二条淳也さん(40代)のケース
「ひきこもりではあるけれど結婚している男性がいる」と知人に紹介してもらったのが二条淳也さん、都内某所の喫茶店で待ち合わせた。
「結婚していますが、一緒には住んでいません。僕、たとえ家族でも誰かと一緒に住むのが苦痛なんです」
妻となった女性とは知り合って10年以上たつが、結婚したのは数年前。結婚式を挙げた当日、ふたりでホテルに泊まったものの、翌日、妻は実家に戻り、彼はひとり暮らしのアパートへ。1週間、新婚旅行へは行ってみて、「やはりずっと誰かと一緒にいるのは無理だ」と痛感したという。
母親に褒めてもらったことがない
二条さんはサラリーマンの父と母、兄と妹がいる「ごく普通の家庭」で育った。
「小学生のころは友達がいたんですが、中学生になった途端いなくなった。友達がみんな急に大人びて見えたから、僕だけが大人になりきれなかったのかもしれない」
孤立し、常にひとりだった。
中学生にとって休み時間にひとりでいるのは耐えがたいのではないか。だが彼はトイレに籠もったり図書室にいたりするのはプライドが許さなかったという。だからあえて「孤立」を受け入れていた。
「変わり者だったのかなあ。修学旅行のとき班分けをしたんですが、僕だけどこにも入れない。先生が“誰か入れてやってくれ”と言ったので、お情けで入れてくれたグループがありました。でも実際、修学旅行ではみんなが早足で歩いていくのを追いかけていく感じで、惨めな思いをしました。自殺する中学生がいるのはよくわかります」
本を読むのは大好きだったが、スポーツはあまり好きではなかった。体育の授業でサッカーをしても、彼にパスが回ってくることはない。プロレス技をかけられたり、持ち物を盗まれたこともある。
周りはふざけていたつもりかもしれないが、彼には「悪意」にしか思えなかった。彼が言うように、子どもたちはこうやって追い込まれていくのではないだろうか。
「高校時代も同じでした。本ばかり読んでいるので、“あいつは変わったやつだ”と言われ続けていました。
高校卒業後、就職も考えたが、与えられた机の前に座って40年以上も仕事を続けることを想像したら、とてもできないと思った。そこで卒業後はアルバイトをしながら、ひとり暮らしを始めた。
「進路に関して両親には何も言われませんでした。ただ、母親には褒めてもらったことも笑顔を見せてもらったこともないんですよね。兄も妹も出来がよかったから、親としては評価すべきところがなかったのかもしれません。僕自身も、小さいころから親に学校での出来事を話すような子ではなかった」
父は理解者だが、母は「僕を否定する人。人生で土台になる愛情を与えてくれなかった過干渉の人」としか思えないと彼は言う。
生きていくために父親から月10万円
飲食店、清掃、宅配便、工場など彼はアルバイトを転々とした。
「どこもきつかったですね。工場で部品を組み立てる仕事をしていたときは、上司が“10分でやって”とストップウォッチを持って立っている。だけど、僕は要領が悪くてできないんですよ。そうするとみんなの前で大声で叱責されて、ますます萎縮する。その繰り返しでした。昼休みも周りの目が気になって、社員食堂にはいられない。だからパンを食べながら工場の外を歩き回って、結局、昼休みが終わって戻ってきたときにはクタクタになって、仕事どころではなくなってしまうんです」
心身ともに疲弊していき、24歳のころ精神科にかかるようになった。安定剤や導眠剤を処方されたが、週に5日、めいっぱい働くのはむずかしい。週休2日では、身体はもとより心が回復しなかった。
「みんなに迷惑をかけたのではないだろうかとか、あの人は何であんな言葉を僕に投げかけたんだろうとか、ずっと考えてしまうんですよ。そういえば子どものころ、僕は母の不機嫌さを毎日、敏感に感じ取っていた。今日は少し機嫌が悪そうだから話しかけないでおこう、とかね。それが習い性になって、やたらと人の気持ちを考えたり、人の感情に振り回されたりするところがあるのかもしれません」
