1987年、現役横綱の廃業会見をした双羽黒。この髷を結ったのが床蜂さんだった(写真/共同通信)

 去る7月の大相撲・名古屋場所千秋楽、横綱白鵬が感謝の花束を贈った人がいる。床山の床蜂(とこはち)さん。白鵬が2004年に十両に昇進して以来ずっと、その髷(まげ)を結ってきて、名古屋場所を最後に定年を迎えた。

 そもそも「床山」とは、大相撲の力士の誇りともいうべき髷を結う人。相撲協会に採用され、相撲部屋にそれぞれ所属する。力士と同様に地位があり、5等~1等、さらに最高位の特等まであって、全員が名前を「床~」と名乗る。常時50名ほどが在籍し、土俵に上がることはない、相撲界を支える陰の職人集団だ。

 その最高位、特等床山だった床蜂(とこはち)さんこと、加藤章さんは1954年8月17日生まれ。正式に定年退職の日を迎えられたことで今回、特別にお話を伺うことができた。

  ◇   ◇   ◇  

床山の憧れの舞台で震えた手足

 特等床山の床蜂さんは横綱白鵬が十両に昇進した2004年初場所以来、15年間ずっとその髪を結ってきた。その間、白鵬は42回の優勝を誇り、床蜂さんは最も多く優勝力士の髷を結う床山となった。

「支度部屋の一番奥、あそこで優勝力士の頭をやるというのは床山のひとつの憧れだけど、自分がまさかああいうところでやるとは思ってなかった。北の湖さんにも『オレの頭やるか?』と優勝を前に声をかけてもらったことがあるんだけど、『あんなところでやったら緊張しますから』って断ってたんで。だから白鵬が最初に優勝したときは手も足も震えてものすごい緊張をしましたが、ふと目の前にあるテレビを見たら自分が映ってる! それで余計に緊張しました」

 ちなみに白鵬の髪の毛はやわらかくて腰がなく、毛の一本一本がストレート。それでいて左側にクセがあって結うのはとてつもなく大変なんだとか。

「一度、白鵬の髷がおかしいと注意されたことがありました。それで大先輩の床山さんに聞きに行ったら『いやいや、お前は完璧だよ。自分のやり方でやればいいんだ』と言ってもらえて、それからは髪質を見極めてやるようにしています」

 そうやって二人三脚、ずっと一緒にコツコツと42回の優勝を積み重ねてきたんですね、と言うと「白鵬は自分で自分に厳しくできる人。あれだけの素質を持って努力してきたからね」と称賛し、でも、それから驚くことを話してくれた。

「最初のころ、白鵬とはほとんど会話をしなかったんです。あるとき、白鵬がちゃんこ場でメシ食ってるときに、『章さん、オレのことすごい嫌ってる』って若い衆に言ったらしい。ふ~んって、それをまた聞きしたけど、しばらくしたら白鵬から『章さん、自分のこと嫌いでしょう?』と直接聞かれて、『うん』って答えた。それで『いやだったら、いつでもほかの床山さんと代わるから』って言ってね。何と特に理由はないけど、最初は馬が合わなかったんです」

 わわわわわわ! 白鵬ファンの私は話を伺いながら椅子から転げ落ちそうなるほど驚いたが、そうしたものも乗り越えてきた床蜂さんと白鵬の月日と関係性に思いを馳(は)せた。それぞれの立場でトップに立つ者同士におべっかや媚(こび)、嘘偽りなんて通用しない。甘ったれたものが一切ない場で、次第に互いを尊敬し合う、厳しくも真摯な関係が築かれてきたんだろう。このふたりだからつないでこれた絆は、ほかの誰にもわからないものだ。

 さらに床蜂さんは言う。

「北の湖さんと白鵬は似てるとこがあるって話したけど、遅刻魔なのも似てる。それに白鵬は悪気はまったくないんだけど、思ったことをぐっと抑えることができなくて、パッと言っちゃって誤解を招いたりするよね。井筒親方なんかは『モンゴルの人にはモンゴルの流儀があるから』って理解を示してくれるけど、世の中みんながそうじゃないからね」

