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「女性ひとりの生き方」をテーマに執筆を続け、1000人以上の孤独老人を見てきた作家の松原惇子さん。新刊『孤独こそ最高の老後』(SBクリエイティブ)では、孤独は「敵」ではなく「強力な味方」であり、孤独から逃れようとするほど不幸になると訴えています。そんな松原さんが数々の老人ホームの取材を通して見た実態とは──。

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「死にたい!」「殺してくれ!!」……。某介護付き有料老人ホームは、夜になると静かで暗い部屋に、叫びともいえるうめき声が行き交う。全国展開している大手のこのホームは、完全に老人の姥(うば)捨山になっていると、パート職員の男性は語る。

「どの人も、家族が来るのは最初だけ。次に来るのが、死んだときですよ」

孤独を避けようと、老人ホームに行くと……

 ホームがいつもと違う明るい雰囲気になるのは、見学者や関係者の訪問日だけだ。その日は、ホーム側の意向もあり、入居者たちは、「こんにちは」とニコニコと挨拶をするので、誰も彼らの本当の気持ちを知ることなく帰る。老人は決して語らないが、老人なりに気を遣ってお世話になっているのだ

 職員が帰った後の夜のホームでは、死を待ちながら暮らしている人が息をひそめて寝ているのかと思うと不気味だ、と彼は話す。それゆえに、夜勤希望者はほとんどいない。夜勤を希望する職員は、年金では生活できない高齢者となる。

 朝のホームはとても忙しい。聞いて驚いたのは、パートの彼ひとりで、1階と2階の約60人のトイレの付き添いとおむつ交換をしているからだ。

 朝になると、目覚めた老人たちが、あっちからもこっちからも、「ああ、うう」と彼を呼ぶ。到着を待ちきれず、おもらしをする人もいる。ウンコまみれで待つ老人もいる。こんなひどい状況でもホームを運営する会社は、十分な数の職員をあてがわない。

 ホームもピンからキリまであるので一概には言えないが、施設入居は、老人本人にとりいいところとは言い難い。しかし、家族にも自分たちの生活があるので、かわいそうだと思ってもホームにお願いするしかないのが現実なのだ。

 孤独を避けるためにホームに移ってきた老人も多いのだろうが、確かに物理理的な面では孤独は解消されている。職員はいるし、老人もたくさん住んでいる。でも、精神的には満たされたとは決して言い難い。

娘のために考え、諦めて入ってくれた

 特別養護老人ホームに90歳の母親を入所させた63歳の女性の場合。

「特別養護老人ホームに入れて、あなたもお母さんもラッキーね」と周りの人からはうらやましがられる。でも、「母親が、入所を喜んでいるわけではない」と、彼女はきっぱりと否定する。

「本人は、家で暮らしたいに決まっているじゃないの。母は、娘のわたしのために考えたあげく、諦めて入ってくれたのよ」

 ホームに母親を入居させて5年半たつが、母親の寂しげな姿が目に焼きつき、今でも思い出すと涙が出るという。

 住み慣れた家で生活できなくなった母親の気持ちを察し、娘は毎週、母親を訪ねている。しかし彼女のように、面会に来る家族はとても少ないということだ。

 寂しそうな入所者に気遣い、みんなのいる食堂で母親と話すことを避け、部屋で話すように彼女はしている。「いいね。あんたのところは娘さんが来てくれて。うちなんか、誰も来ないよ。息子がバカだから、ここに入れられちまったんだよ」。元気な入所者は、彼女に怒りをぶつけるという。

 でも、そんな恵まれた彼女の母親でさえ、「早く死んじまいたい」ともらすと娘は語る。決してホームの対応が悪いわけではない。スタッフは親切で、いい人ばかりだ。カラオケが得意な母親は、スタッフにいつも褒められている。それなのに、なぜ、死んでしまいたいのか。

 それは、老人ホームに入れられた老人は、どんなに立派なところを用意されても、家族に捨てられたという思いがあるからだろう。老人は、自分が家族の邪魔になっていることを敏感に察知する

 家族から「お母さん、いつまで生きるつもりなの?」と面と向かって言われなくても、早く死んでほしいと思われていることくらいはわかる。

 娘に遠慮がちにつぶやく「死にたい」の言葉の裏には「知らない人の中で、死ぬまで暮らす精神的苦痛から抜け出したい。早くラクになりたい」という思いがあるからではないだろうか。

