【小学校受験のお作法2.0】親子力を合わせ、厳しいお受験を乗り越えるためにも、先人たちのリアルな合格体験談はあらかじめしっかりと知っておきたいもの。しかし、幼児教室などで登壇する合格者の経験談は、幼児教室の先生たちのフィルターがかかった内容になりがち。実際には色々な教室に行っていたのに「我が家は本当にこちらの教室のみでした」とコメントされることもあるそう。そこでここでは、お受験コンシェルジュ&戦略プランナーのいとうゆりこさんが、合格者のお母様たちにインタビューを実施。合格するまでの道のり、そして入学後の様子など“生”の声を伝えてくれます。あくまでもひとつの参考とされてみてくださいね。
慶應義塾横浜初等部に合格した男の子の場合
「結婚が決まってから、すぐにお受験準備をはじめました。まず、私自身がかつてお世話になり、20年以上年賀状のやりとりをしていたファミリースクールの先生にお手紙を書きました」と語りはじめたお母様から、これほど壮絶な経験談を伺うことになるとは、このとき私は思っておりませんでした。
長年、何十人ものお受験ママと交流してきた私にとっても初めてのケースでした。
ご家族のスペック
・お父様:東京出身、筑駒→東大卒、外資系コンサルティング会社勤務
・お母様:東京出身、女子校育ち、短大卒、社長令嬢
・お子様:御三家幼稚園
――結婚と同時に、かつてお世話になった先生にお手紙を書かれたということですが。
「はい、結婚が決まると、その先生に婚約や挙式披露宴の日時をお知らせし、ご都合を伺うお手紙をまずお出ししまして、お手紙が届く翌日にお電話を差し上げました。
その時期は小学校受験の真っ只中で、ご都合がつかないであろうことはわかっていたのですが。すると電話口で、やはり出席は難しいものの、“お子様が生まれたら、是非私のところにお通いなさい”とのお約束をしてくださいました。
その後、無事に結婚式が終わったことを両家の家族写真とともにご報告するお手紙、そして妊娠がわかったときには、“男の子か女の子か、お腹の愛しい我が子を愛でながら心踊る日々です”とお手紙を差し上げました。
さらに、出産報告のお手紙を経て、生後3ヶ月目には主人と私の母と共にご挨拶に伺いました。1歳からファミリースクールに通わせていただけることも決まり、すべて順調なスタートでした。
このとき私が描いたコースは、超名門幼稚園→慶應幼稚舎→慶應大学→大学院で留学しMBA取得です。あとは、このゴールに向けて、私が頑張るだけという状態でした。
ところが、息子は生まれたときから少し様子がおかしく……立っちもあんよも言葉が出はじめるのも月齢よりも早かったんです。そして、とにかく寝ない子どもで、授乳しながら寝落ちしても30分で起きてしまうんです。
24時間のうち、寝ている時間はトータルで3時間程度だった気がします。何度も病院に行きましたが、成長には問題がなく、いつかは寝るようになると言われ続けました。
ファミリースクールに通うようになって、刺激が強かったのか、夜は少し寝てくれるようになったのですが、そこに慣れてきた1歳半頃からはまた寝ない子に戻ってしまいました」
――ファミリースクールにはどれくらいの頻度で行かれていたんですか? 寝かせるための苦労が大変だったことと思います。
「週に3回です。ファミリースクールのない日は朝から夕方まで児童館に通う日々でした。朝10時に児童館に行き、2時間遊ばせた後、休憩室でお弁当を食べさせ、ベビーカーに乗せて街を一周。そうしているうちに眠るので、眠った瞬間、私はカフェに入り一息つき……といった具体です。
2時間たったら起こし、18時まで児童館や公園で遊ばせ、急いで帰宅。眠らせないようにテレビを見せながら夕食の準備をし、夕食を食べさせたらお風呂に入れて寝かしつける。ここまで動かせば、9時間は眠ってくれます。主人は忙しく、育児にほとんど参加しないワンオペでしたので、私はいつも寝不足と育児ストレスで爆発寸前の毎日でした」
――そんななか迎えられた幼稚園受験。いかがでしたか?
