《教育委員会は大ウソつき》
東京北部に隣接する埼玉県川口市。特別支援学校1年生の小松田辰乃輔(しんのすけ)くん(15)が9月8日未明、自宅近くのマンションの11階部分から転落した。「ドン!」という音で気づいた住人が119番通報。救急搬送されたが、死亡が確認された。警察は自殺とみている。
辰乃輔くんは中学時代にいじめを訴え、手紙を何度も書いていたが、学校や市教委は聞き入れなかった。結果、3度の自殺未遂を経ての死。母親の佳奈さん(仮名)が独占インタビューに応じた。
「今度こそさようなら」
辰乃輔くんは苦しい胸の内を自ら記していた。9月6日付のノートには痛切な思いがつづられている。
《教育委員会は大ウソつき。いじめた人を守って嘘ばかりつかせる。いじめられたぼくがなぜこんなにもくるしまなきゃいけない。僕は、なんのためにいきているのか分からなくなった=略=くるしいしい、くるしい、くるしい、つらい、つらい、くるしい、つらい》《今度こそさようなら》
佳奈さんが言う。
「うまく言葉にできないためノートは小学生から書いています。主に学校の先生に見せるためですが、苦しくなり見せてくれるときもありました」
中学卒業後に進学した特別支援学校については、「楽しい」と話していたという。欠席はない。だが、9月は最初に自殺未遂をした時期と重なり、精神的に不安定になっていた。
「自殺の数日前にも、家からいなくなったんです。弟に“さよなら”と言っていたようで、すぐ探しに行きました。飛び降りたのと同じマンションの11階でうろうろしていたのを住人の人が見つけてくれて、話を聞いてくれたのです。“いじめがつらい”と言っていたようです。帰ってくると、卒業アルバムを見ながら“この先生が裏切った”“いじめを解決してくれなかった”と言っていました」
亡くなる前日の7日、辰乃輔くんは髪を切った。それほど伸びていたわけではなかったが、切りたがった。そして祖父母宅へ泊まりに行く。「行ってきます」が、佳奈さんが聞いた最後の言葉だ。夜、祖父母の家から出た辰乃輔くんはマンションに向かった。
「(ノートに)遺書を書いていたので、(自殺を)決めていたのかもしれません。お笑いが好きなんですが、楽しいことよりも、フラッシュバックが強かったんです。いじめられたときから時間が止まっていたんだと思います。進めるにはどうにかしないといけないと思っていたんですが」
「いじめはない」と教頭
辰乃輔くんは'16年4月に中学校に入学、同時にサッカー部に入った。同級生や先輩から「ヘタくそ!」「ちゃんと取れよ!」と言われ、いじめのターゲットにされていく。悪口や仲間はずれもあり、学校に行き渋るようになる。
「6月にはカバンを踏まれ、シャーペンが折られ、水筒の中身がなくなっていました」
佳奈さんは顧問に、いじめの内容を伝えた。「知りませんでした、気をつけます。すみません」と顧問は答えたという。しかし、いじめは続く。担任にも相談したが、クラスの加害者に対してストレートな物言いで指導したためか、担任が見えないところでのいじめが始まった。
ノートをやりとりしていた担任は、いじめを知り「頑張れ、頑張れ」と書いたが、辰乃輔くんは「これ以上、どう頑張ればいいんですか?」と反発した。夏休みの宿題の作文にも、こう書いている。
《ぼくは、小5、6、今もいじめられて、かげで悪口やなかまはづれをされています。ぼくの存在って、存在なんてなくなればいいと思います》(原文ママ)
夏休み明けの9月、何度か担任に手紙を書いた。
《ぼくは、サッカー部の友達からいじめられている。(具体名をあげ)2年の先ぱいたちに仲間はずれにされたり、むしされたり、かげ口を聞こえるようにする》(1日)
さらに手紙を出し続ける。
《ぼくはこれからどうしたらいいのか分からない。ぼくは消えたい》(11日)
18日、体育祭が行われたが、クラスの女子生徒に「しんちゃんのせいで優勝できなかった」と言われた。女子生徒の両親は発言を否定したが翌日、辰乃輔くんは自室で首をつり最初の自殺を試みる。
「“なんでこんなに苦しまなければいけないの?”と言っていました」(佳奈さん)
学校に連絡すると校長が訪ねてきた。SOSに気がつかなかったのかと聞くと、校長は「あれ(手紙)がSOSですか?」と言ったという。
辰乃輔くんは10月19日にも手紙を書き、担任に送った。
《学校は、いじめがないって言ってるけど、いじめられていたぼくはなんだろう》
26日の夜、また自室で首をつろうとした。このとき、学校あての手紙を書いている。
《ぼくは、学校のじゃまものなんだ。いじめられたぼくがわるい。学校の先生たちはなにもしてくれない》
学校側は11月、ようやく、いじめの有無に関するアンケート調査の結果を佳奈さんに伝える。教頭は電話で「いじめはない」と述べた。
《死んでぼくがいじめられた事を分(か)ってもらいます》(25日)
なぜいじめっ子が学校へ行けるの?
