『風神雷神図』(京都博物館所蔵)で有名な天才絵師・俵屋宗達。現在に至るまで、その名をとどろかせるものの、その生涯は多くの謎に包まれている。その宗達が、もし、天正遣欧少年使節とともにローマへ渡っていたら……。
そんな夢のある物語を生み出したのが、原田マハさん。キュレーターの経歴を持つ人気作家だ。
絶対にありえないことでも可能性はある
「アートの小説を書くときは、ひとりのアーティストにフォーカスして、その人が活躍した時代を徹底的に調べます。宗達は生没年もはっきりしていませんが、研究者の間では1570年代に生まれたのではないかとされていて、その前後30年をつぶさに調べ上げると、1582年に、天正遣欧少年使節がローマへ派遣されていることがわかったんです」
その事実にたどり着いたとき「あっ!」と快哉(かいさい)を叫んだという原田さん。
ときは、日本美術のルネサンスと称される安土桃山時代、かつ、欧州では、まさにルネサンスの時代。この2つが結びついたら……、原田さんの想像は広がり、物語は羽を広げた。
「宗達と天正遣欧少年使節の少年たち。同じ時代に生きていたのだから、同じ船に乗り込むことも、可能性がゼロとは言えない。絶対にありえないだろうということでも、限りなくゼロに近い可能性だけはある。その面白さを追求し、物語にするのが私のスタイルです」
ご存じのように天正遣欧少年使節は、九州のキリシタン大名の名代として、ローマに派遣された4人の少年たちを指す。物語では、当時の天守・織田信長の命を受けた宗達が、キリシタンの少年たちとともにローマ行きの船に乗り込む。
そして、ローマにたどり着いた若き宗達は、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロなど名だたるヨーロッパの巨匠の絵画に触れ、絵師として成長していく。
もしも若き宗達がイタリアで…
「宗達がルネサンス期の画家の作品に触れるという話のヒントは以前、対談した細見美術館の細見館長の言葉です。細見さんが初めてバチカンに行かれたときに、ミケランジェロの『天地創造』を見て、宗達を思い出したとおっしゃったんです。実は私も、同じ印象を受けていました」
確かに『天地創造』で描かれるキリストは筋骨隆々。宗達が描いた『風神雷神図』の風神雷神も下っ腹はたるんでいるものの、やはり筋骨隆々だ。
もしも、若き宗達がイタリアで、『天地創造』を見て、刺激を受けていたとしたら……。作家の想像力はますます広がり、私たちに夢あふれる物語を紡いでくれた。夢あふれるといえば物語後半で登場するカラヴァッジオにも驚かされる。
「ルネサンス期に生きていた西洋の画家と宗達が接触していれば面白いと、創作当初から考えていました。
カラヴァッジオは、ルネサンス後のバロック幕開け時期の画家。天正遣欧少年使節がミラノにいた時期に、ちょうどミラノにいたことがあるとわかって、役者はそろった! と思いました」
歴史上の事実に虚構を加えて物語を作り上げる。原田さんはまさに映画監督のごとく、宗達とその周りの登場人物を動かしていった。
まっすぐで純粋なまま交じり合う少年たちの心
宗達の目を借りて、ルネサンス期の優れた絵画を眺められることや、俵屋宗達はきっとこんなふうにまっすぐで、自由な心を持ったマイペースな少年だったのだろうとイメージすることも、本書の楽しみのひとつだが、読み進めていくうちに、少年たちの成長と友情にも胸が熱くなる。
「汚れないまっすぐな信仰心を持ってローマに行ったキリシタンの少年たち。そこに少年絵師の宗達の純粋な創作への情熱が加わることで、ひとりひとりが純化していく様子を描けるといいなと思いました」
原田さんの思いそのままに、苦しい航海を経て、初めて出会う異国の人々との触れ合いの中で、少年たちは逞しく成長していく。
「いまはローマに行きたいと思ったら、飛行機に乗れば1日で着くじゃないですか。けれど、500年前は片道3年強をかけて、航海中のたくさんの困難を力を合わせて乗り越えながら、やっとローマにたどり着く。その中で友情は育まれ、少年は青年に成長していきます」
21世紀のいまは、何事もスピーディーに、簡単に、手短に、イージーにやってしまおうとすることが多い。効率重視。いかに早くコトを進めるかで優劣は決められる。
「友情も恋愛もめんどくさいと公言する若者がいる。一方でマンガの『ワンピース』のように仲間と助け合って困難に立ち向かう友情に胸を熱くする。そういうことに憧れる気持ちもあるのだと、思うんです。
他人との関係性の中でめんどくさいことがあっても、それを乗り越えて、互いに認め合って、成長していくのが人間の本来のあり方ではないでしょうか」
人間同士の関わりを長い時間をかけて育んだことも、かつてはあった。そんな時代の真の友情が、本書には描かれている。
「お母さんにも、子どもたちにも、おばあちゃんやおじいちゃんにも、親子三代で読んで感想を話してほしいです」
上巻368ページ、下巻320ページ。計700ページに迫る超大作だが、ゆっくり時間をかけて、原田さんが作り上げた少年期の宗達を楽しみたい。
ライターは見た!著者の素顔
ユーモアを交えながら執筆エピソードを語ってくれた原田さん。アートに対する深い見解がとても興味深く、予定されたインタビュー時間はアッという間に過ぎました。担当編集者の兼田将成さん(PHP研究所)は原田さんのことを「おしゃれで、とても頼りになる方」と言います。
加えて「これまで西洋美術を主題に据えることが多かった原田さんが、初めて日本の絵画の謎、歴史小説に挑戦した作品。小説ならではの創造の翼を広げた冒険譚のダイナミズムも楽しんでもらえればうれしいです」とのことでした。
(取材・文/池野佐知子)
はらだ・まは 1962年、東京都生まれ。関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史科卒業。馬里邑美術館、伊藤忠商事を経て、森美術館設立準備室在籍時にニューヨーク近代美術館に派遣。'02年フリーのキュレーターとして独立。'05年『カフーを待ちわびて』で小説家デビュー。『楽園のカンヴァス』で山本周五郎賞、'17年『リーチ先生』で新田次郎文学賞を受賞。そのほか著書多数。