相撲界の「暴力」問題、このままでいいのだろうか…(写真はイメージです)

 私は今、相撲界が心配でたまらない。

 10月8日、新潟・糸魚川での巡業会場で、観客席に座ってお弁当を食べていた若手の呼出に、立呼出(たてよびだし)の拓郎が「なぜ、こんなところで食事をしているんだ」と注意し、頭を拳(こぶし)で1回殴ったという。その後、もう一人の呼出に「なんで注意しない?」と言って背中を叩いた。

誰も、何も、間違っていない……

 立呼出とは、呼出の最高位の人、呼出の横綱だ。主な仕事は土俵上で「ひが~~し~、○○○~」と力士を呼びあげる。立呼出の拓郎は1975年に横綱・北の湖がいた三保ケ関部屋に入門し、亡き元大関・北天佑の親友でもあり、今の相撲界にあって呼出の顔といった存在だ。相撲ファンに愛され、巡業などでは一緒に写真を撮る人もよく見かけた。

 叩かれた2人には特にケガなどはなかったものの、背中を叩かれた呼出が協会に報告。3人の事情聴取が行われ、拓郎は二人に謝罪。自宅謹慎となったものの、「協会が暴力根絶に取り組む中で、指導する立場にある自分が暴力をふるって申し訳ない」として、拓郎は退職届を提出した。正直、私はそこまでしなくてもいいと思ったのだが、現在、それは相撲協会のコンプライアンス委員会に託されているという。

 この報を聞いた相撲ファンたちはツイッターで「これが暴力?」「いちいち何でも言いつけるのか?」と憤慨していたが、そうなのだ。それが規則なのだ。

 協会が定めた「暴力訣別宣言」(2018年10月発表)では、暴力が起きた際には速やかに報告する義務があり、背中を叩かれた呼出は、それに従って正しく報告をしたにすぎない。協会は「いかなる暴力も許さない」とし、暴力の定義も「身体に対し不当な有形力」(暴力禁止規定/2018年12月発表)と厳しく、それに当てはめるなら、げんこつひとつだって、背中バーン! だって、暴力に該当する。相撲協会は暴力問題で何度も研修会を開いており、若い呼出たちはまじめに学んで、しっかりそれに従っただけ、だと言える。

 そして報告を受けた相撲協会は「程度及び情状に応じて懲戒処分を行う」の暴力禁止規定に従って拓郎に自宅謹慎を科したものの、拓郎は責任を感じて退職を願い出たということになり、それをこれからコンプライアンス委員会が討議する。誰も、何も、間違っていない。定めたルールどおりだ。

 しかし、当然ながら、これはモヤる。思いきり、モヤる。モヤるが、今の相撲界の規定の中ではどうしようもない、ということになる。それで、さらにモヤる。

22歳の若者への引退勧告

 ところで、この少し前、千賀ノ浦部屋の十両・貴ノ富士が引退を発表した。貴ノ富士は2018年3月、大阪場所の支度部屋で付け人から出番の時間を間違って伝えられたことに腹を立てて、大勢がいる前で暴言とともに拳で付け人の顔を殴り、殴られた付け人は口から出血をした。

 このことで彼は1場所の謹慎を受けていたが、8月末に千賀ノ浦部屋内で再び別の付け人を殴ったことが発覚。さらにイジメをしていたこともわかって、相撲協会は彼に引退を促した。貴ノ富士は最初、スポーツ庁に上申書を提出したり、暴力を否定する記者会見なども行ったが、最終的に引退した。

 貴ノ富士の2度目の殴打がどんな程度だったのかは外部の誰も見ていないのでわからないが、15歳で相撲部屋に入門した22歳の世間知らずの青年を、ここでいきなり辞めさせてしまっていいのか? と思う。だって、彼と双子の弟の貴源治をそろって「期待の若手」として、さんざんテレビや雑誌で持ちあげてきた。190センチ、157キロ(貴ノ富士)。立派な体躯(たいく)を持ち、21歳で関取になって、将来は双子で幕内、大関へと、テレビ中継でも何度もほめそやされ、それは貴ノ富士が1度目の事件を起こしたあとも変わらなかった。

 事件を起こしたものの、たった1場所の謹慎で、戻ればまたちやほやされた22歳の若者、しかも自分の怒りをコントロールすることができない若者が再び事件を起こすことは予想がつき、そのとおりに事件を起こしたら、今度はいきなりの引退勧告って?