 床蜂さん、白鵬に厳しく苦言を呈す。でも、ファンからすると、そういうところもまた魅力だ。完璧なほどの強さを見せながら、ぽろっと零(こぼ)れ落ちるところがある。人は誰も完璧ではないし、たとえ横綱とて完璧な神にはなれない。長く横綱としてやってきて、そういうところを垣間見せてくれるようになって、白鵬はより魅力的な横綱になったと思う。

「うん、そうだね、白鵬は人はいいよね、めちゃくちゃいい人なんだよ」

2007年、横綱に昇進したときの白鵬

白鵬の知られざる一面を“暴露”

 白鵬はまた、私たちの知らない別の顔を床蜂さんに見せている。

「白鵬はめちゃめちゃやきもち焼きなんです。自分は把瑠都(元大関。現在はエストニアの国会議員)と仲よしだったんですが、あるとき巡業で把瑠都に『章さん、一緒に飯食おう』と言われて一緒に弁当を食ってたら、そこに白鵬が通りかかった。『どこで飯食ってるの?』って聞くから『どこって、ここだよ』って答えてそのまま食べてたの。

 そしたら食べ終わるかどうかってぐらいのタイミングで若い衆が来て、『章さん、横綱、頭やるって言ってます』って言うんですよ。大銀杏を結うにはいつもよりぜんぜん早いし、横綱は昼寝もしてない。でも、頭やって、また把瑠都んとこ戻って話してたら、把瑠都が『章さん、横綱がずっとこっち見てます』って下向いちゃって」

 これには私も笑ってしまった。失礼ながら白鵬、なんてかわいい。あんな大横綱なのにやきもち焼きなんて! 

 しかし床蜂さんを大好きなのは白鵬だけではない。あの遠藤も床蜂さんに長年「一回やってくださいよぉ」と切望してきたひとりだ。それが昨年春の八王子巡業で実現。そのときの新聞記事には、

 “いつもは横綱白鵬の大銀杏を結う床山の「横綱」に髪をさわられた遠藤は「雰囲気がありますね。毎日、お願いを言い続けてよかったです」と大満足”と書かれていた。(スポーツ報知/2018年4月21日)

「遠藤の頭やりはじめた瞬間に報道陣がバーッと囲んできて、自分はあがり症でしょう? 緊張しちゃって、終わったら遠藤が『トイレ行って鏡見てくる!』って言うから『今日はやめて』ってお願いしました。『じゃ、今度もう一回あるの?』って言われたけど、それ以来、果たせてないですねぇ」

 それからもうひとり、床蜂さんに結ってもらいたいとお願いしていた人がいた。それは、今年2月に亡くなった横綱双羽黒だ。彼が横綱に昇進した1986年、「章さんを付けてください」とお願いし、やることになった。いろいろなことを言われ続けた双羽黒だが、床蜂さんは「人間的に悪いやつじゃないです。親方からは話を聞いてないから何とも言えないけど、本人の言い分を聞けば、それもなぁと思えます」と言う。

 例えば、双羽黒は自分より下の弟子や付け人をいじめると言われていた件に関しても、簡単にはそうだと言えない事情があった。

「幕下の子とか、なんとか強くしてやりたいと厳しくしていると、親方に『北尾(双羽黒の本名)、おまえの弟子じゃないぞ』と言われてカチンときたと言ってました。自分では兄弟子としての責任感で、いじめだなんて思ってないんです。一度、札幌で一緒に飯を食いに行こうって話になり、双羽黒が『付け人たちもみんな連れて行く』って言うんで、『一緒に行きたいか本人たちに聞いて確かめたほうがいいよ』と言ったら、『オレと飯食いに行くのは嫌か?』なんて聞く。だから、そんな聞き方しちゃダメだよって言ったけど、そういう物言いがうまくできない人でしたね」

