「みなさんが心配してくださるんですが、わりあい元気なんです。今のところ、ね(笑)」
そう穏やかな笑顔を見せるのは女優・八千草薫。“米寿”を迎えた2019年、すい臓がんを患っていたことを公表し、世間を驚かせたのは記憶に新しい。
「2017年の秋に病院で“すい臓にちょっと気になるところがある”と言われて。年末に詳しく検査していただいたら“やっぱりよくないものがある”ということでね。年が明けて手術をしたんです」
手術は無事に成功し、順調に回復。2018年4月からの連続ドラマ『執事 西園寺の名推理』(テレビ東京系)に出演、8月には舞台『黄昏』で主演を務めるなど、87歳(当時)とは思えない演技を見せていた。だが、肝臓への転移も判明したことで、
「正確なことをみなさんにきちんとお伝えして、治療に専念することにしたんですね」
72年の女優人生で初めての病気降板
2017年に話題を集めた倉本聰脚本の連続ドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)。その続編で現在放送中の『やすらぎの刻~道』には、八千草も後半パートのヒロイン役で出演予定だった。だが、その役を降板することに。72年間の女優人生で初めてのことだった。
「倉本先生にもスタッフのみなさんにもご迷惑をおかけするなぁ、申し訳ないなぁ、と。無理をしてでも、どうしても続けたかったのですけれど、撮影がもっと先に進んでしまってから、どうにもならなくなってご迷惑をおかけしてしまうよりは……と思って」
現在は、検査で入院する以外は、自宅で療養中。体調も落ち着いている。
「抗がん剤も強いものを使わずに、転移がわかる前と同じ薬で、身体に負担をあまりかけないでゆるやかに治療していこうということで、ね。もちろん大変な病気ですから、ちょっと調子が悪いなぁと思う日もあります。毎朝、犬と一緒に散歩をしているんですけれど、いつでも気持ちよく歩けるというようにはちょっといきませんしね」
倉本聰の案内で初夏の北海道へ
6月の上旬には、北海道富良野へ2泊3日で旅行へも出かけたそう。
「病気になってから、こんなに遠くまで出かけたのは初めて。本当はお友達も一緒に行く予定だったんですが都合が悪くなってしまって、私ひとりに。だから私も“どうしようかなぁ”と思っていたんですけれど、せっかくだし行かないのはもったいないな、と思って」
現地では富良野在住の倉本が案内役を務めたという。
「倉本先生が、いろいろなところへ案内してくださって。『北の国から』のセットを再現している家がとっても素敵で面白くてね。とても楽しい3日間でしたけれど、倉本先生にお世話になりっぱなしで申し訳なかったですね(苦笑)」
富良野と言えば、見渡す限りのラベンダー畑が有名。残念ながら、ラベンダーの時期には少し早く、花はまだ咲いていなかったというが、
「旭川空港から富良野まで1時間くらい車で移動するんですけれど、もうずっと山、山、山……でね。ずっと山を眺めながら“あぁ、やっぱり自然はいいなぁ”って。富良野にはまだ昔からの原生林もそこかしこに残っているんですね。自然の真ん中、本当に森の中にいるなぁという感じで、すごく素敵で気持ちのいいところでしたね。こういうところにいたら、それは長生きするなぁ、と(笑)。東京へ戻ってきたらコンクリートばかりで何だかもう、がっかりしちゃいましたね」
日常生活も普段どおりだ。
「お友達に会いに出かけたり、銀座のかかりつけの歯医者さんへも行きますしね。そうそう、本屋さんへも行きますね。子どものころは“活字中毒”みたいなところがあったんですけれど、今も雑誌を定期購読しています。ええと……『文藝春秋』に『ニューズウィーク』『サイエンス』……。“ずいぶん男性っぽいものを読んでいるんですね”って驚かれるのだけれど」
本では最近、こんな失敗も。
「この間ね、久しぶりに5冊くらいいろいろな本を買ったんです。さぁ読むぞ! と思って。そうしたら、その本が入った袋をタクシーに忘れてきちゃって。結局、出てこなかったんです。せっかく重い思いをして持って帰ってきたのに、悔しくて(苦笑)」
そんな本好きな八千草が、6月末に、自身初めてとなるフォトエッセイ『まあまあふうふう。』を上梓した。
「しかたないこと」はくよくよ悩まない
「お話をいただいたときは、“本と言っても何を書いたらみなさんが興味を持ってくださるのかな”と思ったのですけれどね。でも、自分の考えだったり、心の内を正直に見つめ直すチャンスだと思ってお引き受けしたんです」
タイトルの“まあまあふうふう”は、八千草の好きな中国の故事成語“馬馬虎虎”から。もともとは「いい加減な」という意味の言葉だが、八千草は“(ちょうど)よい加減な”と解釈して、日々の生活で心がけているのだという。
本書では、自宅や長野県・八ヶ岳高原の山荘でのひととき、大切にしている愛用品など、飾らない日常の写真を多数収録。日々の暮らし方や女優という仕事について、そして自身の病気との向き合い方、生き方についても初めて綴っている。
「年をとっていくと、それまで普通にできたことができなくなったり、少し怠けただけで体力や筋力が落ちたり。私もそういう自分が“悔しいなぁ”と思ったり、夜ベッドに入っていると何だか急に心細くなったりすることも、もちろんあります。でもそれは、自分ではどうにもならないことですから。それをくよくよ悩んだってしょうがない、と思うんですね。“ま、いいか”“ま、しょうがないな”と受け入れてやっていくよりほかないですからね」
医師から、がんだと告げられたときも、自分の状況を穏やかに受け入れられたという。
「“おぉ……来たか”という感じでね(笑)。もっと若かったら、ショックも大きかったと思うんですけれど、“病気は病気で、まぁしょうがないな”“精いっぱい、生きるしかないな”って。病気だけではなくて、起きてもいない先のことや、もう取り返しのつかない昔のことも、どうしようもないことでしょう?」
だからこそ、いちばん大切にしているのは、“いま”。
「まずは目の前のこと、その日、一日一日を大事にして、自分にできることを一生懸命にやって生きることだと思うんですね。ごまかしてそのまま先に進んでも、何か居心地が悪いでしょう? それに、やっぱりどこかでうまくいかなくなるし……。でもね、そうやって頑張って一生懸命、進んだとしても、たいていのことは“あぁ、失敗したな”と思うようにできているのよね、悔しいけれど(笑)」
そのやわらかな微笑みは、いまも変わらず輝いていた。