 以前、私は「相撲界の暴力問題で消えつつある、相撲部屋が持つ大切な側面」という記事を書いた。そこに書いた“社会のセーフティーネットとしての役割”を、ここでこそ存分に発揮してほしかった。いや、千賀ノ浦部屋が発揮していなかったというのではない。もっと部屋が存分にそれができるよう、相撲協会が応援してあげられる体制であってほしかった。でも、今は規定や宣言やらに縛られて、それができなくなってしまっている。

 話は今回の事件に戻る。

 最初にげんこつをくらった若い呼出が巡業の客席で弁当を食べていたというのは、朝7時だったという。巡業は朝8時開場で、まだお客さんはいない。だから、いいだろうと判断して、彼はそこで弁当を食べたのだろう。同時に、それを見た拓郎からしたら、これからお客さんが座る席で裏方が弁当を食べるとは何事だ! と怒ったのだろう。

どんなブラックだ

 どちらの言い分もわかる。わかると同時に、巡業という過酷な仕事について考える。最近は相撲人気も高く、巡業のスケジュールが過密だ。一昨年の九月場所はケガをして休場する力士が増えて、巡業の過密日程が問題では? と言われたものの、その後も改善された様子はない。

 朝8時に始まり、3時過ぎに終了。お昼は一律みんなお弁当。​すぐにバスで次の巡業先に移動し、それがほぼ休みなく1か月近くも続く。力士たちも大変だが、準備や片づけなど、さまざまな仕事のある裏方は、さらに大変だろう。こっそりと、ただ、はっきりと言おう。どんなブラックだ、それ?

 誰もが疲れ、判断能力も下がり、イライラしていればいろいろな問題も起こる。いざこざもあるだろうし、怒鳴りあったりもするだろうし、そりゃ手も……。

 暴力問題に厳しく対処するのも大切だろうが、その問題の引き金になったであろう巡業のハードなスケジュールにも、相撲協会は目を配ってほしい。というか、そっちのほうが大切じゃないのか? と思う。

 みんな疲れてるから、もっと楽にできる方法を考えようや、って言ってほしい。鉄壁な宣言や規定よりも、より大事なものをみんなで考えようや、って語り合ってほしい。相撲界はいま、大事なものを見失ってるんじゃないか? このままだとズルズルとそういうほうにいってしまうんじゃないのか? とても心配になる。

 おすもうさんや、その世界を彩る人たちが規定だの宣言だのにばかり縛られてキィ~~~ッとなってるなんて、悲しい。大相撲は、その世界丸ごと家族のようであり、鷹揚(おうよう)で寛容、のんびり大きくおおらか、しかしときには厳しく叱る、そんなだったんじゃないのかと思っている。

 そして、そういう大相撲を私たちは長く愛してきたはずだ。もちろん暴力はダメだ。ダメだけど、でも、相撲界の寛容さ、みたいなものがどんどんそのルールに縛られて消えていくのだとしたら、とてつもなく残念なのだ。

「相撲界は別社会として、自らも信じ、社会もそのように待遇していた。何ごとに対しても、おすもうさんだから、というだけですまされたのである」と書いたのは、昭和の初めに活躍した笠置山という関取だ。

 そういうことはもう許される社会じゃないのかもしれないけど、でも、それが少しだけ大目に見てもらえる社会だったら、実は社会全体がホッと息つけるんじゃないかなぁ? と思うのだ。

【追記】10月25日、コンプライアンス委員会から立呼出・拓郎への「出場停止2場所」への処分が決議され、決定した。しかし、同日に退職届が受理されて拓郎は退職。拓郎自身からの発表は何もないままで、ツイッターでは相撲ファンたちの悲しみの声があふれた。  

 果たしてこんな結果を誰が望んだろう?  

 相撲協会とコンプライアンス委員会は今後、より詳細で丁寧に言葉を尽くし、暴力と指導の線引きをした新ルールを設けるべきではないか? そして、こうして事が起きたときは規定に沿うだけでなく話し合いを必ず数回持ち、双方が、また相撲ファンが納得する方向を探る努力をしてほしい。  

 このままでは大相撲の文化が壊れていく気がしてならない。


和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。