調査について市教委は「9月に実施」というが、佳奈さんが開示請求をした際には資料が存在しなかった。本当に調査をしたのか。または破棄されたのか。文科省の「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」では、調査記録は「少なくとも5年間保存」が望ましいとしている。
'17年の正月明け、辰乃輔くんは1度、学校へ通った。クラスで絵馬を飾ることになり、「いじめがはやく解決しますように」と願い事を書いたが、担任から「それは飾れない」と却下された。再び、学校へ行かなくなった。
3回目の未遂は同年4月10日。転落死したのと同じマンションから飛び降りた。一命はとりとめたが、重傷。一時は車椅子生活になった。
「“いじめられた僕が学校へ行けなくて、いじめた子たちがなんで学校へ行けるの?”と言ってました」(佳奈さん)
3度目の未遂後、新任の校長は「いじめがあった」と認めた。11月2日、調査委の第1回会合が実施。最初の未遂から1年2か月がたっていた。
'18年1月には調査委が佳奈さんと接触。法に基づき、いじめの重大事態であるため調査委員会が設置されたことを説明したという。しかし、佳奈さんは「調査委や重大事態の説明はなかった」と話す。少なくともわかりやすい方法で話していないのだろう。市教委は「再度、丁寧に説明していく」と強調する。
咋年6月、加害生徒7人と親たちから謝罪を受けた。だが同じころ、別の加害者の保護者から「その足になったのも飛び降りたのも、自分の意思」と強い口調で言われた。
「辰乃輔は“自分の意思じゃないのに”と言っていました。この暴言のあとから寝つけないようになり、悪夢を見たり、1日2時間ほどしか睡眠時間がありませんでした」
同年7月に「いじめの件、どうなっていますか?」と担任に聞くと、「いじめは解決できない」と言われた。
度重なるSOSは、ついに届かなかった。佳奈さんは悔しさでいっぱいだ。
「(辰乃輔くんの死は)いじめや学校、市教委の対応による苦しみやつらさが積み重なった結果だと思う。高校は楽しいと言っていましたが、またいじめられるのではないかという不安や過去のフラッシュバックが勝ってしまった」
佳奈さんによると、辰乃輔くんの死後、市教委は自宅を2度訪れたという。市教委へ確認すると「ようやく遺族と連絡がとれたばかり。遺族の意向もあり詳細は話せない」と述べた。いつ、どのような経緯で辰乃輔くんの死を知ることになったのか聞いても「詳細は教えられない」。調査委が設置された中での自殺という異例の事態をどう受け止めるかについても尋ねたが、「議会で教育長が述べたとおり」。明確な回答はなかった。
「子どもを守れるのは大人です。子どもの悲痛な叫びを握りつぶしたのも大人です。何げないひと言が子どもを死に追いやることをわかってほしい」(佳奈さん)
(取材・文/渋井哲也)
〈筆者プロフィール〉
ジャーナリスト。自殺、自傷、いじめなど、若者の生きづらさに関するテーマを中心に取材を重ねている。近著に『ルポ 平成ネット犯罪』(ちくま新書)があるほか、現在、来年に刊行予定のいじめ問題に関する著書を執筆中