正確無比なキックで得点を量産し、ラグビー日本代表を勝利に導く男・田村優。ラグビーライターの向風見也氏は、
「誰にも見つけられないスペースを見つけられ、プレー選択の決定がすごく早い。調子のよいときは、田村選手が投げたり蹴ったりしたときに“あ、そこにスペースがあったんだ”と見てるほうが気づくような。サモア戦もそんな感じでハマっていましたね」
田村は、'89年に愛知県に生まれた。父はトヨタ自動車などでプレーし、後に同チームの監督も務めた元ラグビー選手。しかし、そんな父親を持ちながら、彼は中学生まではサッカーをプレーし、地元のJリーグクラブ『名古屋グランパス』から誘いがくるほどだった。
しかし、高校でラグビーを選ぶ。その理由を、田村がラグビーを始めた國學院栃木高校ラグビー部の吉岡肇監督は次のように語る。吉岡監督は田村の父と高校時代ラグビー部で同期の間柄だ。
「私もそうでしたけど、監督業でわが子をほっぽらかして、家庭を犠牲にしている部分がある。やっぱりそのなかで田村は父親を求めたんじゃないかと思いますね。彼の父親もラグビーで忙しいんでね。だから自分からラグビーに飛び込んだ」(吉岡監督、以下同)
ラグビー素人だった田村だが、3年生ではキャプテンに。しかし、その冠を返上することになる。
「うちは県内では7年半負けてなかったんです。しかし、田村がキャプテンになった春に負けてしまった。秋の花園という本番に向けて田村は親友にキャプテンを預けて、ひと夏、鍛えたんです」
“花園”と言えば、ラグビー部員ならみなが憧れる全国大会。その出場権を賭けた県大会の決勝の相手は、春に連勝を止められた高校だった。
「残り3分の0対3のビハインドで、田村が見事にゴールキックを決めてくれた。それで同点になった後の最後のワンプレーで、彼がカウンターアタックを仕掛けて突破し、ここしかないところにロングパスを通して、逆転のトライを演出。
その後のコンバージョンキックも決めた。私もコーチ陣もベンチも父母会も学校関係者も泣きながら抱き合うような奇跡のプレーでした。いろいろヤンチャもあったけど、お釣りがくるくらい恩返しして卒業しましたね」
「当時から大物」の声も
高校時代の田村はなかなかのヤンチャ坊主だった。
「授業中にうるさかったから立たされて。そんな状況なのに、先生が黒板に向かう隙を突いて、隠れて弁当を食った。田村の父親に言ったら夜中に愛知からすっ飛んで来ましたね」
田村は当時、吉岡監督が建てたアパートに下宿していた。
「父親がブラウン管のテレビを寝てる田村に向かって投げつけて帰ったと。田村はひじで払い除けたみたいですが、それからあいつは爆睡。親父がいるわけないから、夢だと思ったそうです。当時から大物でしたね。図太い(笑)」
ラグビー元日本代表であり、W杯に2度出場、世界選抜にも日本人で唯一、3度選出されているラグビー界のレジェンド、吉田義人氏は自身もOBである明治大学監督時代、田村を指導した。
「プレーだけを見たときに、これはものすごい才能だとは感じました。大成するだろうとも思いました。ただ、そうなるために努力ができるかどうか、というところでした」(吉田氏、以下同)
吉田氏が監督に就任した3年時。当時の彼の練習態度には思うところがあったという。
「私は、練習で力を抜いたり、気持ちを入れない選手はいっさい使わない。それまでレギュラーだった選手だろうが関係ないという基準を就任直後に示しました。どれだけ才能があっても、練習を適当にやっているような選手は仲間から信頼されない。田村にはそういうところがすごくあったので」
それまで田村はその才能ゆえに自己中心的なプレーが多く見られた。吉田氏は「田村には、日本代表のスタンドオフになってほしいと思っていた」と話す。
「このままの状態で田村を扱っていたら将来、彼が苦労してしまう。代表の人間たちもそんな選手は使わない。ラグビーは人に評価されてこそのスポーツ。それを教えるのは今しかないと思った。そのため、練習試合にあたるオープン戦で起用しませんでした」
その後、田村は変わり、練習にも真剣に打ち込むように。
「W杯直前の網走合宿に行ったら、主将のリーチマイケルが田村のことを絶賛していたのを聞いてすごくうれしかったね。周りから本当に信頼される人間に成長したなって」
夢に向かう田村に音楽界からも声援
今大会、目標をベスト8に掲げた日本代表。田村は意外なところでその思いを語っていた。彼は、歌手の岡本真夜が’15年にリリースした『君だけのStory』のミュージックビデオに出演。
こちらのビデオでは、さまざまな分野の人が夢とそれに向かうためにつらかったことを語っているが、田村はつらかったことを《たくさんのことを犠牲にしてきた》としている。曲を歌う岡本が『週刊女性』に田村へのエールを語ってくれた。
「ワールドカップでのご活躍、毎回テレビの前で見させていただいています。4年前の『君だけのStory』に出演していただいて、もうそのときから、いや、それ以前から田村選手の中でワールドカップベスト8に向かっての日々の努力が始まっていたんだなぁと。
そして、田村選手がご活躍されるたびに、“たくさんのことを犠牲にしてきた”というあの言葉を思い出し、“勝つんだ!”という強い思いとゴールキックのときの強い視線に胸を打たれます。今、夢を勇気を元気を与えてもらってる人がたくさんいると思います。私もその中の1人です」
ラグビー日本代表の、田村の夢は続いている。