「ようやく停電が解消して、ひと安心。でも、やらなきゃいけないことは、まだたくさんありますからね」
と話す表情は少し穏やかに見えた。
千葉県防災危機管理部の発表(9月18日)によると、9日に同県に上陸した台風15号の影響によって県内で6人が重傷を負い、軽傷者は83人。
鉄道の一部運休のほか道路の全面通行止めは232か所にのぼり、住宅被害は6000棟を超える。約4万4300軒で停電が続き、断水も計6913戸とライフラインが寸断され、完全復旧の見通しは立っていない。
自分のことは後回し、一人暮らしの高齢者のもとへ
千葉県3名山のひとつ、鋸山の南に位置する海沿いの鋸南町。毎朝、新鮮な魚介が水揚げされる勝山漁港の近くで水産業を営む蛭田豊さん(63)は冒頭のように話すと、想定以上に長引いた停電生活を振り返った。
「困ったのは携帯電話の充電ができなくなったこと。家族・知人・関係先などと連絡がとれず、復旧状況や行政支援の情報収集もできなくなってしまうから」(蛭田さん)
そこで、近隣住民向けに自宅で無料充電サービスを始めることを思いついたという。
「町役場では1人10~20分限定で充電させてくれましたが、それだとせいぜい数分間話したらまた充電切れで列に並び直さないといけない。うちには小型発電機があったんです」(蛭田さん)
被災した自宅玄関前でBBQ用の簡易テーブルを組み立てビーチパラソルを開き、近所から集めた電源タップを13口分並べた。トラックのガソリンの残り約20リットルを給油ポンプで抜き取り、発電機を作動させてフル充電する仕組みをつくり上げた。
「燃料のガソリンがなくなると、近所の人などが調達してきたガソリンを分けてもらい、1日のべ40人ぐらいがわが家に来ました。なんとかしなくちゃ、という思いだけだった」(蛭田さん)
充電サービスは早朝5時半から夜9時まで。玄関わきの事務所のテレビと発電機をつなぎ、近所の人たちにニュースを見てもらった。
エアコンが使えず熱中症が心配されたため、所有する製氷工場の氷も近所に提供したという。配った300人の中にはお金を払いたいという人もいたが、「災害だからいらない」と断った。
5日間続いた停電の夜、ランプの明かりを頼りに家族と話したのは、「あしたはどこの家のブルーシートがけを先にやっちゃおうかとか、そんな話が多かったかな」(蛭田さん)。自分のことは後回し。自力で修繕できないひとり暮らしの高齢者宅を心配した。
助け合う人々と、動いた芸能人
蛭田さん宅から徒歩約7~8分、勝山港通り商店街で食料品店などを夫婦で経営する青木静子さん(67)は、近所の鮮魚店からもらったサザエ、マグロを暗闇の食卓に並べた夜を覚えている。
実家の被災を心配した息子が帰ってきて「食べ物はパンぐらいかと思っていたけれど、ずいぶん豪勢だね」と驚いたという。
「魚屋さんは“どうせ腐っちゃうから”って。商品を融通し合えてよかった。食べ物は見た目も大事でしょ。暗い中で食べるとあまりおいしく感じられないから、ロウソクをいっぱいつけていただきました」(青木さん)
青木さんの店をあとにして、再び漁港近くへ。2階部分がほぼ骨組みだけの民家があった。この家で生まれ育ち、いまは神奈川県茅ケ崎市で美容室『R's hair(アールズ・ヘア)』を経営する茂串龍蔵さん(45)は、両親が暮らす実家の変わり果てた姿に「がっくしですよね」と本音を漏らす。
「屋根もベランダも窓もなくなり、おふくろは怖がってトイレで一夜を明かしたそうです。僕は茅ケ崎からガソリンやロープ、おしめ、生理用品、カップ麺などをご近所の分まで持ってきて配ったんですが、“龍蔵、帰ってきてくれたのか。俺は大丈夫だから年寄りに持っていってあげてくれ”と言う人もいて」
と茂串さん。
茂串さんの父親は金目鯛やカツオの元漁師。近所に漁師宅は多く、冷蔵庫の金目鯛、サバ、サザエ、イワシ、カマスをフライで揚げて持ち寄ったという。
「のどかで空が高くて人のあったかい町。父は器用で大工仕事が好きだから、これだけ壊れても建て直すと言うかもしれない。まずは、ほかの家のテレビを直したり、ブルーシートを張っていますけれど」(茂串さん)
さらに先を行くと、港近くのコミュニティーセンターで炊き出しが。近所の住民らによると、俳優・佐藤浩市(58)の働きかけでボランティア団体がピザや海苔巻き、豚汁などを振る舞ってくれたという。
「佐藤浩市さんは、この町によく遊びに来る。本当にありがたい。こういうところに人間性って出るんでしょうね」
と近所の男性。
鋸南町を離れ、車で1時間弱の房総半島南端の館山市へ。
反町隆史と竹野内豊が主演した人気テレビドラマ『ビーチボーイズ』(1997年)のロケ地となった布良で、住民のため忙しく歩き回るのは神田町地区の区長を務める嶋田政雄さん(75)だ。
まだまだ続く復旧作業
地区にはひとり暮らしの高齢者が多く、嶋田さんもそのひとり。すでに子どもは自立し、妻を9年前に亡くして独居生活を送る。
「台風を甘く見ていた」
と言う。
「上陸のピークは9日午前2時半~3時半ごろ。風が自宅の雨戸を吹き飛ばして窓ガラスを割った。風が室内に入ると屋根を持ち上げられると思い、割れた窓のところに別の雨戸を持ってきて中から必死に押さえた。2時間くらいそうやっていたので筋肉痛になりそうだった」(嶋田さん)
その日から停電は8日間、続いた。
取材したのは電力供給が回復した翌17日夕。
嶋田さんは、海に沈んでゆく夕日を眺めながら「久しぶり」という冷えた缶ビールを飲んでいた。しかし、飲み始めたところで取材を受け、取材中も携帯電話に弁当配布などを相談する電話が4本もかかってきた。
「早くすべての家を直してあげたいが人手が足りないんだ。直す優先順位について、まずひとり暮らしの人と、屋根を飛ばされた人が先だと説明した。だって雨で濡れたら家に住めなくなっちゃうから。
それと、ボランティアには助けられています。朝早くから夜遅くまで、本当に頭が下がるよね」(嶋田さん)
ぬるくなったビールを飲み干した後、懐中電灯を手に防犯を兼ね夜の町へ。こちらが頭の下がる思いだった。