増え続ける授業に採点、部活、保護者対応に生徒指導。膨大な業務に追われて、残業代はゼロ。それが学校で先生たちが置かれている日常だ。
そうしたブラックな環境に追い打ちをかけるような法案がいま、国会で審議されている。柱となっているのが、授業や学校行事などで忙しい時期に定時を延ばし、かわりに夏休みにまとめて休みを取り、年単位で働く時間を調整する『変形労働時間制』という制度。4・6・10・11月の勤務時間を週3時間増やし、その分を夏休みのある8月に振り替えて、5日程度の休みが取れるよう設定するイメージだ。「学校の働き方改革」の一環で、成立すると公立学校で導入できるようになる。
定時が延びて過労死も増える
この改革案に全国の先生たちは猛反対。撤回を求めるネット署名は11月15日時点で3万3000筆を超えた。署名に寄せられたコメントからは悲痛な叫びが聞こえてくる。
《休憩すらまともにとれていないのに、この制度はありえません》
《わが家は夏休みを待たずに倒れました。そういう先生方が多いのは事実です》
このネット署名を始めた現役教員・西村祐二さん(40)は、学校への変形労働時間制の導入を「教員への暴力」と言ってはばからない。集会を開き、署名を文科大臣らに届け、記者会見も開催。その席で西村さんはこう訴えた。
「教員もひとりの人間。聖職者でも神でもありません。こういった働き方を強いられていたら死んでしまいます」
SNSや著作のペンネーム・斉藤ひでみとして活動してきたが、ここへきて、募る危機感が実名で顔を出すことに踏み切らせたという。
「熱意を持って教育に取り組んできた先生方が年に何人も学校を去っていった。疲れ果て、倒れていった先生方が僕はもう、忘れられないんですよ。当時、学校に変形労働時間制があったら過労死されていたかもしれない。そんな同僚が次々に出る職場は異常です。教員の心身を壊し、生活を壊し、公教育を壊す暴力を僕は黙って見過ごせない。声を上げる教員の姿を生徒たちは見ています。おかしいことはおかしいと言っていい。そう生徒たちに伝えるためにも絶対、成立させちゃいけない」
変形労働時間制の何が問題か? 西村さんが続ける。
「定時は延びて、忙しいとされる時期は1日10時間も働かせていいことになる。当然、過労死も増えるでしょう」
国の調査によれば、小学校の約3割、中学校で約6割の教員が健康被害の高まる「過労死ライン」を超える、月80時間以上の残業をしていた。
「定時が延びた時間帯へ学校行事や職員会議など、学校全体のための業務を組み込まれるおそれがある。すると、授業準備や採点など、個人でやる業務の時間がとれない。今でさえ、授業準備は家に持ち帰ってやるのが当然という風潮。タイムカードではわからない残業がエンドレスで増えていき、残業の実態を見えなくさせてしまう」(西村さん)
教員側の意見を反映させる機会が奪われている
そもそも学校に閑散期などあるのか? そう疑問を投げかけるのは、埼玉大学の高橋哲准教授(教育学)だ。
「先生たちは夏休みにも残業しているという実態がある。学校では突発的に保護者や生徒への対応を迫られることが多く、事前に忙しい時期とそうでもない時期の計画を立てるのは困難。本来、変形労働時間制を入れてはいけない職種なんです。また、有休取得さえ難しいほど多忙な先生たちが、そもそも休日をまとめ取りできるのかも疑問です。できたところで、1年の疲労を8月にまとめてとれますか? 人間の身体は、そんなふうにはできていません」
また、学校側に都合よく働かされることを防ぎ、先生たちを守るブレーキもない。
「民間企業で1年単位の変形労働時間制を導入するには、働く人の意見を反映させた協定を労使が合意して結び、それを労基署に届け出るなど、さまざまな手続きを踏む必要があります。しかし現在の法案では、これらの過程はすべてスキップできるとされている。労働当事者である教員側の意見を反映させる機会が奪われているのです」
校長や教育委員会のさじ加減ひとつで勝手に働き方を決められかねない。西村さんも「今まで以上に部活顧問を強制されやすくなるのでは?」と、恣意的運用を懸念する。
残業代というブレーキもきかない。公立校の教員は、月給の4%という教職調整額が支払われるかわりに、残業代は出ない仕組みになっているからだ。“定額働かせ放題”と呼ばれるゆえんだ。
「民間企業では『36協定』と呼ばれる労使の合意がなければ、社員に1日8時間以上の残業をさせることはできません。そして残業代を支払わなければならない。また、特別な事情があって労使の合意ある場合に限り最大で年720時間まで残業させることが認められていますが、これを超えたら罰則が科されます。一方、こうした長時間労働を防ぐブレーキが公立校の先生たちにはひとつもありません」
と、高橋准教授。そこへ変形労働時間制が加わると、暴走する可能性が。
「夏休みの休日まとめ取りだけでは長時間労働は減らせないため、文科省は対策として、時間外労働を規制するガイドラインを変形労働時間制と併せて入れると言っています。しかし、そもそもブレーキがないので、ガイドラインで認めている年最大720時間の残業をタダ働きさせてもいい仕組みとして機能するのではないか」(高橋准教授)
「子育てや介護と両立できない」と切実な声
勤務時間の延長は、家事や育児、介護を主に担う女性教員にとって、暮らしの土台を揺るがす問題だ。署名でも切実な声が寄せられている。
《子どもの保育園のお迎えが間に合わず、生活が成り立たなくなります》
《健康的な子育てなんてあきらめろ、嫌なら教師をやめろと言われているようなもの》
文科省は育児中の教員への配慮は大前提としているが、
「時短勤務の申請をすることさえプレッシャーに感じている人は多い。配慮しますよと言われても、教員間で負担に差が出てギスギスした現場になっていく」(西村さん)
「ただでさえ少子化で教員の数は減らされています。育児中の方に配慮するには人員が必要。財源もかけずに通達を出すだけなら何も配慮していないのと同じ」(高橋准教授)
学校がブラックな場所になるほど教員志望者は減っていく。高橋准教授によれば、
「教員採用試験の倍率は、大都市では軒並み低下。私の勤める大学でも、教員免許を取っていても約半数は教職を選んでいません。変形労働時間制になると拍車がかかり、優秀な学生が教職に就かなくなり、相対的に教員の質を下げていくことになるのでは?」
教員の質の劣化は、授業の質の劣化に直結する。
「小学校での英語など新しい授業がどんどん入ってくると、その都度、勉強が必要になる。例えば2時間は授業準備に割いていたところを、疲れて余裕がなくなれば、今日はもう1時間でいいかな、となるでしょう。その分、授業の質は落ちます。今でさえ生徒から相談があると言われても、10分だけ、すぐ職員会議だから5分だけ、という状況。いじめやトラブルなどに十分に対応できなくなるのではないでしょうか」(西村さん)
子どもたちのためにも教員が普通に働いて生活できる真の改革が求められている。