやし・ちぐみ ◎1964年生まれ。東京都出身。3歳から映画館に通い始め、8歳から独自の映画論をメディアで展開。テーブルマナー講師。2013年『100年ごはん』を監督し、“見て+食べて+語る”形式で世界各国250か所で上映