長野県小諸市の“渥美清こもろ寅さん会館”は'95年にオープンするも'13年に閉館。現在に至るまで、復活の兆しは見えてこない。館長の妻に再開できない理由を聞いてみると―。
寅さん再ブームの兆し
'96年に亡くなった渥美清さんが主演する映画『男はつらいよ』。これまでに公開された49作品のシリーズは今でも多くの人に愛されている。
「今年12月に、22年ぶりの新作『男はつらいよ お帰り寅さん』が公開されます。またNHKでは、車寅次郎の少年時代を描いたドラマ『少年寅次郎』が放送中。再ブームの兆しですね」(映画ライター)
そんな盛り上がりの中、沈黙を続けているのは “渥美清こもろ寅さん会館”があった長野県小諸市だ。
「小諸市に寅さんの記念館ができたのは'95年。現在もある柴又の“寅さん記念館”は'97年オープンですから、実は映画の舞台より早く、長野に記念館が存在していたんです」(地元の住民)
渥美さんは寅さん同様に東京の下町育ち。その彼が小諸市と縁があるのは地元の名士“井出勢可さん”との友情によるものだ。
“小諸は第2のふるさとだ”
井出さんの妻である澄子さんは、こう振り返る。
「地元で電気工事会社を営んでいた夫は社交的で芸能人の知り合いが多く、'60年ごろに渥美さんと意気投合して一緒に遊ぶようになりました」
『男はつらいよ』の1作目が公開されたのは'69年。'60年代初頭の渥美さんはようやくテレビで知名度が上がりだした新人俳優のひとりだった。
「渥美さんは知り合って間もなく大スターになりましたが、夫と小諸市が好きになり、ずっと付き合い続けてくれましたね。“小諸は第2のふるさとだ”とおっしゃっていました」(澄子さん、以下同)
ある日、井出さんは地域活性化のために小諸市を映画の舞台にできないかと渥美さんに相談。その思いが実り、'88年の40作目『寅次郎サラダ記念日』は小諸市で撮影が行われた。
「ロケ誘致の成功後、夫は渥美さんの記念館設立を計画します。寅さんみたいに破天荒な人でしたから止めても聞きませんでしたね」
私財をつぎ込み “渥美清こもろ寅さん会館”は完成。しかし開館翌年の'96年に渥美さんは亡くなってしまう。
「夫は渥美さんの功績を伝えるよう頑張って運営しました。最盛期は年間10万人以上が訪れていました」
同館は映画にまつわる写真や資料など約1700点を所蔵。渥美さんの国民栄誉賞の盾なども展示し好評を得ていたが、不幸が訪れる。
「'04年に市長が代わったことで館への補助金がなくなったり、'11年には夫が脳梗塞で倒れたりと徐々に運営が難しくなったんです」
井出さんはリハビリに励むも'12年に死去。翌年の'13年に惜しまれつつ閉館した。
「再開前提で施設を市に譲ったのですが、中止になりました。夫と渥美さんの思い出が残る小諸でなんとか再開できればいいんですけどね」
復活の予定はないのか市役所に問い合わせたが、
「現在、再開の予定はありません」(商工観光課)
久しぶりに寅さんが帰ってくるのだから、渥美さんの第2のふるさと小諸市も、温かく迎えてほしい─。