「被告人を懲役6年に処する」──。
'19年12月16日、東京地裁で長男を殺した罪に問われていた裁判員裁判で熊澤英昭被告は、判決に粛々と聞き入っていた。
元農林水産省事務次官で、チェコ大使も務めたエリートが起こした凄惨な事件は、長期にわたり引きこもっていた男が、無差別に小学校の児童ら20人を殺傷したカリタス事件から4日後の、6月1日のことだった──。
事件の真相が明らかに
ひとり暮らしで引きこもりネットゲームにハマっていた長男・熊澤英一郎さん(41)は、'19年5月に東京・練馬区の実家に戻った。ところが、25年ぶりに両親と同居するようになった直後から、
「うるさい! 殺すぞ!」
などと暴言を吐き、暴力をふるうようになった。
このころに被告は、「自分がやらなければ、やられる」と思ったと裁判で告白。
当初は「運動会の音がうるせぇ。子どもらをぶっ殺すぞ!」と英一郎さんが近隣の小学校の運動会の騒音に文句を言い、被告にカリタスの事件がよぎったとされていた。
ただ、今まで被告へはなかった暴力が始まったことによる恐怖で、徐々に犯行を決意するようになったようだ。パソコンで殺人などの量刑などを検索していたという。
息子を30数か所刺すと、留守にしていた妻に「これ(殺す)しかないと思う」
と被告は書き置きを残し、自首した。
エリート一家の悲惨な家庭内
裁判では、エリート一家の過酷な内幕が明らかに。英一郎さんには統合失調症や発達障害があり中学時代にいじめにあい、家庭内暴力がひどかったこと。
それが原因で妹は縁談が何度も破談になり、ついには自殺。さらには、うつ状態に陥った母親が自殺未遂まで起こしていたという。
以前から英一郎さんは「愚母を殺す」と母親への憎しみが強かったので、最近は被告が面倒をみることが多かったようだ。
母親は裁判で「長男のことを本当に一生懸命やってくれた。刑を軽くしてください。お願いします」と涙声で訴える場面もあった。
しかし事件から3か月後の夏ごろ、被告の妻は久々に戻った自宅で近所の住民も首をかしげるようなことを話したという。
「奥さんは“いろいろと整理しなきゃいけないことがあるので戻ってきたけど、里心がついてね。ついつい、いつくようになったんですよ”と言ってました。
確かにその後は2、3日、家を空けることはあっても、ずっと住んでいるようです」(近所の住民)
約20年前に新築したマイホームは、夫が長男を殺した惨劇の場所でもあるはずだが、それでも妻にとっては心安らぐ場所だったのだろうか。
12月20日、殺人事件の実刑判決後としては異例の保釈が認められ、熊澤被告は東京拘置所を後にした。
しかし、その足でまっすぐ練馬の自宅に戻ってくることはなかった──。