人生は、思い描いていたとおりに進むとは限らない。予測もつかないタイミングで子どもを授かったり、一度は愛を誓い合った相手から思わぬ形で裏切られたり。「まさか」と思うような人生の落とし穴は、そこかしこに転がっている。
とくに子どもがいるうえでの離婚は想像以上に過酷であり、その後の人生をどう生きるか、いやが応でも何らかの「選択」を迫られることになる。大人同士の事情で生じた生活の変化により、いかにして子どもたちを守っていけばいいのか。そのうえで自分自身の幸せをどう再構築するか。
今回取材に応じてくれたのは、都内で2人の子どもと暮らす北川澄佳さん(仮名、40歳)。第一子出産直後から離婚に至るまでの約10年もの間、夫の女性問題に苦しめられた。しかし女性の存在を“見て見ぬふり”をして耐えてきた妻と2人の子ども達との日常をバッサリ切り捨てたのは、なんと夫の側だった。ある日突然「家庭」という守られた環境から澄佳さんと子どもたちが放り出されるまでの経緯、そして意外な“その後”について取り上げる。
不倫を“見て見ぬふり”で耐えてきた10年間
「10歳上の夫との結婚生活は、精神的にも経済的にも相当我慢を強いられるものでした。ただ、夫婦関係に波風を立てて夫を不機嫌にすることに抵抗があって……。何を言っても、どうせ弁の立つ夫に論破されてしまうのが目に見えていたんです。だから、夫に深い関係の女性がいることに気づきながらも、それを言い出せないまま10年近く結婚生活を続けてしまいました」
ショッピングビルテナントのアパレルショップ店員だった澄佳さんが夫と出会ったのは23歳。同じフロアにあったチェーンのマッサージ店のマネジャーだった夫と、週に1回ほど顔を合わせるようになったのだ。ある時、フロアのショップ合同で開催された飲み会で2人は意気投合。
「10歳も年上だったので、どんな話を聞いても、『大人だな』とうっとりするばかりでしたね。遊び方も豪快で、ゴルフやサーフィンなどアウトドアな趣味も豊富だし、しょっちゅう海外旅行へ行ったりする余裕も素敵だな、と。関西人特有の面白いキャラにもひかれました」
一気に急接近した2人は順調にデートを重ね、2カ月後には同棲を開始。2年後には入籍を果たす。基本的には平穏な日常だったが、ともに暮らし始めて以降、澄佳さんは夫のお金の管理方法に違和感を覚えていた。共働きだった2人の財布はすべて一括化。管理するのは夫で、澄佳さんはそこからお小遣いをもらうという形だったが、夫婦の食費と澄佳さんのお小遣い込みで3万円だったという。
「食費はなんとか切り詰めていましたが、結構苦しかったですね。だって収入は、2人合わせて月に50万円以上あったはずなんですよ。残りの47万円、どこに行ってるの?と。後からわかったんですけど、実は夫は着々と独立資金を貯めていたみたいなんです」
出産後から女性の影がちらつくように
入籍後、すぐに第一子(男児)を妊娠した澄佳さんだったが、そんなタイミングで夫は脱サラを決行。澄佳さんの出産後すぐに、パーソナルトレーナーとしてトレーニングジムを開業した。驚いた澄佳さんだったが、自信満々の夫の行動に口出しすることはできなかった。開業後のドタバタの中、夫が子育てに参加することはほとんどなし。しかもその頃から、女性の影がちらつくようになった。
「相手は、夫のジムの宣材モデルを務めた女性でした。夫は私のことを完全になめきっていたので、家中に証拠を残すんですよね。ラブラブなメール画面を平然と開きっぱなしにしていたり、クリスマスの夜に、明らかにデートで訪れた高級レストランのレシートが机に置いてあったり……。もちろん衝撃は受けましたけど、子どももまだ小さいし、ちょっとした気の迷いだろうと割り切って、友達に愚痴を吐く程度にとどめました」
彼女との付き合いは程なくしてフェードアウトしたかのように見えた。第二子(女児)も授かり、家族での生活も安定してきたかに思えた頃。新しい女性の存在が浮上した。相手は、夫が開業当時に副業として講師を務めていたマッサージスクールの生徒だった女性だ。同窓会のような形で開催された飲み会から帰ってきた夫が、悪びれず澄佳さんに彼女の話題を切り出した。
「『久々にあったクラスの生徒から、トライアスロンに誘われたんだよね』と。興味があるから、これからグッズをそろえて本格的にやってみたい、という話でした。
何となく嫌な予感がした私は、その日以来、彼女のフェイスブックをチェックするようになりました。すると、夫と同じ場所に頻繁に出掛けている様子が見え始め、しまいには、海外の大会に出ると言って出掛けた夫と同じリゾートホテルのプールサイドで撮ったツーショットを公開していたんです。正直呆れました」
当てつけなのか、詰めが甘いのか。どちらにしろ、澄佳さんをなめきった態度に、むなしさと悔しさがこみ上げてきた。その後も、夫の放置したスマホのホーム画面には、性的関係を匂わせるメッセージが頻繁にポップアップして上がってくる。すべての証拠を写メに残しながらも、澄佳さんは黙認を続けた。
というのも、フェイスブックの彼女のステータスには「既婚」の文字があったのだ。互いに一時の火遊びだ、夫も家庭を捨てるまでの行動には出ないだろう。なぜか淡々と受け入れてしまう自分を、どこか客観的に眺めている澄佳さんがいた。しかし、事態は急展開を迎える。
「ある日突然、夫が私を完全に無視するようになったんです。さすがに耐えられなくなり理由を尋ねると、『子どもを連れてこの家を出て行ってくれないか』と。それはこっちが言うべきセリフじゃないの?と驚愕しましたね。
