かけがえのない人の命が突然、見知らぬ者に奪われたら。 もしも、あなたに守りたい人がいるのなら、一度は頭をよぎったことがあるはず。逆の立場で、自分の子どもが、恋人が、誰かをあやめてしまったら──。
ながくフタをされてきた『死刑囚』の実態
8月2日午前、法務省は2人の死刑を執行した。元号が令和になってから初めての執行になる。刑が執行された死刑囚はどちらも、2名以上の女性を殺害し、金銭などを奪うといった凶悪な事件を起こしている。
ちなみに昨年、同省はオウム真理教元幹部の13名を含む、計15名の死刑囚を死刑台におくりだした。これは執行人数などを公表しはじめた平成10年以降、最多人数である。
現在は少なからず執行された者の氏名や人数が報道されるようになったものの、以前はそれらの情報が一切、表に出てこなかった。過去も現在も、死刑の執行に関する具体的な事実は詳細に取り上げられず、政府はそういった情報を長く閉ざしてきたのだ。
情報があふれる現代でさえ、死刑囚というひとりの人間が、日々どんな生活をし、どんな表情で言葉を放つのか。そして最期はどのように迎えるのか。その営みの輪郭さえ知る機会はない。
死刑囚の生活とはいったいどんなものだろうか。「知りたくもない」という声すら聞こえてきそうだ。けれど、死刑囚に関する情報が何も与えられないまま「人を殺めたのだから死刑が妥当」という声に、私はずっと違和感を覚えてきた。だから「知りたい」という思い一心で、現在、死刑囚と呼ばれる者との交流を続けている。
死刑囚が収容されている『拘置所』の中で
「死刑囚に会いに、“刑務所”に通っているのですか?」
私自身の体験を話すとき、よく投げかけられる質問である。
まず、死刑囚とは、死をもって刑を全うすることでその役目を果たすため、刑期のある受刑者(裁判所から懲役◯年と言い渡された者)がいる“刑務所”には収容されない。死刑囚が収容されているのは、死刑台が設けられた全国7か所にある“拘置所”である。
前橋市高齢者連続殺人事件の犯人
土屋和也死刑囚
7月末、その日は東京で梅雨明けが発表されていた。
私は、ある死刑囚と5か月ぶりの面会を果たすため、葛飾区の小菅駅を降り、東京拘置所へ向かった。窓口で面会の申請をすませ、手荷物をすべて預け、金属探知機を通り抜けてからエレベーターで10階まで上がる。そこで、ようやく係の者から面会室まで案内されるのだ。
面会室は番号づけされており、私は“1番”の小部屋に案内された。3~4畳ほどの面会室の真ん中には遮蔽板があり、面会人と死刑囚の間が仕切られる。椅子は向かい合わせに3つずつ並べられており、死刑囚側には刑務官が会話のメモをとるための机が設置されている。
自分の呼吸音が雑音に思えるほど、薄暗い室内は静まり返っていた。ここで死刑囚と対面することになるのだが、死刑囚が現れるまでの数十秒、なぜかいつも息が短くなり、胸の鼓動がはやくなっていくのを感じる。そのたびに深く息をつき、唇をぎゅっと結ぶ。そうやって、死刑囚を迎え入れるまでの時を過ごしている。
まもなくして、刑務官に連れられた男が入室してきた。グレーのTシャツに短パン、青い靴下にサンダル姿の男は、私の顔を確認すると軽く会釈し、無言のまま着席した。
ガラス越しに着席した彼の名は、土屋和也死刑囚。
2014年11月に高齢者1名、続いて12月に高齢夫婦を殺傷したとして、強盗殺人などの罪に問われ、一審・二審ともに死刑判決を下された、いわゆる《前橋市高齢者連続殺人事件》の犯人である。土屋死刑囚は上告しており、現在は未決死刑囚として東京拘置所に収容されている。私は土屋死刑囚と2017年末から文通を始め、翌年5月に面会を果たし、今も取材を続けている。
生まれたときから凶悪で残忍か
私が土屋死刑囚と文通をしはじめてから1年半以上がたつ。面会室で「はじめまして」と言葉を交わして以降、そのころからは想像できないほど、現在の彼は罪の意識を口にできるようになっていた。私からの質問にも、間をおかずに答えられるようになり、彼から質問を投げかけてきたり、話題を持ちかけてきたりするようになった。口数もかなり増えてきた。ここまで読んだところで、みなさんは「なぜ普通の会話ができないのか」と思うかもしれない。
死刑囚には面会人を除き、“話し相手”がいないため、会話をする機会が格段と減ってしまう。「会話をする」ということが日常からはぎ取られてしまうのだ。そのせいか、受け答えが上手にできなくなっていくことがある。刑務官が食事の配膳や見回りなどの世話役として配置されてはいるが、そこにたわいのない会話など、ほとんどないという。独房でただひとり、「迫り来る死」を待ち続ける日々を過ごすのだ。
それだけでなく、土屋死刑囚に関しては逮捕されるまでの26年、周りの人間との関わりがほぼ皆無だったそうだ。彼を知る者が口をそろえて「彼に親しい友人などいなかった」という証言は、彼の人間関係の希薄さを表しているといえる。そのせいか、彼にとって誰かと言葉を交わすという行為は、簡単といいきれるものではないようだ。
20分の面会時間。この短い時間で、最近の出来事や、裁判の経過、今の心境などを聞く。目的もなく、ただとりとめもない話をして終わる日もあったが、それが時間の無駄だとは思わなかった。ただただ執拗に通うことで、そのうち彼に潜む凶悪な内面をめくり返せるのではないかと、どこかで思っていたからだ。
