全壊の自宅前で志團からもらったタオルを広げる茂串至孝さん=千葉・鋸南町

「小さい町なので大工さんが足りず、どこの家も修復作業の手が回らない。うちの場合は2階部分を取っ払って、1階部分に屋根を直接つけようかと考えたんだけれども、妻や子どもに反対されたのもあって、解体を決めました」

 千葉県・鋸南(きょなん)町でわかめ養殖を手がける漁師・茂串至孝(もぐし・よしたか)さん(69)は、来春の収穫を見据えた種つけ作業を終え、ねじり鉢巻きをほどきながらそう話す。

 2019年9月9日に上陸した台風15号で自宅は全壊。屋根は崩れ、窓は割れ、めちゃくちゃにされた室内からは青空を見上げることができる。

 神奈川県茅ヶ崎市で美容室『R′s Hair』を経営する長男・龍蔵さん(45)が被災当時、実家のあと片づけ中に取材に応じてくれた縁で、この日の取材が実現した。

突然、現れた“男性集団”

 至孝さんは、「うちに限らず、まだまだ大変だけれども、いいこともあったんですよ」と、にこやかな表情でその話を切り出した。9月22日、町役場に依頼した3~4人のボランティアと一緒に片づけ作業をしているときの出来事だった。

「家の前を10人ぐらいのボランティアらしき男性集団がぞろぞろどおり、うちの惨状をみて“あとで来るからね”と言ってくれた。その人たちは午前中に高齢女性の家を片づけたあと、約束どおり、昼ごろから作業を手伝ってくれたんです。手慣れた感じで黙々と、泥だらけになりながら日が暮れるまで」

 男性集団は名札をつけておらず、誰も名乗ろうとしなかった。作業の終わりに、至孝さんはせめて名前を呼んでお礼が言いたくて「名前を教えてください」とリーダー格の男性に言った。

「氣志團(きしだん)の綾小路翔です」

 '04、'05年とNHK紅白歌合戦に出場したロックバンド。千葉県木更津市で1997年に結成し、高く盛ったリーゼントにサングラス、学ランと、往年のツッパリブームを彷彿(ほうふつ)とさせるスタイルで話題を集め、根強いファンを持つことでも知られる。

「でも私ね、失礼な話なんですけれども彼らを知らなかったんですよ。ヘルメットや帽子をかぶっていたからリーゼントとわからなかったし、マスクもしていましたから。避難先として身を寄せている知人宅に帰り、妻にこの話をしたら怒られました。“すごい格好をしているけれども、いい子たちなのよ”って」

 翌週も氣志團はボランティアのため鋸南町を訪れ、再び、茂串さん宅の片づけ作業を手伝ってくれた。そのとき、手土産としてもらったオリジナルタオルは「お宝です」と至孝さん。

「彼らの歌を聴いたことがないので、生活が落ち着いたら一度聴いてみたい。どんな歌を歌っているんですか? 『One Night Carnival(ワン・ナイト・カーニバル)』? 一夜のお祭り、か。聴くのが楽しみですね」

'20年、復興に向けて

 取材中、被災した不運・不満を口にすることなく、何度もこう念を押した。

助けてくれたのは氣志團の人たちだけじゃない。ほかのボランティアの人も助けてくれたし、遠くから見舞いをくれた知り合いもいるし、近所の人も手伝ってくれた。息子も休日のたびに孫を連れて遠くからちょくちょく来てくれた。本当にみんなに感謝しています」

茂串さん宅は屋根や窓を失い骨組みが目立つ

 取材後、息子の龍蔵さんにこの話を伝えると「僕は遠いと思ったことも、苦に思ったことも一度もありませんけれどね」と言うのだった。

 鋸南町を離れ、房総半島南端の館山市・布良(めら)へ。鋸南町と同様、ブルーシートを張った家がそこかしこに残っている。台風15号被災直後に話を聞いた神田町地区長・嶋田政雄さん(75)は、相変わらず忙しそうに歩き回っていた。

「台風19号(10月12日)では地区約300人強が全員避難。中学校の体育館で2泊しました。寂しいのは地区77世帯中6世帯が引っ越しを決めたことです」

 再び台風に襲われることや、地震による津波被害を警戒して、この機会に高台に転居するケースもあるという。

「修復の年越しはやむをえない。今年を漢字一文字で表すと『災』。いや、来年はみんなが健康に過ごせるように『健』にしておこうかな」

 復興の見通しはなかなか立たないが、‘20年はきっといいことがたくさんありますように――。