13億人の人口のほとんどがヒンドゥー教徒だったはずのインドに異変が起きている。社会に強く根づいているカースト制度にすら入れず、「触ると穢れる」と長い間、差別されてきた不可触民の人々を中心に、仏教に改宗する人が急増しているのだ。
半世紀前には数十万人のみだったインドの仏教徒数は現在、1億5千万人を超え、今でも増え続けている。その偉業を成し遂げたインド仏教の最高指導者が日本人であることは、あまり知られていない。
まるでヤクザの親分
白石あづささんの最新刊『世界が驚くニッポンのお坊さん 佐々井秀嶺、インドに笑う』は、今や伝説的な僧侶・佐々井秀嶺氏の人生と日常に密着したノンフィクションだ。
「佐々井さんと知り合ったのは、2015年の春です。インドでの佐々井さんの活動を支援する南天会の方から、“ちょうど佐々井さんが帰国しているので、取材をしませんか”とお話をいただいたんです。
以前からユニークな方だと聞いていたので、1時間ほどのインタビューをさせていただきました。その際に、“あんた、インタビューが上手だな。ぜひインドに取材に来なさい”と声をかけられたんです」
世界100か国以上への渡航経験がある白石さんはインドを訪れたこともあるという。
「そのときには佐々井さんの言葉を真に受けたわけではなくて、遊びがてら久しぶりにインドに行ってみようかなぁ、くらいの気持ちでした。ちょうどインドが涼しくなる10月に、インド仏教最大の祭典『大改宗式』が行われたので、それを見に行ったんです。
日本で取材をさせてもらったときの佐々井さんは気さくでニコニコしていたというのに、大改修式ではインド人僧侶たちをドスの効いた声で統率していて、まるでヤクザの親分のようでした」
大改宗式の取材写真が『週刊文春』に掲載されると、白石さんのもとには佐々井秀嶺氏のノンフィクション本の執筆依頼が10社以上から寄せられたという。
「でも、正直なところ、佐々井さんは強烈な人間ですし、インドは埃っぽいし、普通に歩いているだけで牛がぶつかってくるし。旅行でも大変なのに、また仕事で行くことはもうないだろうと思いました」
風向きが変わったのは『週刊女性』の「人間ドキュメント」に佐々井氏の記事を寄稿したのがきっかけだった。
「その記事を読んだ佐々井さんがとても喜んでいて、“あいつ、本を書けばいいのに”と言っていると人づてに聞いたんです。佐々井さんは自分が有名になりたいわけではなくて、インドの仏教事情をもっと知ってもらいたいから本を書いてほしいんだろうなぁと思いました。
すでに80歳を越えるご高齢ですし、“よし、書こう!”と決め、いちばん最初に書籍の執筆依頼をくださった文藝春秋の方に連絡をしたんです。そしたら、すぐに予算が組まれて、“気が変わらないうちに行ってきてください”と言われました(笑)」
色に溺れた佐々井青年
佐々井秀嶺氏は岡山県で生まれ、成長とともに女性に対して並々ならぬ関心を抱くようになった。
色に溺れ、3度の自殺未遂を経て仏教に出会い、タイへ渡ったのちにインドの中央に位置する都市ナグプールへとやって来た。波乱万丈のその人生には、しばしば神秘的な瞬間が訪れている。
「子どものころにひどく衰弱したとき、山伏のお告げにしたがって赤い目の蛇の心臓を150個も200個も飲んだとか、3度目の自殺を図ろうとしたときに妙見菩薩の声で思いとどまったとか、大乗仏教の開祖・龍樹のお告げを聞いてナグプールに来たとか。
つっこみどころ満載ではあるのですが、でも、どのエピソードも本当らしいんです」
天に導かれるように現在の地位までたどり着いた佐々井秀嶺氏は、妬み嫉みの対象になりやすい人物でもある。実は、白石さん、インドでの取材中にしばしばスパイ映画さながらの場面に直面したという。
「私はおいしいものが大好きなのですが、佐々井さんには“誰かにもらったものを食べてはいかん”、“お前は食いしん坊だから毒殺されないか心配だ”としょっちゅう言われていました。実際、佐々井さんは何度も毒殺の標的になっているらしいんです。
あと、2週間のインド滞在中は基本的に佐々井さんに密着していたので、暗殺される可能性がある場所へも一緒に行くはめになり……。無事に帰って来られてよかったです(笑)」
偉大なる存在の佐々井秀嶺氏だが、その日常は日本のお坊さんのイメージとは大きくかけ離れている。
「食事は近所の信者の方々が持参する料理で、住まいは12畳ほどの質素な部屋です。その部屋で結婚相談とか、娘さんの留学先のトラブルといった市井の人たちの悩みを聞き、解決策を講じたりするんです。
佐々井さんは“民衆を守るのが僧侶の役目だから”とおっしゃっていて、行政では対応できないことを全部、引き受けているように感じました」
白石さんは、佐々井氏から深く学んだことがあるという。
「佐々井さんはよく、“神も仏もありません。泣いてすがるんじゃなくて、寺に集まり相談し助け合え”と説法しています。日本でもみんなで集まって相談できる場所があれば、引きこもりとか不登校といった問題を解決できるんじゃないかなぁって。
佐々井さんの活動を間近で見るうちに、そんな考えを持てるようになりました」
ライターは見た!著者の素顔
佐々井氏に日本食を食べてもらいたい一心で、食材持参でインドに渡ったという白石さん。
「高野豆腐や乾燥わかめ、鮭の燻製、缶詰といった食材と、めんつゆ、だし、お酢などの調味料を持っていきました。滞在した宿坊には台所がなかったので、湯沸かし器で煮物や汁物を作ったんです。
佐々井さんはすごく喜んで食べてくれたのですが、だんだん舌が肥えて“今日のは味が薄い”などと言われるようになり……。取材期間が2週間でよかったです(笑)」
(撮影/北村史成 取材・文/熊谷あづさ)