自傷行為を繰り返し、自殺サイトへ訪問。その心の闇の原因はなんなのか。若い女性が思い悩む「闇と病み」。自殺願望を抱きながら自らの命を絶った彼女たちは、何を考え生きていたのだろうか。生前、その根源にあるものと本音を聞いてみたーー。
国の「自殺対策強化月間」は3月。これは、「自殺対策基本法」によって定められている。一方、9月は「自殺予防週間」(10日から16日まで)がある。これも、同法で定められており、自治体によっては「月間」とするとこともある。10日は、世界保健機関が「世界自殺予防デー」とし、9月は自殺に関する話題が増える時期だ。
筆者は、1990年代後半から、主に子ども・若者の「生きづらさ」や「自殺」をテーマに取材してきた。そのため、自殺のリスクが高い当事者を取材することも多い。実際、取材後、数日から数年後に自殺をしてしまった人も多く、知る限りでも40人前後の当事者が亡くなっている。今回は、その中から、2人の女性の話を紹介したいと思う。
自殺未遂は30数回、彩花の場合
南関東在住の彩花(仮名)は30代のとき、自宅で亡くなった。処方薬の大量服薬が原因だったとみられている。
彼女が「死にたい」と最初に思ったのは17歳のころだ。ある雑誌の記事を見て希死念慮(きしねんりょ)を抱くようになったというので、自殺関連の記事かと思ったが、違っていた。
「あるバンドのライブで、会場に来ていたファンたちが将棋倒しになった、という記事を読んだんです。誰かが亡くなったとは明確には書いていませんでしたが、いつどんなことが起きるかわからないんだ、と思ったんです」
彩花は、亡くなるまでに自傷を除いて、30数回の自殺未遂をしたと言っていた。
「最初の(自殺)未遂は、私鉄の線路に飛び込んで、電車にはねられそうになったことです。でも、電車は目の前で止まったので死ねませんでした。このとき、自殺との直接的な理由は特にありません」
電車に飛び込むという行為は、よほどのことがあり、強い決意がないと決してできないと思う人は多いはずだ。しかし、彩花は「私にとっては、生きていることが自傷行為です」と言う。
自傷行為を認めてくれた
自殺のきっかけとなった記事で、将棋倒しでケガ人が出たことは想像がつくが、その詳細は書いていなかった。それにもかかわらず、死を想像し自殺まで考えるのは、何か理由があったのだろうか。
「学生時代、学校ではいじめにあいましたが、私には、いじめなんて些細(ささい)なことでした。それよりも、むしろ父親からの暴力や暴言のほうが大きかったです」
父親からの虐待を母親は止めなかった。
私も会ったことがあるが、母親は気弱な性格で、父親の言動に口を出せるタイプではない。彩花は虐待を我慢せざるをえず、むしろ、それが普通だと思い込まされた。そんな中で自己肯定感を失い、自分の存在価値を低く見積もるしかない日々を送る。そんなときに、“将棋倒し”の記事と出あってしまった。
自殺願望を含めた感情のやり場をどこに吐き出したらいいのか。彩花は、自分のブログでそのことをつぶやき始めた。すると、同じような感情を持っている人たちとつながった。ネットで知り合った人と会うことで、今までにない人間関係も行動範囲も広がっていった。
そんな彩花でも社会に適用しようと、仕事人間になったこともある。しかし、そうした時間は長く続かず、それはとても「心が疲れる」行為となってしまった。その後、精神科に通ったり、入退院を繰り返した。
「いい年をして親の世話になっているのは恥ずかしいです。そういう感情はありました。ただ、通院先の医師は、自傷行為をしている自分を認めてくれるんです。その安心感は心のよりどころとなっていました」
ということは、医師の中には自傷行為をやめさせようとする人もいるということだ。自傷をしない自分は自分ではないと感じていた彩花。自傷を認めてくれる医師との出会いで、なぜか今までに感じたことのない希望が持てた。
しかし、ある年の9月の夜、鬱(うつ)が強まった。台風が接近していたこともあり、気圧の変動によって、鬱の波が押し寄せる人もいると聞く。彩花もそのひとりだったということだ。いつもよりも多めの薬を飲み、その中には、処方されていない強めの抗うつ剤が入っていた。それが原因かはわからないが、彩花が二度と目を覚ますことはなかった。