「あっという間に幼稚園受験の本番はやってきました。狙ったのはもちろん、幼稚園の最高峰と言われている、超名門どころです。主人の取引先の会社の方からのご紹介もあり、事前面接も難なく終わっていたので、安心して迎えた試験当日。
息子は面接で終始泣き続け……結果、不合格となりました。私は、息子の人生の経歴書の一行目になるはずだった“超名門幼稚園卒”という一行を失ったショックから1週間寝込んでしまいました」
――残念ながら不合格になってしまったと…。
「その後、気持ちを入れ替え、ファミリースクールの先生とお話をし、2年保育の暁星幼稚園を目指すことにしました。描いたのは、暁星→東大コースです。そこで、3年保育の幼稚園には行かずに、通っていたファミリースクールにそのまま進級しました。
暁星幼稚園受験専門のお教室にも通い出したのですが、落ち着きのない息子はそこでも走り回り、動き回り……私は、“走らない!”“動かない!”“喋らない!”と息子を怒鳴り続ける羽目に。
家庭内でもそんな感じでしたので、マンション内で虐待が行われていると通報されたこともあり、私の人格はどんどん崩壊していきました。しかし、明るい未来の息子を想像することで、とにかく耐え続けました」
――精神的にも苦しい状況下、暁星の結果はいかがでしたか?
「暁星幼稚園合格率90%以上という個人の先生もご紹介いただき、息子も鍛え上げられ、お教室や試験では何とかなるレベルまで仕上がっていたんです。しかし、暁星幼稚園にも不合格。またしても息子の貴重な経歴一行目を失ってしまったのです。
そんななか、絶望の淵にいた私を救ってくれたのは、ファミリースクールの先生です。特殊なルートを駆使してくださり、“二次募集”という名の裏ルートで超人気ご三家幼稚園に編入という形で入園させてくれたのです!
本当に感謝以外の言葉はなく、何度も何度も先生の手を握り御礼を伝え、泣き崩れました。その幼稚園の品のある制服を身にまとう息子は、少し逞(たくま)しくなったようにさえ感じました」
――暁星ではないものの、本来3年保育の超人気ご三家幼稚園に、編入という形で2年次から通うことができるようになったと。次に目指されたのは、やはり慶應幼稚舎ですか?
「慶應幼稚舎は、やはり超名門幼稚園以外からの枠はさほど多くないようで、そのほとんどが卒業生や在校兄弟にあてがわれるという噂を聞き、再度、暁星小学校に挑戦することにしました。
そこで、やれることはすべてやろうと思い、小学校受験のペーパー難関塾、暁星専門の体操教室、暁星の先生が行う宗教講座、暁星向け個人の先生、そして『ジャック幼児教育研究所』にも通わせました。毎日お稽古を掛け持ちしながら、2年間息子と走り続けました。
しかし、お稽古の最中は何とか平常心を保てる息子も、私と2人きりになると、暴れ、泣き叫び……寝つくまでは戦場のど真ん中にいるような気分でした」
――万全の対策をして臨まれた暁星小学校の受験、いかがでしたか? ほかにはどこを受けられましたか?
「慶應幼稚舎と横浜初等部にも出願しました。暁星は、一次試験は通過したものの、二次試験の際、試験会場でお友だちと喧嘩をしてしまい、不合格となりました。
ダメ元で出願していた慶應幼稚舎も、“コネなしフリー枠”狙いの我が家は当然ながら不合格。私は「人生すべて終わった」と、マンションから息子とともに身投げをしたい衝動を必死で抑え、ただただ泣いておりました……。
そして最後の慶應横浜初等部、一次試験のペーパーは通過しましたが、二次試験を突破する自信はまったくありませんでした…。
しかし、なんとその二次試験の内容が、試験3日前に受講した横浜初等部の二次試験向け特別講習会の試験内容とほぼ同じだったんです! 講習会の際に、できなかった部分は先生に細かくレクチャーを受けていたため、奇跡的に合格をいただくことができました!