それでも必死で働き、資金をためて28歳で大学入学。10年間、こつこつ貯めて勉強もしていたのだ。しかし翌年、学費を払えずに退学した。誰にも相談できなかった。せっかく入った大学なのに。
「心身ともにくたびれきっていましたしね。30歳を迎えるころには、働くのもむずかしくなりました。そこで両親に手紙を書いて、“精神科にも通っている。もう無理なので仕送りしてもらえないか”と初めて助けを求めたんです。
母は精神科に通っていることがショックだったようですね。母から返事が来て“私にも悪いところがあったと思う”と書いてあったけど、3人の子のうち僕だけを褒めなかったという自覚はないみたいでした。本当は褒めてほしかったし愛されているという実感もほしかった。だけど僕も今さらそれは言えないと思っていました」
生活保護を受給する手もなくはなかった。だが彼は「生活保護を受けるくらいなら自殺する」と手紙に書いた。命と引き換えならしかたがないと、以来、父親が毎月10万円を封筒に入れて持ってきてくれる。それから今にいたるまで、彼は仕事をしていない。
「正直、父には申し訳ないと思っています。兄や妹とは今は交流がありませんが、以前は“親からお金をもらっているようじゃダメだよ”と説教されたこともあります。たまに実家に戻っても、まともに親の顔を見られません。それでも生きていくためにはしかたない選択だったんです」
何もできない自分に絶望する日々だった。アルバイトをしようとしても、周囲の人たちの「使えないやつ」という視線を思い出すと不安が先に立って、社会に出るのが怖くてたまらなかった。その恐怖は今もある。だから一般的な意味での「仕事をする」という選択肢は彼にはない。
「本当はみんなと同じように働きたい。でも働けないというのが正直なところです。僕が社会に出たころはもうバブルが弾けていて、すでに労働環境は劣悪でした。30数か所もアルバイトを転々として、“いやなら辞めろ”“代わりはいくらでもいる”と言われ続けて……。自分に合う仕事も、合う職場も見つけることができなかった。働く気はあっても、働くのが怖いし向いていないと思っています」
それでも「誰かの役に立ちたい、何かの役に立ちたい」という気持ちは強い。たまたま森林伐採やフードロスなどの問題に興味があったので、ボランティア団体で活動を始めた。そして同じ団体でボランティアをしていた、のちに妻となる女性と出会うのである。
フラれる覚悟でひきこもりを告白
20代のころから彼は、恋愛は「それなりに」してきたという。同年代の女性と長年付き合っていたこともあるし、ひと回り年上のシングルマザーと付き合ったこともある。ただ、ボランティア団体で知り合った年下の彼女は、今までの恋人とは違っていた。
「彼女のほうが積極的だったんですよ。お弁当を作るから山登りに行こうとか、海を見に行こうとか誘ってくる。僕は彼女の笑顔を見たくて応じていました。最初は仕事もせずにひきこもっていることを隠していたんです。契約社員でシフト制の仕事をしていると言っていた。
だけど、2年くらい付き合っているうちに、お金はないし妙な時間に電話に出たりするので不審がられて。フラレてもしかたがないと覚悟して正直に話したら、彼女は理解してくれました」
彼女はフルタイムで働く正社員。おそらくいろいろ考えを巡らせたことだろう。正直に話してから数年後、彼女から結婚したいと言われた。
「あなたは今のままで何も変えなくていいからって。別居でいいし、会えるときに会えばそれでいいって。最初はびっくりしました。そんな結婚ってあるのか、それでいいのか、と。“私が結婚指輪を買うし、結婚式の費用も全部出す”と。僕が言うのもヘンだけど、とことん好きになったそうです(笑)」
