「一般的な抱っこひもで、もし背中のバックルが突然にはずされた場合、乳幼児は腰ベルトを起点に回転し、頭から地面に落下すると考えられます。腰ベルトは約1メートルの高さと推定され、乳幼児が落下したときの衝撃はきわめて大きく、死亡事故となるリスクは高い。悪質かつ残忍な行為です」
日本で抱っこひもを生産・輸入する約40社が安全性の研究などを行う『抱っこひも安全協議会』の担当者は、SNSなどで報告されている抱っこひものバックルはずしの危険性をそう指摘し、断罪する。
9月中旬から急にSNSで被害や目撃談が広まりだした抱っこひものバックルはずし。
突然、のびてきた手
友人が生々しい現場に遭遇したという女性が証言する。
「9月24日に電車に乗っているとき、赤ちゃんを抱いたママの後ろにおばさんが近寄ってきて、そのまま無言でバックルをはずしたそうです」
腰のバックルをはずされ、1歳にも満たない赤ちゃんはお尻から落下したが、
「大きなケガに至らず無事でした。友人はおばさんが逃げないように腕をつかんでいましたが、暴れて隙あらば逃げようとしていたそうです。友人とママは警察に呼ばれ、事情を聞かれたそうです」
抱っこひものバックルは赤ちゃんにとっては命綱。無差別に狙う犯行は、通り魔犯罪と同じだ。
「50代くらいの白髪まじりの男性。身だしなみもきちんとしていて、ボーダーのポロシャツにハーフパンツ姿。あまりにも普通の人だったので、逆に怖かったです」
その男に危うく背中のバックルはずしをされそうになったのは林恵理子さん(30代=仮名)。今年8月上旬。当時5か月の娘を抱っこひもでかかえデパートで買い物をしているときのことだった。
「地下1階の食品売り場に向かうガラガラの下りエスカレーターに乗っていたときのことです。突然、手すりに置いた私の手のすぐ後ろから手がのびてきたんです」
痴漢かなと思って慌てて振り返ると、1段ほど抜かした上の段から男が身を乗り出すようにして林さんをのぞき込み、男ののばした手が背中のバックルに触れた。
「バックルをはずされる、突き落とされる、そんな恐怖が頭をよぎり慌ててエスカレーターを降りました」
男は林さんの前を顔色を変えることなく無表情で通り過ぎた。ほんの数秒の出来事に恐怖がおさまらない。林さんは店員に事情を伝え、警察にも被害を訴えた。
「左側に寄っていて通行の邪魔にもなっていなかったはずです。なのに……」(林さん)
前出『抱っこひも安全協議会』の担当者は、
「背中にバックルがあるタイプであれば、カバンを背負ったり、上着を羽織ったりして隠したほうがいいでしょう」
と安全策を伝える。
母子のつながりに不快感か
しかし、事件を受けて小さな子を持つ母親たちは外出に不安を感じている。『子どもの安全な移動を考えるパートナーズ』の平本沙織さんは、
「誰かが気にかけている、ということが犯罪の抑止力になります。抱っこひもの周辺で不審な動きをする人を見かけたら、“お子さん、可愛いですね”などと声をかけるだけで被害を未然に防ぐことができます」
とアドバイスする。さらに、
「加害者が手を出しやすい状況は母親がひとりのときです。夫やほかの人がいると手を出されない」(平本さん)
愛知学院大学の岡本真一郎教授(社会心理学)は、
「反撃する力がない女性を狙ったこと事件だと考えられます。バックルはずしは悪質なイタズラをした可能性も。しかし模倣的に犯行をまねる存在も出てくるかもしれません」
さらに、何らかのきっかけで爆発したフラストレーションのはけ口が女性や赤ん坊だったのかもしれない。岡本教授は、
「赤ちゃんにも向けられたのは、母子のつながりに対する不快感があるかもしれません」
と推測する。
赤ちゃん、母親を狙った卑劣な抱っこひものバックル外し。自衛だけでなく、周囲の優しさが赤ちゃんたちを守る手段となるはずだ。