横浜初等部は、慶應といっても中高は普通部や塾高には進学できず、中学からは横浜より遥か遠い湘南の藤沢中等部にしか進学できません。されど慶應! 小学校から慶應、そして慶應大学卒業という肩書きは手に入れたのです!! 死をも覚悟していた私の人生、ここにきて、やっとやっと開花しました。
振り返れば、妊娠してから7年間、自分のことはすべて後回しにして、ひたすらお受験に没頭してきました。迎えた入学式では、風にそよぐ赤と青の慶應の旗を目にしたとき、涙が止まりませんでした。しかし、それも束の間の至福、息子が夏休みに入り、少し落ち着いたタイミングで受けた人間ドックで乳がんが見つかったんです」
――症状はなかったのですか?
「前々から胸がたまに痛くなることがあったり、出産後や授乳を止めた後の検診で、乳腺に石灰化したものが見つかったことはありましたが、医師の所見でも気になるところがなく経過観察と言われ。その後6年間は受験に忙しく、人間ドックを受診していませんでした。
私はすぐに手術し、乳房を含め切除することを決めました。“間に合った! まだ私はラッキーが続いている。まだまだ息子の華麗なる人生はスタートしたばかり、一度失ったと思った命、こんなところでくたばってはいられない”と。
しかし、息子にしてみれば、私がその手術を行うことにした時期は、小学校に上がって激変した生活からしばし解き放たれ、やっと母親に甘えられると思っていた夏休み。甘えることができなくなったショックからなのか、私の身体や髪型が手術後変わってしまったからなのか、息子は退院後の私を受け入れることができなくなってしまったんです」
――お子様の様子があまり良くない方向にいってしまったと。
「2学期になると、息子の生活はどんどん荒れていきました。授業には集中しない、お友だちとは喧嘩ばかり、通学の電車でも迷惑行為をし、学校に通報されてしまったり……夫婦で謝りに行く日々でした。
私の病気は夏休み中に入院も手術も済ませており、学校にも担任にもママ友にも報告しておりませんでしたので、みなさん事情を知らなかったこともあり、ただただ謝ることしかできず。そんな状況ながら息子はなんとか進級していきましたが、高学年になると勉強がとても厳しくなってきました。
そのため、幼稚園の頃から精神的発散を目的に週3回通っていた極真空手の道場に通う時間を削り、塾と家庭教師で勉強をさせたんです。
それにより、息子は精神的に限界を迎え、ストレスが爆発する夜もありました。荒れまくる息子を全力で受け止め、支え続けておりますが、現在も成績は最下位を暴走しております。素行も悪く、成績も悪い息子はこのまま中学に上がれるのかな? 私は毎日胃が痛く、身体も不調が続いています。
自分の理想を押しつけた結果がこれなのか? 東大やら慶應やら、夢を押しつけた結果がこれなのか?
お受験中には通報され、夫に問われる度に、“私がお腹を痛めて産んだ子どもなんだから、息子は私の所有物! どうやって育てようが私の勝手でしょ!?”と、きつく当たってきたせいなのか……乳がんという大きな罰は与えられたはずなのに、私の苦しみは終わりません」
――壮絶な体験をお話くださり、ありがとうございます。
「この取材を受けたときに、ネットで叩かれまくることは覚悟しました。きっと、ヒドくディスられることもあるだろうと。それでも取材を終えた後、掲載に了承したのは、一緒に取材を受けてくれたママ友も泣きながら共感してくれたからです。
きっとお受験って、子どもの個性や性質を考えず、自分の見栄だけのためにお受験している方が大半だと思います。入学後、ほかの保護者を見ていても、“どうしてこんなご家庭(お子様)が合格されたのか?”と、疑問に思う方々がたくさんいらっしゃいます。
塾に支払った大金と引きかえに、合格レベルに達する受験テクニックを覚えて合格を勝ち取ったとしても、実際に6年間、12年間、16年間と学校に通うのはお子様本人です。その点をいま一度、冷静に踏まえて受験して欲しいですね」
<著者プロフィール>
いとうゆりこ◎お受験コンシェルジュ&戦略プランナー。自身の経験から美容や健康・芸能・東京に関するマネー情報まで幅広い記事を各媒体で執筆中。いとうゆりこ受験情報公式サイトは、https://itoyuriko.studio.design