“スポーツの秋”は皇室の方々にとっても大切な季節。テニスやスキー、山登りなどを通じて国民と交流されることで、皇室がより身近な存在になるからだ。
毎年恒例の「国体」も始まる中、各皇族方のスポーツに関するマル秘エピソードを掘り起こしてみると―。
令和初の『国民体育大会』
「天皇・皇后両陛下は、9月28日から1泊2日の日程で、令和初の『国民体育大会』の開会式などに出席するため、茨城県を訪問されました。
28日の開会式では、陛下がおことばを述べられ、29日には卓球の試合をご覧に。今回の移動では、菊の紋がついた皇室用の特別車両である『お召し列車』が使われました」(皇室担当記者)
『国体』は、両陛下が特に大切にされている公務“四大行幸啓”のひとつ。
毎年、国体には各皇族方がご臨席していて、今回も10月には秋篠宮家の長女・眞子さまもフェンシングの試合をご覧になるほか、各宮家の女王殿下らも茨城に足を運ばれる予定。
多くの皇族方が『国体』に出席される理由を、宮内庁ОBで皇室ジャーナリストの山下晋司さんに聞いた。
健康的な身体づくり
「『国体』は戦後、スポーツ振興などを目的に始まった行事ですが、『植樹祭』とともに昭和時代の二大地方行幸啓のひとつでした。
戦後の御巡幸という特別な地方ご訪問もありましたが、国体と植樹祭はその後の地方行幸啓の“原点”といってもいいでしょう。そういった経緯もあり、皇室では国体を重要な公務と位置づけていると思います」
国体の観戦もさることながら、皇室ご一家は普段からスポーツをたしなまれている方が多い。
とりわけ、天皇ご一家は、スポーツが大好きなご家族。
「ご一家でテニスやスキー、登山などを定期的に行われています。
陛下はジョギングを日課とされているのですが、上皇さまの退位が決定してからは、海外の要人が来日した際に行われる晩餐会以外での飲酒をいっさいやめて、健康的な身体づくりに励まれているんですよ」(宮内庁関係者)
雅子さまもスポーツ万能で、中学と高校時代にはソフトボールで大活躍されていた。
「田園調布雙葉学園中学には、ソフトボール部がなかったのですが、雅子さまが中心となってソフトボール部を作ってしまったんです。
夏休みには、雅子さまの提案で、お金をかけないように学校に泊まりこんで合宿したこともありましたね。
クリーンナップを任されながら、強肩を生かしてサードを守られるなど攻守の要。バッターボックスに立たれると“絶対に打ってくれる!”という信頼感がありました。
当時、巨人ファンで高田繁選手に憧れていらっしゃったので、同じ“8番”の背番号をつけていらっしゃいましたよ」(中学時代のソフトボール部のチームメート)
雅子さまがチームを引っ張り、世田谷区大会で優勝まで果たしたそう。さらに、高校でアメリカの『ベルモントハイスクール』に進学した際も、ソフトボール部で4番を任されていたそうだ。
そんなおふたりがご両親である愛子さまも、負けず劣らず、運動神経に秀でているエピソードをお持ち。
バスケをやってみませんか?
「元プロテニス選手からアドバイスを受けられた際、飲み込みが早く、すぐにパワフルなフォアハンドを打てるようになったそうです。
身体も柔らかく、スポーツも得意で、御所内では職員を交えてバドミントンやソフトボールを楽しまれているそうです。
ただ、愛子さまのいちばん好きなスポーツは“バスケットボール”なのでは」
そう侍従職関係者が話す理由は、愛子さまの学習院初等科時代に原点があるそうで。
「一時期、学校を休みがちになっていた愛子さまに、学習院のとある先生が“バスケをやってみませんか?”と声をかけたのです。
その誘いもあって入部した愛子さまは、どんどんバスケにのめり込まれたそう。自然とコミュニケーションをとるスポーツなので、いつの間にか友達も増え、学校に通うのが楽しくなったそうです。
初等科を卒業する際に、部活のみんなで先生に感謝のメッセージを送ったところ、先生がとても感動してしまうほど、素晴らしい内容だったそうですよ」(同・侍従職関係者)
9月28日に、学習院女子中・高等科で行われた運動会でも、愛子さまは大活躍だったそうだ。
テニスコートで運命の出会いを
一方で、上皇ご夫妻も、お若いころからテニスを愛され続けておられる。
現在はご高齢のため、プレーされることはほとんどないようだが、思い出深い都内のテニスコートには、たびたびお忍びで足を運ばれている。