最後のひと言は言いにくそうに照れながら言葉を絞り出した。その笑顔がタレントの井ノ原快彦さんに似ている。「イノッチに似てるって言われませんか?」と思わず口にすると、ときどき言われると、また照れた。
彼は終始、落ち着いた口調で話す。不快な表情を見せることもないし、自分のことを話しながら、いつしか私自身の話も引き出してしまう。何でも聞いてくれると思わせる穏やかなオーラを放っているのだ。
思わず「ホストになったらモテそう」と本音を吐露してしまい、彼も笑顔でやり過ごしてくれたのだが、あとから聞くと、「酒が弱い、ノリが悪い、仲間とうまくやっていけない、夜の歓楽街が怖い」と自己分析、即座に「ホストは無理だ」と思っていたそうだ。無意味に彼を傷つけてしまったと後悔し、謝ると「イケメンだと思ってくれたのかとちょっとうれしかったですよ」と返してくれた。心根の優しい人なのである。妻となった彼女が、彼を本気で愛し、彼を必要としている気持ちがわかる気がした。
「結婚してから、ひとりでいても不安ではなくなりました。
ものすごく愛されているとわかるから。母には愛されなかったけど彼女は愛してくれる。もちろん、それでも母に愛されなかった心の穴が埋まるわけではないんですが……」
結婚が決まってから、彼と両親で彼女の実家を訪ねた。結婚後も別居だと告げたとき、彼女の両親が不審そうな顔を見せた。
「僕の父親が、今はいろいろな結婚の形があるからとフォローしてくれました。そのうち同居するかもしれないし、とも言ってくれた」
ただ、今も彼が働かずにひきこもっていることを、彼女の両親は知らない。そこは彼女がうまくごまかしてくれているのだろう。
「きっと精神的な負担を強いていると思います。彼女は結婚しているのに親と暮らしているのですから、いろいろ言われることもあるでしょう。だけどそういうことはひと言も僕に言わないし、何かを強いてくることもないんです」
心が回復するのに2週間が必要
ふたりで会うのは月に2回ほど。多くの場合、半日デートして夜はそれぞれの家に戻る。彼は自室には誰も入れないので、ごくまれに夜を過ごすときはホテルなどを利用する。デートは彼女の行きたいところ。流行りの店に並びたいと言われれば、一緒に並ぶ。話をしているとあっという間に数時間がたつから、並ぶのも苦にはならないそうだ。ただ、「ひとりなら絶対に並ばない」と彼は言い切った。
「本当はもっと会えればいいんですが、どうしても1度会うと心が回復するのに2週間くらい必要なんです。そのことを彼女がわかってくれているのは本当にありがたい。彼女はよく、“生まれ変わっても一緒になりたい”“ふたりぼっちの家族だから仲よくやっていこうね”と言うんです。
そういう言葉を聞くと、僕にとっても彼女はよりどころなんだなと思います。妻はいつでも僕の味方でいてくれる」
彼は日常的にはあまり出かけることもなく、「高齢ひきこもり」というブログを運営したり本を読んだりしている。ブログには毎回、いくつかのコメントがつく。誰かが励まされてもいるだろう。時折、生きづらさを抱える人たちが集まる場所で「恋愛相談」を引き受ける。だが相談は「女性限定」だという。
「男は恋愛に関しては何も考えようとしないし、傲慢な人が多いんですよ。相談しているのにケンカをふっかけてくるタイプも多い。だから女性限定にしているんです」
最近、妻と1か月に3000円ずつ出して貯金を始めた。
親からもらう10万円の中から3000円を出すのは厳しいが、2人でひとつのものを持ちたかったから頑張っていると彼は言う。
「貯まったら何をしようかと話すのも楽しいですね。僕は、たとえ豪華な食事を食べられなくても、手をつないで歩いてくれる女性がいることがとても幸せだと思っています」
【文/亀山早苗(ノンフィクションライター)】
かめやまさなえ◎1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震など、幅広くノンフィクションを執筆