学校で深刻ないじめが相次いでいる。それに加えて、教師から児童・生徒への指導によって、新たな問題を招くことも増えてきた。なぜいじめは起こり、教師の指導はうまくいかず、どうして問題を解決できないのか。
少年院や保護観察所などで勤務経験がある、高知大学の加藤誠之准教授(生徒指導論)は「管理主義教育の下では、いじめは激化する」と話す。
現在は管理主義が復活している
いじめが社会問題となったのは1980年代から。'86年、東京・中野区の男子中学生が、同級生や教師に「葬式ごっこ」などをされ、自殺したことを覚えている読者もいるだろう。
'94年には、愛知県西尾市で中学2年の男子生徒が自殺。同級生11人が関わり、刑事事件にもなった。
「'80年代から'90年代半ばにいじめが激化し、生徒が自殺する事件が起きました。このときは教師=生徒間の縦の関係を利用して、生徒を統制していました」
だが、'90年代半ば以降、管理主義が問題になった。それにより指導のあり方にも変化が生じたと、加藤准教授は指摘する。
「特に、体罰で子どもを死なせて学校の信用が落ちたことが大きい。そのため管理主義ではなく、スクールカウンセリング主体の生徒指導にかわりました。しかし、カウンセリング型の指導は、子どもが対話をしてくれることが前提です。
暴れる生徒たちには効かないという批判が起き、現在は『毅然とした生徒指導』というネーミングのもと、管理主義が復活しています」
'11年、大津市のいじめ自殺があり、2年後に「いじめ防止対策推進法」が成立したが、深刻さは変わっていない。
いじめ問題をめぐっては、学校や教育委員会による隠蔽も相次ぐ。なぜ「なかったこと」にされやすいのか?
子どもの世界を理解できていない
「教師は“いじめが起きてはいけないこと”と考えます。そうなれば隠蔽したくなる。特に小学校では、自分のクラスは1人で責任を持つ考えが強く、相談しにくいのです」
いじめを解決するにはどうすればいいのか。その前提として、加藤准教授は「問題をオープンにすること」を重視する。
「教師がひとりで抱え込まずに、学年集団や学校全体で共有し、対応することが大切。まずは子どもの間でいじめは必ず起こると思い、学校内でオープンにして共有することです。
いじめの解決には、クラスのみんなが平等であると確認し、民主的に意思決定する工夫が必要です」
ただ、いじめがわかったとしても、指導の際に事実確認を怠るケースも少なくない。これでは問題を複雑化させてしまう。
「教師が指導するとき、“子どもはこうあるべき”との先入観が入り込みやすい。しかし、事実確認の際にこうした考えがあると、教師にとって都合のいいことしか見えません。事実の確定と、どう指導すべきかは別です」
また、指導の際に必要な「子どもの世界」を教師が理解できていないというケースも目立つ。
「管理主義は過剰に児童・生徒を統制しますが、一方で、一見しただけではわからないことは気にせず、見落としがちです。それでは子どもたちの心の中に入っていけません。
例えば、被害者にいじめられていないかと聞いても、否定することがあります。ちくったとわかると、さらに子ども集団から排除されるからです。無記名アンケートにするなど工夫が必要です」
体罰を肯定する人がいる
加害者への指導のあり方も問われることになる。
「いじめは人権侵害で、許されないと教えないといけません。恐喝や暴力事件など、一線を越えた場合は、非行事件として扱うことです。
重要なのは、いじめかどうかは、被害を受けた側の心身の苦痛で決まるということ。文科省も、必要であれば加害生徒の出席停止を認めています」
教師が加害者と決めつけたり、長時間の指導や強迫的な言動をしたり、指導死につながりかねない問題もある。
「いじめた側も、きちんとした指導をされる権利があるのです。一方的に説教するのではなく、かばってあげる教師が必要。子どもを過度に追い詰めないことです」
一方、いじめの被害者については、自衛手段をとることが求められるという。
「いじめられている側は、メモなどを書き残すことです。法に触れる場合、司法や警察に委ねることも必要です」
教師間のいじめが発覚し物議をかもしている昨今、教員の質が問題視されている。大学の教員養成課程でも課題は多い。
現在、いじめなどへの対応を学ぶ科目は4単位のみ。十分な時間がとれていないのが現状だ。
生徒指導のありようも変化し、確立されたものがない中、文科省は「生徒指導提要」を作っているがなかなか現場に浸透していない。
「教員志望の学生を指導していると、子どもたちを理解したいタイプの学生と管理統制志向のタイプの学生がおり、後者に体罰を肯定する人がいます。
短期的には統制は効き目がありますが、子どもの全人的な発達を支援する視点が必要です。限られた時間の中で、教育には暗いところがあることも伝えたい」
一方、大阪府寝屋川市では、これまでのいじめ対応を見直し、市独自の対応をすることを決めた。東京都世田谷区、滋賀県大津市、兵庫県川西市なども類似の対応をしている。
今年5月29日に就任した広瀬慶輔市長がツイッターで「いじめゼロへ」と書き込むと、いじめ被害者や、いじめによる自殺遺族、支援団体から注目を集めた。
なぜいま、広瀬市長はいじめ問題に力を入れて取り組むのか?
「前市長の政策テーマは“命を守る”でした。痛ましい事件がある中で、安全対策として防犯カメラを2000台設置しました。
次の段階で考えたのは“子どもの命と尊厳を守る”です。他の自治体の例を見て、いじめなどの問題が寝屋川市で起きたとき、いまの体制では、同じような対応になるのではないか。そう認めたところからスタートしました」
ラストホープを見せます
広瀬市長は、いまの教育現場によるいじめ対応を、システムエラーを起こしている状態にたとえる。
「いじめ解決のプログラムにバグがあるなら、微修正しても機能しません。エラーを起こした原因を特定し、作り変えることが必要です。対応の遅れは、教員の資質に問題があるのか、市教委の問題なのか。
ただ、これだけ全国で問題が起き、再現性があるとなると、システムのエラーではないでしょうか」
学校での教師の取り組み、生徒指導に限界があるということだろうか?
「先生の指導が間違ってはいませんが、取り組みに問題があるのです。学校や教育委員会など、教育現場によるアプローチだけにとどまらない新たな仕組み、2本目のプログラムが必要になります」
具体的には、2つのアプローチが求められるという。
「市としてかかわるならば、行政的なアプローチになります。いじめ問題への対応を教育委員会から市長部局へ移し、市が市教委からの報告や通報を受けます。
監査課にはケースワーカーら10人を置きいじめ当事者の児童・生徒と保護者に会うようにします。日常的にマネージメントし、事態の収拾にあたるわけです。必要に応じて、市教委に勧告や指導、調整もします。
さらに問題が長期化した場合、加害者の転校を勧告する。教職員の問題というケースでは、異動を勧告する場合もあるでしょう」
行政的アプローチをしても効果がないこともあるだろう。その場合は、法的アプローチを行う。
「被害者のために弁護士を用意し、刑事告訴や民事訴訟のために対応します。法的アプローチがあるからこそ、その前段階である行政的アプローチの効果が高まるのです」
いじめ問題の新たな取り組みを進める広瀬市長は「子どもたちが普段接する大人は先生や親たちですが、いじめの相談も解決もできない、と周囲の大人に絶望している子どもは少なくない。
寝屋川市の取り組みで、最後の望み、ラストホープを見せます」と、メッセージを寄せた。
子どもたちが安心して学べる場に変われるか、大人たちの本気度が試されている。