「亡くなってすぐは、本当に多くのファンがお墓参りに訪れていました。そろそろ一周忌を迎える今も、訪ねてくる人はいらっしゃいますよ」(近隣住民)
樹木希林さんが逝去して、間もなく1年─。港区南麻布の光林寺に、夫である内田裕也さんとともに眠る希林さん。一周忌を迎えようとしている今も、彼女を偲んで訪ねてくる人はあとを絶たない。
8月16日に公開された映画『命みじかし、恋せよ乙女』は彼女の“遺作”ということもあり、注目を集めている。昨年12月に出版された書籍『一切なりゆき 樹木希林のことば』(文藝春秋)は、'19年上半期のベストセラー1位を記録。ほかにも『樹木希林120の遺言 死ぬときぐらい好きにさせてよ』(宝島社)など、希林さんに関する書籍は圧倒的な人気を誇り、この世を去ってもなお、彼女の生きざまが多く人の心をつかんでいることは明らかだ。
希林さんが今でも多くの人に愛される理由。それは、彼女が行っていた独自の“幸せのおすそわけ”が関係しているのかもしれない─。
モッくんも連れてきて……
今年3月に開催され、評判となった企画展『樹木希林 遊びをせんとや生まれけむ展』が、10月に再び行われることに。この企画展のポップアップショップに携わっており、希林さんとは30年来の仲であるブティック『PRESS 601』代表のムッシュ遠藤さんに話を聞いた。
「ついこの前、娘である也哉子さんに“あれから1年がたちます。おかげさまでまた企画展を開くことになりました”という、丁寧なご挨拶をいただきました」
遠藤さんは、希林さんが亡くなる2か月前まで、2週間に1度のペースで会っては食事をともにしたり、家を行き来する仲だった。
「希林さんと最後に会ったのは、国際映画祭受賞のときですね。杖をつきながらも、つらかったでしょうが、わざわざ寄ってくれました。
元気なころの希林さんは、ウチの店に入って来るなり“STAP細胞はあります!”とか、そのときに話題になっていることをジョークとしていきなり言うこともありました(笑)」(遠藤さん、以下同)
不動産の購入が趣味だった希林さんは、遠藤さんにもよくその話をしていた。
「会うたびに“今どんな家に住んでいるの? 持ち家?”とか、家のことを質問攻めにしてきました。私は若いころパリに住んでいたので、自分の家をロフト風に建てると、すぐに希林さんが見に来て“コレいいじゃない”って気に入ってくれたんです。後にモッくんも連れてきて、リフォームの参考にしてくれたみたいですよ」
「内田をよろしくね」
誰に対しても飾らず、ありのままの姿で接していた希林さん。長年、彼女が信頼し、愛用する着物について相談をしていた相手が、着物スタイリストの石田節子さんだ。
「'92年、希林さんが小林聡美さんと親子漫才の役をやったときに、私がおふたりの衣装を担当したのが最初で、その後、ずっとお付き合いをさせていただきました」
モノを持たない生活を自称していた希林さんは新しい着物は買わず、人から譲り受けたものを大切にしていたという。着物スタイリストとして独立した当初、生計を立てるため清掃員のアルバイトも行っていた石田さん。その当時から希林さんは厳しくも温かく、世話を焼いてくれていた。
「希林さんとしては、この子を世に出してあげたいと思ってくれていたんだと思います。希林さんが出演していた『ピップエレキバン』や『フジカラー』のCMで初めてスタイリストとしてお仕事をいただき、現場でのあらゆることを学びました。荷物が大変だろうからと、おひとりで運転なさって私の送り迎えまでしてくださったんです」(石田さん、以下同)
'11年に放送されて“夫婦共演”が話題となった結婚情報誌『ゼクシィ』のCMで、裕也さんのスタイリングも担当した石田さんは、CM撮影で思い出すエピソードがある。
「着替え用にロケバスを2台用意すると言われていたのを“1台でいいの、もったいないから”と断っていました。“私が先に支度をして、ほかの車に移るから”と入りの時間を早めていました」
仕事ではもちろん、私生活でも着物を着ることが多かった希林さん。その理由に彼女の奥深い優しさが垣間見えた。
「希林さんは、いただいた着物を必ず手直しをするのですが、それには仕立て、洗い張り、染め直し、そして再び仕立ての工程が必要になります。実際にご本人が着物を着るまでに、たくさんの職人さんたちが仕事をすることになるんです。職人さんたちの仕事がなくならないようにそして着物がなくならないようにと、たくさんの方のことを思ってくれていたんです」
着物の手直しが、たくさんの人の“しあわせ”に結びつくことを望んでいたのだ。
「みんながよくなることが、希林さんの希望でもありました。人にいただいたものでたくさんの人が潤うのであれば、いただいた着物をさらに素敵なものに仕立て変えて、いろいろな場所に着て行ってあげたいというお気持ちで、けれんみのあるカッコいいお着物姿になったのかなと思います」
いただくもののなかには高価な着物もあったが、希林さんはハサミを入れることに躊躇はしなかった。
「ご本人は“着てこそ、よ。いただいたら、すぐに着なきゃ”という意識でした。本当に希林さんらしいですよね」
そんな彼女の“おすそわけ”は夫婦の愛にも表れていた。
「16年前から裕也さんのマネージャーを務め、自宅で闘病生活を送っていた際は、ずっと彼に寄り添い続けていたAさんの存在が、一部週刊誌で報じられました。希林さんは彼女に対して“私ができないことまで内田のためによくやってくれている方。感謝の気持ちしかありません”と話していたそうです。また、ご自身がもう長くないと悟ったときは、“内田をよろしくね”と彼女に伝えたといいます」(スポーツ紙記者)
裕也さんのそばにいた女性たちにも感謝を忘れず、思いやりの心を持ち続けた希林さん。世間一般的な夫婦の形ではないにしろ、彼女が夫を思う気持ちは、生活のあらゆる場面で垣間見えたという。
「『ゼクシィ』の撮影後に、私が“裕也さんってステキですね”と言ったら、“そうでしょ、ステキでしょ?”と返してきたこともありましたよ(笑)」(石田さん)
“一切なりゆき”と言いながら、心遣いを忘れない希林さんの生き方は今後も人々を魅了していくに違いない。