「天皇家の方々は、みなさんテニスをおやりになります。上皇ご夫妻も軽井沢でのテニストーナメントで運命の出会いを果たされましたし、秋篠宮ご夫妻もやはり、お若いころからテニスをプレーされているイメージは強いですね。
秋篠宮さまは学生時代からお強く、紀子さまは帰国子女だったので、現地でテニスをプレーされていたそうです。
ご結婚当初から、軽井沢でのご静養中に仲睦まじく、おふたりでテニスをされているお姿が思い出されますね」
そう話すのは、皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさん。
特に、学生時代の美智子さまの実力は“折り紙つき”。
「美智子さまは学生時代に、テニス部に所属されていましたが、当時、関東でのランキングでダブルスが2位、シングルスでは4位という優秀な成績を収められたのです。
その裏には部活動以外にも、東京・自由が丘にある『加茂コート』で元デビス杯選手による個人レッスンも受けておられていて、とてもお上手だったんですよ」(渡邉さん)
上皇ご夫妻と同じく「秋篠宮ご夫妻もテニスが達者でいらっしゃる」と話すのは、宮内庁OBのひとり。
「秋篠宮さまが中学生のとき、東京都テニス大会に出場されたのですが、ベスト8に進出するほどの腕前でいらっしゃいました。どちらかというと、クセ球で相手を翻弄する戦術でしたね。
スマッシュを決められても、対戦相手には称賛の言葉を送られるなど、紳士的な姿勢で感心したことを覚えています。
紀子さまは、高校1年生からテニスを始められ、ご結婚後は静養先などで殿下とプレーされていました。攻撃型というより、美智子さまと同じように、何度打っても必ず打ち返される“粘り”のプレースタイルでしたよ」
眞子さま、スキー検定1級を取得
秋篠宮ご夫妻だけではなく、お子さま方もスポーツに精通されている。
眞子さまは、高校と大学時代にスキーに熱中されていた。高校時代、同じスキー部に所属していた同級生の女性が、眞子さまの腕前を語る。
「当時のスキー部は、春夏にランニングやドッジボールなどを行って基礎体力をつけ、クリスマスの時期に群馬県にある『丸沼高原』で、合宿をしていました。
合宿では能力別にクラスが分けられ、眞子さまは最初は普通クラスだったのが、高校3年生のころにはとても上達されて『全日本スキー連盟(SAJ)』のスキー検定1級を取得されていました。
1級は、高校生で取得できる中でいちばん難しいもので、この上になると準指導員の資格になるんですよ」
別の同級生女性も、眞子さまの運動神経のよさが印象強く残っているという。
「休み時間になると、中庭でバレーボールをおやりになっていたり、全校生徒が闘志を燃やす“運動会”では、フラフープを縄跳びのようにして走る『わっかでポン』という競技で、先頭走者やアンカーを任されるなど、運動神経が抜群でいらっしゃいました」
佳子さまはセクシーなダンスを披露
次女の佳子さまは、小学2年生からフィギュアスケートを始められ、小学5年生時と中学校に進学する直前に出場された大会では、優勝されるほどの実力をお持ちだった。
「当時の佳子さまは、大会に向けて一生懸命に練習に取り組まれ、早朝の練習に紀子さまが同行されていたこともあり、優勝された際にはおふたりとも、大きな喜びに包まれていましたね。
しかし、中学3年生のころから徐々にフィギュアの練習時間が減ってしまったそうで、その後は“ダンス”に夢中になられていきました」(秋篠宮家関係者)
高校1年生と2年生のときの学習院女子高等科の学園祭『八重桜祭』では『KYS』というダンスグループを結成し、セクシーなダンスを披露され会場を沸かせていた。
「学習院大学に進学された際に、『N』というダンスサークルに体験入部されるも、皇族というお立場上“迷惑がかかるかもしれない”ということを心配されて、入部を断念されました。
その後に編入された国際基督教大学(ICU)のダンスサークル『S』に、1度は入会されましたが、同じ理由で退会されてしまったのです。
ただ、佳子さまのダンスへの思いはお強く、一時期、東京・町田市内のダンススクールに通われ、身分を明かさずに大会に出場し、ヒップホップダンスを披露されたこともありましたね」(同・秋篠宮家関係者)
'17年9月から英・リーズ大学に留学された際は『パフォーマンス文化産業学科』で、主に舞台芸術や舞台運営を学ばれるなど、パフォーマンスへの熱い思いを人一倍、お持ちなのだ。
令和初の“スポーツの秋”で、皇室ご一家がより一層、躍動されることを期待したい。