30回を超える自殺未遂を繰り返していた彼女は、「死ぬことで楽になりたい」と言っていたが……。
若菜、享年19
関西に住んでいた若菜(仮名・享年19)も、大量服薬で亡くなったひとりだ。生前の取材で、自殺願望の由来についてこう話していた。
「幼稚園児だったころ、家の近くの公園でひとりで遊んでいたんです。そしたら知らない男性に突然、身体を触られました。まだ幼かったので、その意味はわからなかったのですが、そのときの感覚でなぜか『私はいらない子だ』と感じたことを覚えています」
性被害が自殺願望に通じることはあるといわれている。私がこれまでしてきた多くの取材の中でも、男女問わず性被害体験によって自殺願望が生まれたと思われる人たちの声を聞いたことがある。若菜もそのひとりといえるだろう。
ただ、こうした感情が長く続いたわけではないが、中学時代の体験によって、自殺願望が再び芽生えはじめた。それは、クラス内にあったいじめからだった。しかし若菜はいじめられたわけではない。いじめがある状況そのものに嫌気がさしたのだという。
それはなぜか。
直接、いじめの被害にあったわけではないが、目の前で暴力的な言動を見ていた。これは、自分が家庭内で虐待をされていないにもかかわらす、別の家族の虐待を目にしてしまう「面前DV」と似ている。さらに、自分がいじめられているわけではないのに、いじめ対象者と同じような被害を感じ取ってしまう「共感性羞恥」という感覚にも似ているのだ。
若菜は学校に嫌気がさしたとき、決まって相談したのがある授業を担当していた若い教員だった。相談には親身に耳を傾けてくれ、次第に距離が縮まり恋愛関係になっていく。しかし教員が罪悪感を抱いたのか、関係はすぐに終わってしまった。そのとき若菜は「捨てられた」と感じ、幼稚園時代、痴漢に身体を触られ「私はいらない子」と思った、あの体験を思い出した。
「私のことをちゃんと必要としてくれる人は、いないんじゃないか」
家庭環境は良好だった
高校に入ってから自傷行為を始めた。そして、自傷行為をテーマにしたネットのコミュニティーに入り浸る生活が続く。そこでのやりとりで「自分のような人は、ほかにもいるんだ」という感覚をもたらし、自己肯定をするきっかけとなった。ネットのつながりのおかげで、親友と呼べる関係を築くことができる人たちとの出会いもあった。
一方、家族関係はどうなのか。
「仲はよいほうだと思いますよ。ケンカはしますが、よく話はします」
虐待があるわけでもないし、ケンカといっても暴力的なことはない。過干渉になることもなければ、自宅は一軒家で典型的なサラリーマン家庭だった。若菜の死後、遺族に会ったが、何か問題があるようには決して見えない。ただ、生前、若菜がこう言っていたことがあった。
「お父さんが、なぜか怖いんです」
虐待や押しつけといった具体的なエピソードがあるわけではない。もしかすると、父親が怖いといよりは、痴漢体験や教員との恋愛経験などで、男性恐怖になっていたのではないかと考えられる。それを生前、私の取材で家族のことを聞かれて、そう表現しただけなのかもしれない。
そんな若菜は思いきって生活を変えようと東京へ行くことにし、その前日、処方された抗うつ剤を多めに飲んだ。「死のう」と思ったのかはわからないが、自分で119番に電話して救急車はすぐに来たが、受け入れ先の病院が決まるまで2時間かかった。そのため、息を引き取った。
彼女たちはいずれも死を望んでいた傾向があったが、どちらも“自殺を実行”するための服薬ではなかったと、思いたい。ふたりとも精神科に通ってはいたが、直前にそのサインはなかった。が、自殺を考えるには理由がある。その実行のタイミングに明確な動機や理由がないこともある。
ふたりのように気圧の変動、そして環境を変えようとするとき、自分たちが気づかないところで自殺のリスクが高まる、ということもあるのだ。
渋井哲也(しぶい・てつや)◎ジャーナリスト。長野日報を経てフリー。東日本大震災以後、被災地で継続して取材を重ねている。『ルポ 平成ネット犯罪』(筑摩書房命)ほか著書多数。