今からちょうど50年前の1969年に、第1作となる『男はつらいよ』が公開。またたく間に人気作となり、いつしか国民的映画として多くの人の支持を受けるようになった。
過去に松竹の映画宣伝部で『男はつらいよ』の宣伝も担当していた芸能レポーターの石川敏男氏は、最新作『男はつらいよ お帰り 寅さん』をこのように分析する。
「寅さんの実家の草団子屋『くるまや』はおしゃれなカフェに、吉岡秀隆さんが演じる寅さんの甥(おい)っ子“満男”は小説家にと、前作の公開から22年間の月日が作品にも流れていますが、根底にある作品性はなにも変わりません」
日本人の心とも言える『男はつらいよ』を最大限に楽しむための7つのポイントとは─。
日本人なら必見! この5本がアツい
『男はつらいよ』はどこから見ても楽しめる映画だが、娯楽映画研究家で“寅さん博士”の異名を持つ佐藤利明氏によれば、1作目は当然として、見てほしい作品が5つあるそうだ。
「寅さんの少年時代が語られた2作目『続・男はつらいよ』。榊原るみが演じる障がいのある少女をマドンナにし、人が人を想う優しさにあふれた7作目『男はつらいよ 奮闘篇』。シリーズ通しての寅さんのマドンナ、リリーが初登場する11作目『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』。
山田監督らしさあふれる上質の喜劇としてまとまっている32作目『男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』。主役が寅さんから満男に代わっての43作目『男はつらいよ 寅次郎の休日』は新作とつながるのでぜひ。これらは『男はつらいよ』を語るうえで欠かせない作品です。これだけチェックすれば最新作もより楽しめますよ」
私たちが愛する寅さんの深い人情
寅さんは劇中で頻繁に人助けを行っている。
「寅さんは自分のことより相手のことを考えてしまう人です。お金に困っている人がいれば自分の全財産を投げ出してしまうし、好きな人に告白されても相手の幸せを考えて身を引いてしまう。現代の価値観ではとうてい考えられませんが、それが寅さんの性格であり“人情”なんですよね」(石川氏)
寅さんの人情の根底には、彼の孤独も関係している。
「“人情”っていうのは人に対してなにかしてあげようという気持ちです。寅さん自身が全国各地をひとりで旅して孤独を知っているからこそ、出会った人に優しいんでしょうね。そんな境遇が高い共感力を育てたのかもしれません」(佐藤氏)
自由奔放に生きているが、情に厚い寅さんが誰からも愛されるのは、彼のそんな気持ちによるものなのだろう。
もはや映像資料! 寅さんが映す日本
「寅さんというキャラクターは作品を通して不変ですが、逆に当時の町並みやファッションといった流行など、移りゆく日本社会の流れは上手に取り入れています。作品を見れば当時の日本の様子がすぐわかりますよ」(石川氏)
寅さん映画の細かさはこんなところにも表れている。
「'92年に公開された45作目『男はつらいよ 寅次郎の青春』以降、寅さんの代名詞である啖呵売(たんかばい)シーンには口上がなかったりと、ちゃんと映らないようになるんです。
その背景には前年の'91年に施行された“暴対法”によって露天商は地元警察に事前に届け出を出さないといけなくなりました。そんな理由で作中では啖呵売を描写しなくなるんですよ」(佐藤氏)
世相から法律まで、日本の細かなところを映し出す点は映像資料といっても過言ではない!
永遠のマドンナ・リリー誕生秘話
第11・15・25・48作に加えて特別篇と複数回登場し、寅さんとロマンスを重ねた浅丘ルリ子演じる旅の歌手“リリー”。最新作でも重要な役割を持つほど映画には欠かせないキャラクターだが、実は浅丘の役は企画段階では“北海道で農業を営む未亡人”という設定だったそう。
「初登場の11作目『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』の撮影前に山田監督と浅丘さんが打ち合わせで会食していた際に、ふと山田監督が浅丘さんの手を見て“なんて繊細で儚(はかな)げな手なんだろう。これは農場で働く女性の手ではない”と感じたそうです。
そこから彼女のイメージを膨らませて女性の強さと弱さを兼ね備えたリリーというキャラクターができあがりました。寅さんと同じ各地を旅しているからこそ、最後まで寄り添えたんでしょうね」(佐藤氏)
歴代最多の3回出演、竹下景子のスゴさ
同じ役で複数回登場した浅丘ルリ子や後藤久美子とは別に、栗原小巻や大原麗子、松坂慶子はそれぞれ2回ずつ別の役で寅さんのマドンナとして起用されている。中でも竹下景子は第32作『口笛を吹く寅次郎』、第38作『知床慕情』、第41作『寅次郎心の旅路』と、3回も別の役でマドンナに選ばれている。
「竹下さんは“寅さんの好み”のタイプだったようですが、『口笛を吹く寅次郎』に出演し、現場で高評価を受けました。その後、『知床慕情』では日本を代表する名優の三船敏郎さんがゲスト出演。
『寅次郎心の旅路』ではウィーンで海外ロケが行われるなど、失敗が絶対に許されない大事な撮影時に、“気心が知れており、勘がいい人”という評価を受けた竹下さんが起用されたんです」(佐藤氏)
優しさを忘れない山田監督の美意識
『男はつらいよ』の全シリーズの脚本を手がけた山田洋次監督。今年88歳を迎えてもなお精力的に映画を製作している。
そんな監督が、一貫してこだわっているのが“笑い”だった。
「『男はつらいよ』って映画の前に同名のテレビシリーズがあったんですよ。
映画化にあたって、“テレビと同じ話ならヒットしないだろう”と松竹内では噂されていたんですが、山田監督の脚本を読んだ人、全員があまりの面白さに笑ってしまったんです。それで“これは絶対ヒットする”ってスタッフ全員が思うようになりました(石川氏)
また、 “どんなつらい境遇でも幸せになることをあきらめない”という共通した人物像も山田作品の特徴。『男はつらいよ』の世界には彼の美意識が流れている─。
浦安も候補だった!? 柴又が舞台のナゼ
寅さんの舞台である葛飾・柴又。実は初期の企画段階では“主人公の実家は老舗のお団子屋さん”としか決まっていなかった。“昔ながらの趣を残す町並み”を探してロケ地の候補は“西新井”や“浦安”などに絞っていたが、なかなか決まらなかったそう。
「ある日、山田監督がロケハンのため浦安に行ったもののイメージと違い、以前に知人に案内してもらった柴又帝釈天の参道や江戸川の光景を思い出して足を運んだそうです。そのとき柴又が当時から町並みが変わっていないことに感動した山田監督が“ここなら渥美さんが出てきても違和感がない”と考え、柴又が舞台として決定したのです」(佐藤氏)
もしかしたら寅さんの故郷は、柴又になっていなかったかもしれないのだ。