彼に備わっているはずの“凶悪さ”が殺人を仕向けたのならば、その凶悪さとはなにか知りたかった。しかし、10回以上に及ぶ面会の中で、一度も彼の凶悪さを見たことがなければ、それらしい“におい”すらしなかった。それだけでなく、会話の中でごくたまに表情が緩む瞬間を見たときがあったほどであった。
彼の誕生日に、メッセージを添えた手紙を送ったときには、「これまで誕生日なんて期待したこともなかったけど、素直にうれしかったです。ありがとうございます」と、一度だけ笑顔を見せたときもあったのだ。
限られた面会時間の中で、会話の節々にみる彼は、確かに許されない残忍な殺人を犯してしまった死刑囚であるが、生身の人間でもある。こちらが勝手に、目の前の彼を都合よく“私とは違う”と決めつけて、凶悪だと思い込んでいたのかもしれない。
信じられないかもしれないが、私の目に映る彼は、「謙虚で小心者」という言葉以外に、彼を表す言葉が見当たらないほどだったのだ。メディアが見せる『残忍で凶悪な死刑囚』という、これまで積み上がってきた先入観というものが、一気に崩されたような感覚に何度も陥った。
「謙虚で小心者」。この画が自分でも信じられず、夢でなく現実と受けいれることに時間を要した。誤解を恐れずにいうならば、彼には凶悪であってほしかったのだ。「死刑は当然の罰だ」と、私は強い声に頼りたかったのだろう。
加害者の足跡をめぐる旅
面会を重ねるうち、土屋死刑囚にも変化が見えてくる。私が面会交流を始めたころは、ほかに面会に来る者などほとんどいなかったそうだ。
彼は当初、常に淡々とした口調で、表情も乏しく、自らの過去を自嘲し、過ちに向き合おうとする様子もうかがえず、吐き捨てるように言葉を放っていた。言葉が見つからないときは、決まって頭をかきむしる仕草を見せた。生が失われたような目、青ざめた顔。それはとても直視できるものではなかった。
私「外、すっごく暑いですよ」
彼「あぁ……部屋(独房)からは天気もわからないんで……」
私「窓ってないんですか?」
彼「あるけど、透明ではないし、高いところにあるからないようなものっすね……」
何か嫌なことを聞いてしまっただろうかと心配になるほど、彼の声はどんどん小さく語尾はほとんど聞きとれなくなっていく。外のことなどに興味はないのだろうか。それとも私を警戒しているのだろうか。交流し始めた当初は、彼の心の扉は固く閉められていて、「ドアノブにさえ触れさせてもらえない」ほどだった。冷淡な要素が彼のほとんどを占めているのだと思わざるをえなかった。別の日の会話では、
私「気分はどうですか?」
彼「……。特に……。なんというか、色がないというか……」
私「“色が無い”って?」
彼「……。」
答えられないことがあると、さらに下を向き、黙り込んでしまう。こうなると、こちらが質問を変えるほかなかった。核心に迫ろうとするたび、目をそらし、頭をかきむしり、なにも発せなくなる。これが彼の決まった手順になりつつあった。
だがここ数か月、何らかのご縁で、何人かが不定期に面会に来るのだという。「(筆者の)ブログをみて面会に来たという人がいました」という報告も、今では珍しくなくなった。このころからだろうか、何を質問しても動じなくなった。彼の乏しい言葉の中から、どうにか伝えようとする姿勢が伝わってくるようになったのだ。
遮蔽板を介した面会室の中で、私以外の人間とのふれあいが彼に何らかの変化をもたらしたのかもしれない。
同時にふと思ったのは、「もしもこのような人との関わりが彼の日常にあったならば、彼の人生は大きく変わっていたのかもしれない」と。人のぬくもりというものが、犯罪を防ぐ唯一の特効薬なのではないかと思わずにはいられなかった。
目の前の彼は、最初から凶悪だったのだろうか。なぜ、人を殺めてしまったのだろうか。誰が、何が、彼を凶悪にしたのか。そうした疑問が心の底から沸々とわいてくるのだった。
彼を殺人者に仕立てあげたのはいったい何か。その理由を突き止めるには、彼の生い立ち、事件の詳細を知ることが必要だと思った。次第に彼の人生の足跡をたどろうと、彼を取り巻いた人々に会い、事件の詳細をイチから追っていくことにした。
のちの連載で、詳細は綴っていくことにするが、事件背景を追ううちに浮かび上がってきたのは、土屋死刑囚の“孤独”と“貧困”だ。彼の人生背景に潜むこれらが、現代社会の若者が抱える問題と重なりすぎているからか、土屋和也という人間が、“特別な事情を抱えた誰か”ではなく、“もしかしたら私の周りにもいるかもしれないあなた”かもしれないという、嫌な予感をそのまま放ってはおけなかった。
『なぜ、犯罪をおかしてしまったのか──』。この問いの裏には、これ以上被害者も加害者も生まないための教訓が、きっと隠されている。
《ガラス越しの死刑囚》殺人事件の背景にあった、彼の孤独と貧困【第2回目】
(※第2回目は2019年9月29日 19時30分配信)
●河内千鶴(かわち・ちづる)●ライター。永山子ども基金、TOKYO1351メンバー。 これまでに地球5周、世界50か国以上を旅しながら、さまざまな社会問題を目のあたりにする。2013年から死刑囚の取材を始め、発信を続ける。連載に『死刑囚からの手紙』週刊金曜日。