さらに問いただすと、産後のセックスレスとそれに起因する夫婦の不仲が原因だと言うんです。確かに、2人目の出産以降そういう行為はなかったですけど、寝室を別にしたのは夫ですし、それ以外の部分では表面的であったとしても、普通の夫婦並みに会話もしていたんですよ」
怒りが頂点に達した澄佳さんは、初めて女性問題について言及した。「お付き合いしている◯◯さんと、結婚したくなったの?」。
「一瞬の間がありました。どんな反応が返ってくるのかと思えば、『俺がそんな面倒なことをする人間じゃないって、お前が一番知っているだろう』と。ここまできてシラを切り通そうとする夫に、もうそれ以上何を話しても無駄だと確信しました。
『ここは俺が家賃を払っている家なんだから、お前が出て行くのが筋だ』とも言われて。そこからは別居に向けて着々と準備を始め、子どもの転校手続きをし、並行して浮気の証拠集めも続けました」
2年後、ようやく離婚が成立
半年間の家庭内別居の末に、澄佳さんは子どもを連れて都内の下町にある実家へ引越した。どんなふうにそろばんを弾いたのか、翌月から夫は毎月23万円を澄佳さんの口座に振り込んでくるようになった。
「23万円という額は、法的に定められた婚姻費(=生活費)からは上回る額だと思います。その真意は、自分が女性をつくって一方的に子どもの養育を放棄することへの罪悪感が含まれていたんでしょうね。少なくとも、夫と子どもとの関係自体は良好でしたから……」
当時小学校2年生だった長男はたびたび父親に会いたがったため、振り込みがある限りは仕方ないと割り切って、2歳の妹とともに夫の家に泊まりに帰らせた。2人を送って行ったある時、マンションの前で夫と彼女に鉢合わせしたこともある。
「相変わらず脇が甘いですよね…。その頃には私はすっかり肝が座っていたので、普通に挨拶をしたんですが、2人は明らかに狼狽した表情でジリジリと後ずさって行ったのが印象的でした。子どもから話を聞くと、家には少しずつ見たことのない家具が増えていて、彼女と半同棲を始めていた様子でした」
そこから2年後、ようやく離婚が成立。澄佳さんが久しぶりに夫の彼女のフェイスブックを開くと、ステータスが「独身」に変わっていた。あちらも離婚が成立したのだろう。夫とは調停などはいっさい行わず、離婚後も23万円の振り込みを続けること、養育に必要な費用は都度請求に応じること、メドがついたら200万円の慰謝料を支払うことを口頭で約束をさせた(いまだ支払いはなし)。
そして離婚から2年が経ち、澄佳さんと中学1年生の息子、小学2年生の娘は実家を離れ、3人で地元のマンションで暮らしている。
「家賃は10万円で、下町にしては安くはないほうです。でも夫からの定期的な支払い、一人親手当、私のパート代を合わせると、だいたい月に40万円ほどの収入があるので、3人で十分やっていけています。
結婚していた時代、何を言っても夫にはかなわないと思っていたから、女性問題もお小遣いの少なさにもじっと耐えてきました。そんなストレスから解放されて、あの時代が嘘のように、のびのびと暮らしています。今は、もしかしたら夫のほうが生きづらい状況にあるんじゃないかと。まだ彼女とも再婚していないみたいですし」
元夫の家族に地元の友人達…と、孤独感はなし
というのも、なんと、澄佳さんはいまだに2人の子どもとともに、夫の故郷への里帰りを欠かしていないというのだ。関西の田舎に1人で暮らす80歳の義母や、夫の兄弟やその家族たちと澄佳さんはとても仲がいい。
「みんないい人たちばかりで、大好きなんです。子どもの従兄弟たちもたくさんいるし。夫は昔から里帰りには乗り気じゃなくて、私が無理に引っ張って帰っていたくらいだったこともあり、今ではまったく実家に寄りつかないみたいですね。夫の親戚は、夫にはもう金輪際関わりたくないと、猛反発されています。夫も彼女もさすがに気まずくて、簡単に再婚というわけにはいかないんじゃないでしょうか…」
そしてもう1つ、澄佳さんには“地元の仲間”という心強い味方がいる。澄佳さんの住む町は、都内でも有数のにぎやかな下町だ。地元を愛する人が多く、幼少期からの幼なじみや小さな頃からかわいがってくれたおばさんたちもいまだに同じ町に暮らしている。
「孤独感? まったくないです。近所には気心の知れた友人がたくさん住んでいるし、母子家庭ということもあって、ママ友やその子どもたちも、遠慮せずにうちに出入りしています(笑)。とにかく毎日にぎやか。子どもたちも今では『パパのことはもうどうでもいい、ママがいれば十分』と意思表示をしてくれて、私もホッと安心しています」
笑顔で終始朗らかに話す澄佳さんだが、いずれ夫からの生活費の振り込みが途絶えることがあれば、「法的措置に出ることも辞さない」と毅然と言い切る。夫の不倫やモラハラに怯えていた頃の澄佳さんはもういないのだろう。
そして改めて、人と人とのつながりの大切さを感じさせられた。シングル家庭にどうしても付きまとう孤独・孤立。その闇から逃れるためには、周囲からの精神的支えが絶対的に必要となる。澄佳さんが丁寧に培ってきた人間関係が、今、3人となった家庭を明るく照らしている。
波多野 友子(はたの ともこ)◎ライター 日本大学芸術学部写真学科卒。大手テーマパークでオフィシャルフォトグラファーを務めた後、2012年にフリーライターへ転身。執筆は企業オウンドメディア、女性向けメディア、サッカーメディアなど多岐にわたる。育児や女性の働き方に関心を寄せる1児の母でもある。