 一方、大家族の中で100歳を迎えた人は、決して「死にたい」とは言わないだろう。

 ホームの存在はありがたいが、孤独からくる満たされない心は、自分で満たすしかないのだ。

老人ホームの職員は「お年寄りは幸せですよ」と言う

「どんなことがあっても、老人ホームなんかには入らない。絶対に嫌だ!」という老人もいる。しかし、子どもの生活を考えると、結局は入居せざるをえない親は多い。

 有料老人ホームの利用価格にもよるが、高級なところに入居している老人の現役時代の職業は、医者、弁護士、会社役員などの社会的地位が高いものが多い。なので、わたしの家もそうだが、あまりお金のない家は有料老人ホーム入居の選択肢がないので、気がラクだ。

 家族としては、決して親を見捨てたわけではないが、温かい住み慣れた自宅から、知らない老人ばかりの施設に移るのは、誰にとっても寂しくつらいことだ。

 親を老人ホームに入れることのできた家族は、胸をなでおろす。老人ホームに入れば、食事、入浴、下の世話をスタッフがしてくれるからだ。ときどき、外から歌や踊りを披露する人が来てくれて、楽しませてもくれる。

 しかし、ここが最後の場所である老人たちにとり、言い方は悪いがここは独房のようなものだ。もちろん人によりけりで、老人ホームでの生活を楽しんでいる人もいる。でも表面上は楽しく見えるだけで、心の中は寂しい人も多いはずだ。

 先日、老人ホームで働いているという40代の女性に会った。彼女からホームの裏話が聞けると期待していたが、出たセリフは、「老人ホームに入っているお年寄りは幸せですよ」だったのには驚いた。「精神的に疲弊しているお年寄りをたくさん見てきているけど」とわたしが言うと、「そんなことないですよ。みなさん感謝してくれているし、楽しく過ごしてますよ」と彼女は答えた。

お年寄りは、ここで嫌われたら逃げ場がない

 わたしの見方は偏見だったのか。しかし後日、親を預けている友人にこの話をすると首を大きく横に振った。

「うちの母は90歳からお世話になってますが、スタッフには気を遣っていますよ。利用者のお年寄りはここで嫌われたら逃げ場がないので、ニコニコと文句も言わず“ありがとう”と言うのよ。そのスタッフさんは鈍感ね。若いから、老人の気持ちがわからないのね」

 そして彼女は言った。「スタッフのあなたはいい。仕事を終えて帰宅すれば、自分の自由の時間なのだから。でも、入所者はここが暮らしの場なのよ。彼女たちには帰るところはないんだから」。

 スタッフにそこまで考えてほしいと言う気はないが、他人の世話になって暮らすというのは、家族が想像する以上に寂しいことだと彼女はつけ加えた。親をホームに入れるときは、親も娘も泣きながら決断するのだ。

 以前訪ねた高級有料老人ホームで見た男性の姿を、わたしは忘れることができない。みんなから離れた席でひとりの食事が終わると、窓辺に静かに車いすで移動し、ただ外を見ていたあの姿を。

 おそらく現役のときは、それなりの役職に就いていた方に違いない。きちんとした身なりと凛(りん)とした後ろ姿でわかる。でもここでは、若いスタッフと共通の話題もなく、会話を楽しめる入居者もいないのだろう。

 ホームの存在は助かるが、安心して最後まで暮らせる場所に入れただけでは、人は幸せにはなれないと、つくづく考えさせられる光景だった。

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<プロフィール>
松原惇子(まつばら・じゅんこ)
1947年、埼玉県生まれ。昭和女子大学卒業後、ニューヨーク市立クイーンズカレッジ大学院にてカウンセリングで修士課程修了。39歳のとき『女が家を買うとき』(文藝春秋)で作家デビュー。3作目の『クロワッサン症候群』はベストセラーとなり流行語に。一貫して「女性ひとりの生き方」をテーマに執筆、講演活動を行っている。NPO法人SSS(スリーエス)ネットワーク代表理事。著書に『老後ひとりぼっち』、『長生き地獄』(以上、SBクリエイティブ)、『母の老い方観察記録』(海竜社)など。最新刊は『孤独こそ最高の老後』(SBクリエイティブ)。