 人とのコミュニケーションがあまり上手にとれなかった双羽黒。さらに床蜂さんは言う。

「だいたい、横綱ってものは孤独なんですよ。みんな横綱となると、引くじゃないですか。若い子たちからしたら、横綱と出かけるより、自分たちだけでいたいと思う。そういう意味ではかわいそうです」

双羽黒、失踪事件に“加担”

 床蜂さんは双羽黒の孤独を知っていて、側にいた。そこへ巻き起こった失踪騒動。1987年12月、双羽黒が親方と衝突して部屋から出て行ったと大騒ぎになって、結局、双羽黒は廃業に追い込まれる。24歳の現役横綱、突然の引退だ。

「あのとき双羽黒から連絡が来たので、逃げ込んだマンションに行って髷を結いました。それで双羽黒が記者会見を開いたときに髷がきれいだったから、『どこかの床山が来てるのか?』と相撲協会も騒ぎになって、あとで自分は減棒食らいました。マンションに張りついていた報道陣にも『中の様子を教えてください、名前は出しませんから』と言われて少しだけ話したら、しっかり名前出されちゃってね」

名横綱たちに愛された床山・床蜂(とこはち)さん(2019年8月)

 それでも床蜂さんは双羽黒のことを恨んだりしていない。そのときマンションで双羽黒が『これを持って行ってください』と渡してくれた櫛(くし)を、30年以上たった今まで大切に使い続けてきた。今年亡くなったニュースを聞いたときには、驚いて言葉が出なかったという。

 床蜂さんの床山人生はまさに波瀾万丈。いろいろなことがあった。

 そして、定年退職を迎えたいま、「自分は床山として恵まれていたと思います。人気力士も横綱の頭もやってきて、自分の思うことは何から何まで叶いました」と、その半生を振り返る。

 名古屋場所千秋楽。取組を終えた横綱白鵬の髷を直し、床蜂さんは最後の仕事を終えた。手を洗って帰ろう、そう思っていたら宮城野部屋の山口(大喜鵬)が飛んで来て「章さん、ちょっと帰らないでください」と言う。それでピンと来て、「さては白鵬が何かするつもりでいるな?」と思った。

「白鵬はああいうことが大好きだけど、自分は苦手なんですよ。だからさっさと手洗って逃げようとしたのに、入り口で宮城野部屋の樹龍が『章さん、待ってください。章さんのことだから、すぐ逃げるなって思いました』と通せんぼをする。

 そしたら白鵬が花束を持ってきたから、あ、こりゃダメだって。『お疲れさまでした』とパッと渡されて、もう、ジーンときちゃった。そういうの本当に弱いの。弱いから、イヤなの。涙出ちゃうから。それで白鵬を見たら、やっぱり涙出てて。新聞にも、白鵬の目にも涙って書いてあったらしいですね。

 白鵬は『このまま辞めさせない』とか陰で言ってるらしいんです。この間は『毎日電話してやる!』って言ってきましたよ。なんだかねぇ、自分の息子みたいなもんです」

 特等床山・床蜂こと、加藤章さん。

 52年にわたった床山人生にいったん櫛を置くけれど、また別の形で相撲にかかわってくれるんじゃないか? と、いちファンとして期待している。床蜂さん、最後に若い床山たちへ助言をお願いします。

「自分で探していかなきゃダメってことだね。俺も基本は教えてもらったけど、あとは自分で研究した。見て覚えるというけど、ただ漫然と見ているだけじゃ見てないのと同じ。しっかり頭に入れて、それをやってみて、自分なりの大銀杏を作ってほしい。床山が50人いれば50通りのやり方があっていい。全部違う。それが大相撲の床山の仕事です」

 これは誰の仕事にも通じる金言ですね。床蜂さん、ありがとうございました。

《前編「白鵬・千代の富士・北の湖の髷を結ってきた、相撲界の“生き字引”に聞く横綱秘話」》


和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。